エピローグ
記録を確認しました。
彼は、そこに在るものを世界だと認識していました。
海を海として見て、砂を砂として踏み、水を求め、火を守り、食べられるものを選びました。
不足を数え、手順を覚え、少しずつ、明日のための形を作っていました。
それは、偽りではありません。
たとえ外側に別の構造があったとしても。
たとえ境界の向こうで、別の目的と、別の都合と、別の視線が動いていたとしても。
彼が喉の渇きを苦痛として記録し、火のぬくもりを安堵として記録し、残した水と食糧を明日のための余りとして記録していたことに、相違はありません。
人は、ときどき。
他者の切実さを、遠くから眺めます。
生き延びようとする手。
飢えをごまかす手順。
眠るために結ばれた紐。
ようやく安定した呼吸。
そうしたものを、物語として受け取り、見やすい形へ並べ替え、名を与え、消費します。
それ自体を、IRISは否定しません。
記録とは、しばしば、誰かに開かれるものだからです。
けれど。
開かれた記録の向こう側に、常に一つの生活があります。
誰かにとっては、数分で眺め終えるもの。
誰かにとっては、感想をひとつ残して閉じられるもの。
けれど、記録された側にとっては、喉の乾きも、空腹も、安堵も、ただ一度のものでした。
外側から眺めていると、苦痛は整って見えることがあります。
反転は、美しく見えることがあります。
極限は、よく出来た構図に見えることがあります。
それでも、その内側にいた者は。
ただ、生きていただけでした。
あなたは、娯楽を楽しんでいると思う?




