夕飯までに帰る
家に帰る前に、駅のトイレで手を洗った。
一度ではなく、二度洗う。
爪の間も見る。
袖口も見る。
鏡の中の顔は、いつもと変わらなかった。
家に帰ると、ミオが居間で宿題をしていた。
ナツキは台所にいた。
「おかえり」
「ただいま」
ミオが顔を上げた。
「お父さん、ここわかんない」
「どこ」
俺は上着を脱いで、椅子の背にかけた。
手を洗ってから、ミオの隣に座る。
算数の文章題だった。
ミオは指で文字を追いながら、問題を読んだ。
途中で数字を飛ばした。
「そこ、もう一回」
「えー」
「飛ばしたら間違える」
「だって長い」
「長くても読む。最後まで読まないと、何を聞かれてるかわからない」
ミオは唇を尖らせながら、もう一度読んだ。
俺は横で聞いていた。
最後まで読む。
途中で投げない。
残さない。
子供に教えることは、どれも同じだった。
夕飯のあと、ミオは作文の宿題を出してきた。
題名は、
わたしのお父さん。
「読んでいい?」
「まだだめ」
「じゃあ見ない」
「ちょっとだけならいい」
どっちだ。
俺は笑って、ノートを少しだけ覗いた。
そこには、大きな字でこう書いてあった。
お父さんは、さいごまでしごとをします。
俺は何も言わなかった。
ミオは得意そうに胸を張った。
「合ってる?」
「ああ」
「お父さん、いつも早いもんね」
「朝はな」
「でも、ちゃんと帰ってくる」
ミオはそう言って、鉛筆を握り直した。
俺はその横顔を見ていた。
ちゃんと帰ってくる。
それは、俺が家で守っていることだった。
どんな仕事でも、外で終わらせる。
家には持ち込まない。
ミオには見せない。
ナツキにも、見せない。
俺の仕事は、俺の外側で終わる。
そう決めていた。
決めていたことは、守る。
それも責任だった。




