祝福
最初の町は、思っていたよりずっと騒がしかった。
村を出たその日の夕方には城壁が見えてきて、門をくぐった瞬間、俺は思わず足を止めた。人が多い。店が多い。声も多い。荷車の軋む音、客引きの呼び声、鉄を打つ音、子どもの笑い声まで一度に耳に入ってきて、頭の中が一気に賑やかになる。
村にも祭りの日くらいなら活気はある。けど、町は何でもない日がずっと祭りみたいだった。
「すごいな……」
少しきょろきょろしながら歩いていると、通りすがりのおじさんに笑われた。
「兄ちゃん、田舎から来たのか?」
「まあ、そんな感じです」
「だったら荷物だけは気をつけな。ぼんやりしてると、すぐ持ってかれるぞ」
「ありがとうございます」
慌てて背負い袋を抱え直す。
町に来たばかりだというのが、たぶん顔に出ていたんだろう。
神父さんからは、着いたらまず教会に顔を出すように言われていた。旅人向けの案内もあるし、安く泊まれる場所を紹介してもらえることもあるらしい。俺は教えられた通り、町の中央近くにある石造りの教会へ向かった。
中に入ると、村の教会より何倍も広い。高い天井に光が落ちて、長椅子がきれいに並んでいる。祭壇のそばにいた年配の神官に事情を話すと、慣れた様子で宿と仕事の探し方を教えてくれた。
「祝福を受けた若者であれば、冒険者斡旋所を覗いてみるとよいでしょう。薬草採取や護衛補助など、初心者向けの依頼もあります」
「ありがとうございます」
「焦らないことです。最初から大きな成果を求める必要はありませんよ」
その言葉に頷きながらも、俺の胸は少しだけ高鳴っていた。
ついに来たんだ、と思う。村を出て、町に着いて、ちゃんと“その先”に進み始めている。
教会を出たあと、宿を決めて荷物を置き、俺は斡旋所へ向かった。
想像していたよりまともな建物だった。もっと荒くれ者が集まる酒場みたいな場所を勝手に思い浮かべていたけど、実際には木の看板が出た二階建ての建物で、受付には書類が積まれているし、壁には依頼書が整然と貼られている。もちろん中には武器を持った大人たちも多いけど、怒鳴り声が飛び交っているわけではなかった。
「初めてかい?」
受付にいた女性が、俺を見るなりそう言った。
「分かりますか」
「そういう顔してるよ」
少し恥ずかしい。
でも、笑われた感じはしなかった。
名前と出身、それから祝福の種類を簡単に聞かれる。そこだけ少し説明に困った。
「接続と……身体強化、です」
「接続?」
「ええと……たまに相手の気配とか、感情みたいなものが少し分かる、ことがあるというか……」
「面白い祝福だね」
「自分でも、まだよく分かってなくて」
「そういう子は多いよ。祝福は十歳で形が見えても、使いこなせるようになるには時間がかかるからね」
受付の女性はそう言って、壁に貼られた依頼書の何枚かを指さした。
「最初ならこの辺りかな。薬草採取、荷運び補助、街道見回りの同行。剣が使えるなら見回りが一番経験になるかも」
俺は迷って、街道見回りの依頼書を見た。
町の近くの街道で、最近小型の獣が荷車を荒らしているらしい。単独で危険な魔物というほどではないが、数が増えると厄介なので、見回りに人手が欲しいと書いてある。
「これ、受けたいです」
「見回り隊に混ざる形だけど平気?」
「はい」
「じゃあ、昼過ぎに西門前。遅れないように」
依頼書を受け取ったとき、ようやく冒険の入り口に立てた気がした。
昼まで少し時間があったから、宿の裏で軽く剣を振った。知らない町でも、これだけは落ち着く。足の運び。腰の入れ方。握り込みすぎないこと。何百回も繰り返してきた動きを、改めて体に馴染ませる。
祝福があるからといって、剣が勝手に振れるようになるわけじゃない。
身体強化だって万能じゃない。力を入れすぎれば体がぶれるし、感覚を研ぎ澄ませすぎれば目の前の一撃に集中できなくなる。
結局のところ、最後に頼れるのは積み重ねたものだ。
そういう意味では、村にいた頃と何も変わらない。
時間になって西門へ行くと、見回り役は三人いた。町の警備に慣れているらしい槍使いの男、弓を背負った女性、それから俺より少し年上に見える斧使いの青年だ。
「新人か?」
槍使いの男が俺を見る。
「はい。アキです」
「俺はガド。こっちがメル、こっちはトト」
「よろしく」
弓使いのメルは短く手を挙げ、斧使いのトトは人懐っこく笑った。
「最初の仕事で見回り選ぶの、悪くないな。採取は金になるけど退屈だし」
「俺は戦える方が性に合ってるので」
「いいね。無茶しなきゃ歓迎だ」
街道沿いを歩きながら、三人は町の外のことをいろいろ教えてくれた。最近は旅人が増えて荷車も多いこと、獣が寄ってきやすい場所、見回りのときに注意すべき地形。俺はそれを聞きながら、なるべく全部覚えようとした。
しばらく進んだところで、ガドが足を止めた。
「気をつけろ。この先の藪だ」
見ると、街道脇の草が不自然に揺れている。
俺も手を剣にかけた。
その瞬間、胸の奥に小さなざわつきが走った。
――空腹。
――苛立ち。
――飛び出す。
頭の中に言葉が響いたわけじゃない。もっと曖昧で、感情とも映像ともつかないものが一瞬だけ流れ込んできた。藪の奥から何かがこちらを窺っている。その気配だけが、妙にはっきりと分かる。
「左から来ます!」
自分でも驚くくらい早く声が出た。
次の瞬間、藪を突き破って灰色の獣が飛び出した。犬に似ているけど、牙が長く、目の色も濁っている。荷車を襲うというのは、たぶんこいつらだ。
「一体か!」
「いや、二!」
メルの矢が一体目の肩をかすめる。同時に、もう一体が低く回り込んできた。
俺は地面を蹴った。身体強化を足にだけ意識して乗せる。力を入れすぎない。村で何度も試した感覚を、そのまま使う。景色が一瞬だけ近づいて、体が前へ滑るように出た。
一体目の爪を剣で受け流す。重い。けど、受け止めきれないほどじゃない。返す刃で横腹を狙うが、浅い。獣が唸って飛び退いた。
右から気配。
振り向くより先に、ぞわりと背筋が反応する。二体目が跳ぶ。俺は半歩だけ踏み込み位置をずらし、噛みつこうと開いた口の下へ剣を突き上げた。
手応え。
獣が地面に落ちて転がる。
「やるじゃねえか!」
トトの斧が一体目の前脚を叩き、ガドの槍が喉元を貫いた。短い交戦だった。
息を整えながら剣を払う。
勝てた。けど、今のは三人がいたからだ。ひとりだったら、もっと危なかったかもしれない。
「今の、よく分かったな」
ガドが獣を確認しながら言う。
「え?」
「飛び出す位置だよ。最初に左って言っただろ」
「ああ……たぶん祝福です。たまに、相手の動く感じが少しだけ」
「便利だな、それ」
トトが素直に感心した声を出す。
「でも、ほんの少しです。はっきり読めるわけじゃなくて」
「それでも十分さ。戦いじゃ“少し早く分かる”のが一番でかいこともある」
メルのその言葉には、妙に重みがあった。
見回りを終えて町へ戻る頃には、俺の中に小さな自信が生まれていた。祝福は確かに役に立つ。接続は、相手の心を読むなんて大げさなものじゃない。けど、気配の先を少しだけ掴めることがある。身体強化も、力任せに振るうより、必要な瞬間だけ使えば動きが鋭くなる。
派手じゃない。
誰が見ても分かる奇跡でもない。
でも、剣と組み合わせるには悪くない祝福だと思えた。
斡旋所で報酬を受け取る。初めて自分で稼いだ金貨と銀貨は、思ったよりずっと重く感じた。宿代を払っても少し残る程度の額なのに、掌の上できらりと光るのを見ていると、胸の奥がじんわり熱くなる。
俺はちゃんと進めている。
村を出て、最初の町に着いて、初めての依頼をこなした。
たったそれだけだ。
でも、俺には十分だった。
宿への帰り道、夕焼けに染まる通りを歩きながら、俺は腰の剣に触れた。
「まだまだだな」
今の戦いで分かった。祝福は頼もしい。でも、それだけじゃ足りない。気配が分かっても、剣が追いつかなければ意味がない。体を強めても、振り方が甘ければ隙ができる。
だから磨く。
もっと速く。もっと正確に。
祝福に振り回されるんじゃなくて、自分の剣にしていくために。
町の空は、村より少しだけ狭い。建物が多いからだろう。
それでも夕焼けはきれいで、行き交う人々の顔を橙色に染めていた。
祝福は女神からの贈り物だと、皆が言う。
だったら、それをどう使うかは俺次第だ。
強くなるために。
誰かを守れるようになるために。
そして、自分の行きたい場所へ進んでいけるように。
俺はもらった報酬を握りしめて、少しだけ笑った。
旅は始まったばかりだ。
まだ見たことのない出会いも、まだ知らない戦いも、この先にいくらでも待っている。
そう思うと、不思議なくらい心が軽くなった。
明日もまた、剣を振ろう。
そうして少しずつでも前へ進めば、きっといつか、今よりもっと遠くまで届く。
そのときの俺は、ただ単純に、そう信じていた。




