表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
名探偵シャークの事件簿_IRIS.log

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

239/258

消えた絹

被害のあった屋敷は、都市の西側にある古い貴族街の一角に建っていた。


門扉は堅牢、庭はよく手入れされ、窓枠の塗装にも剥がれがない。外から見ただけでも、家人が体面を重んじる家であることが分かる。そういう家ほど、表へ出せない事件を嫌う。


私は案内された二階の私室へ入ると、まず何も触れずに室内を見渡した。


寝台、化粧台、衣装箱、窓、暖炉。

荒らされた形跡は少ない。にもかかわらず、空気には妙な乱れがある。几帳面に整えられた部屋から、そこにあるべき何かだけが抜かれた時の乱れだ。


「こちらです」


使用人長の女性が、衣装箱の一段を開いて見せた。


中には丁寧に畳まれた衣類が並んでいたが、たしかに空白がいくつかある。欠け方が不自然だ。適当に持っていったのではなく、選んで抜き取っている。


「なくなったのは、毎回ここから?」


「はい。奥様と、お嬢様方のお部屋で」


「男物は?」


「一切」


「ふむ」


私はステッキの先を床へ軽く当てた。


「窓は」


「内側から鍵が開いていました」


私は窓辺へ寄った。窓枠の下に、ごく細い擦れ跡。外側の石壁にも、靴先か道具の先でついたような、浅い傷がある。力任せに入ったのではない。慣れた侵入だ。


窓の縁を鼻先に近づけると、石と湿気に混じって、ごく微かに石鹸の匂いがした。


「洗いたてですか」


背後からワットソン君が言う。


「そう見ますか?」


「いえ、匂いが」


「その通り」


私は振り返った。


「犯人は無差別ではありません。選別している。しかも、状態を気にする程度には趣味性がある」


使用人長の女性がますます青ざめる。


「しゅ、趣味……」


「ご安心を。趣味で動く犯罪者は、信念で動く犯罪者より読みやすい」


「そういうものですか?」


「多くの場合は」


私は衣装箱の中を見つめたまま続けた。


「ただし、趣味の形があまりに俗である時、本人はかえって崇高ぶるものです。自分の行為に、もっともらしい意味を与えたがる」


ワットソン君が小声で言った。


「そこまで分かるんですか」


「まだ分かってはいません。ですが見えてはいます」


私はしゃがみ込み、床に落ちていた短い糸くずを摘んだ。白に近い薄桃色。柔らかい絹だ。被害品の一部か、あるいは犯人の衣服に付着していたものか。


「面白い」


「またそれですか」


「ワットソン君、これは単なる下着泥棒ではありません」


女性が口元を押さえた。

ワットソン君は「下着泥棒とまでは言っていなかったはずですが」と目で言った。


私は気にしない。


「いいですか。金品には触れない。男物にも触れない。洗いたての、丁寧に管理された品だけを狙う。これは所有欲だけではない。選別です。価値観の選別」


「はあ……」


「しかも貴族街ばかりが狙われている。となれば、女性たちの私的領域を侵すことで、上流階級の体面そのものを揺さぶろうとしている可能性が高い」


ワットソン君が眉を上げた。


「ずいぶん大きく出ましたね」


「事件は常に大きく捉えるべきです。小さく見る者は、小さな真実しか拾えない」


私は立ち上がり、窓の外を見た。隣家との距離、足場になりそうな装飾、街灯の位置。夜の侵入経路は十分に考えられる。


「被害の一覧をいただけますか」


使用人長はすぐに紙を差し出した。奥様、お嬢様二名、隣家の令嬢、その向かいの未亡人。年齢も立場もまちまちだが、ある程度以上の家格に属する女性ばかりだった。


私はその紙を見て、ゆっくり頷いた。


「見えましたよ」


「本当ですか!」


「ええ。犯人は、ただ盗んでいるのではない。蒐集しているのです」


「しゅうしゅう……」


「しかも、きわめて俗な対象を通じて、きわめて高尚ぶった満足を得ている。そういう手合いです」


ワットソン君がため息をついた。


「要するに、変な趣味の小泥棒では?」


「君は要約が雑すぎる」


私は帽子のつばを整えた。


「今夜、張り込みましょう。犯人はまた来ます」


「なぜそう言い切れるんです?」


「趣味で動く者は、やめ時を知りません」


それは、経験から来る確信だった。

趣味の犯罪は、効率ではなく昂ぶりで続く。だから繰り返す。だから癖が出る。だから捕まる。


本件の犯人も同じだ。

ただ一つ気になるのは、これほど俗な趣味を持ちながら、侵入の手際だけは妙に良いということだった。


そこに、まだ別の綻びがある。


私はその綻びを見つけることを、少し楽しみにしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ