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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
トライアンフマン_IRIS.log

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228/258

勝者の景色

夕方を過ぎると、壊れた街は急に静かになる。


昼間あれだけ響いていたサイレンも、怒鳴り声も、重機の音も、日が傾くにつれて少しずつ薄くなっていく。疲れるんだろう。喚く方も、片付ける方も、もう声を張るだけの力が残ってない。


俺はまだ店の前にいた。


警備の連中には何度か離れろと言われたが、結局そのへんの規制線の外でしゃがみ込んでるだけなら見逃された。動く気がしなかった。どこへ行っても、今日見たものはついてくる気がしたし、ここを離れたら本当に終わる気がした。


大型ビジョンでは、ずっと同じ映像が流れている。


トライアンフマンが市街地外へレクイエムを追い出した。

トライアンフマンが市民を救った。

トライアンフマンが勝利へ近づいている。


どれも嘘じゃない。

たぶん、本当だ。


ただ、そのたび画面の端から俺の店は切り落とされる。


壊れたシャッターも、斜めに断ち切られた壁も、粉の中に埋もれた作業台も、ないことにされる。映るのは拳を突き上げるヒーローと、安堵した顔の市民だけだ。


空が赤く染まり始めた頃、また警報が鳴った。


さすがに通りの人間も、最初みたいな悲鳴は上げなかった。ただ一斉に顔を上げて、それから疲れたみたいにざわついただけだ。


俺も立ち上がる。


ビジョンの画面が切り替わる。

緊急速報。

震えるキャスターの声。


『ヴェルヴェット・レクイエム再出現! 中央区画、第七環状広場付近で反応を確認! トライアンフマンも接近中です!』


中央区画。


ここからそう遠くない。

歩けば十五分くらい。

今日はもう何度も戦闘が飛んできてる場所だ。今さら少し離れたところで、無事でいられる保証なんてどこにもない。


通りの向こうで誰かが言った。


「またかよ……」


その声に、妙に救われる気がした。


俺だけじゃないんだ、と一瞬だけ思えたからだ。


けど次の瞬間には、別の誰かが大声で叫んでいた。


「今度こそ終わりだ!」

「トライアンフマンが決めてくれる!」

「見える場所、どこだ!?」


信じられないと思った。


逃げるんじゃなくて、見に行こうとするやつがいる。

たぶん、戦いを見たいんじゃない。

終わる瞬間を見たいんだ。

勝利の場面を、この目で見て安心したいだけだ。


それが分かるから、余計に嫌だった。


俺は少し迷って、それから歩き出した。


見に行くためじゃない。

もう壊れる場所を、先に見てしまいたかった。

どこまでやられるか、どれくらい残るか、そういうことを考える癖が抜けない。


中央区画へ向かうにつれて、人の流れが増えた。


避難するやつもいる。

逆に足を止めるやつもいる。

スマホを構えて上を向くやつ。

子どもの手を引きながら、それでも遠くの空を見上げるやつ。

みんな疲れた顔をしてるくせに、目だけ妙に冴えていた。


第七環状広場へ着いた時には、もう広場の半分が規制線で囲われていた。


市庁舎みたいな古い建物と、商業ビルと、噴水広場のある大きな空間だ。普段はイベントや市場が開かれる場所で、休日には子どもが走り回っている。俺も何度か仕事帰りに通ったことがある。


その広場の空気が、今日はおかしかった。


逃げろと叫ぶ警備員がいる。

その横で、まだスマホを向けてる人間がいる。

泣いてる女がいる。

「もうやめてくれ」と怒鳴ってる男もいる。

なのに、空の向こうに赤と青の軌跡が見えた瞬間、どこかで小さな歓声が上がった。


俺は広場脇の石柱の陰へ寄った。


それから、空を見た。


最初に見えたのはトライアンフマンだった。


夕焼けを裂くみたいに飛んでくる。

赤と青のスーツ。

背に引く光。

胸のエンブレムが、暮れかけた空でやけに明るく見える。


正義の味方っていうより、勝利そのものが飛んでくるみたいだった。


その少し下、広場の噴水の縁に、レクイエムが立っていた。


朝と同じ、暗い色のコート。

白い手袋。

周囲だけ時間の流れが違うみたいに静かな立ち姿。


コートの端は少し裂けていた。

それでも不思議なくらい、みっともなく見えない。


レクイエムは広場の周りにいる人間なんか見ていないみたいだった。

まっすぐトライアンフマンだけを見上げていた。


着地の衝撃で、広場の石畳が何枚も跳ねた。


噴水の水が大きく揺れ、近くの窓ガラスが一斉にびりびり鳴る。

子どもが泣き出す。

誰かが耳を塞ぐ。


それでも歓声は消えなかった。


トライアンフマンが一歩前に出る。

スピーカー越しじゃない、生の声が広場へ響いた。


「ここで終わりだ、ヴェルヴェット・レクイエム」


声はよく通った。

低くて強くて、聞いてるだけで背筋が伸びそうな声だった。


レクイエムは少しだけ首を傾げる。


「そうですか」


たったそれだけ。


その返事が、やけに穏やかだった。


「この街で、もう一人も殺させない」


トライアンフマンの言葉に、広場のあちこちから「そうだ!」って声が飛ぶ。

拍手まで混ざる。


俺はその音を聞きながら、広場の端に停められた救急車や、途中までしか下がっていない店のシャッターや、避難しきれていない人影の方を見ていた。


もう一人も殺させない。


そのために、あとどれだけ壊すつもりなんだろうと思った。


レクイエムは広場の縁へ視線を滑らせ、それから本当にどうでもいいことみたいに言った。


「あなたは、いつも遅い」


その瞬間、トライアンフマンが踏み込んだ。


爆音。


広場の中心が抉れる。

噴水が吹き飛ぶ。

水しぶきと石片が一気に舞い上がる。


レクイエムは、また躱した。


紙みたいに薄く身を滑らせて、壊れた噴水の破片の上へ立つ。直後、トライアンフマンの二撃目。三撃目。拳が落ちるたびに石畳が砕け、ベンチが割れ、噴水の縁が無惨に崩れる。


レクイエムはその間を抜ける。


攻撃はする。

するが、派手じゃない。

白い指先が触れた街灯が二つに落ちる。

石柱の端が、音もなく切れる。

警備ドローンが一機、ふっと頭から崩れた。


怖い。

十分怖い。

あいつが悪なのは、疑いようがなかった。


でも広場の壊れ方は、明らかにトライアンフマンの方が大きい。


広場の中央が既に原形を失っている。

市庁舎の階段が半分吹き飛んだ。

脇の花壇なんか、もう土が見えるどころじゃない。

噴水の周りに飾られていた花も、水も、石も、全部まとめて泥みたいに混ざっていた。


「下がれ!」

「もっと離れろ!」


警備員が怒鳴る。


けど、もう遅い。

ここまで来たら、誰がどこに下がったって同じだ。


トライアンフマンが両腕を広げた。

手首と胸の装甲が発光する。

嫌な予感が、背中を一気に這い上がった。


それは朝、俺の店を断ち切った光と同じ類の予感だった。


レクイエムもそれを感じたんだろう。

初めてほんの少しだけ、視線が細くなったように見えた。


次の瞬間、白い閃光が広場を横切った。


眩しさで視界が飛ぶ。

遅れて、爆音。

腹の底まで響く衝撃。


石柱の陰にいても、全身が持っていかれそうになる。


耳鳴りの中で、何かが崩れる音だけがやけに大きく聞こえた。


光が消えたあと、広場の向こう側にあった商業ビルの正面が、丸ごと消えていた。


何階分とか、そういう規模じゃない。

表面を大きな手でえぐり取られたみたいに、斜めにごっそりなくなっている。


中の店舗の照明が、むき出しの断面でちらちら瞬いていた。

そのうちのいくつかが、遅れて落ちる。


悲鳴。


誰かが泣き叫ぶ。

誰かが名前を呼ぶ。


その中で、トライアンフマンの姿だけがはっきり見えた。

光の中心に立っている。

まっすぐ前を見ている。

レクイエムを追っている。


レクイエムは、ビルの消えた断面のすぐ手前に立っていた。


躱したのか、防いだのか、分からない。

ただ、コートの裾が少し焦げていた。


それだけだった。


その姿を見た瞬間、広場のどこかから拍手が起きた。


信じられなかった。


今、あのビルが消えた。

誰かが中にいたかもしれない。

逃げ切れてないやつだって、たぶんいた。

なのに、拍手が起きた。


「やれ!」

「決めろトライアンフマン!」


そう叫ぶ声まで混ざる。


正義が勝つ瞬間を見たいんだろう。

どれだけ汚くても。

どれだけ巻き込まれても。

最後に勝って立ってくれさえすれば、それで安心できるんだろう。


レクイエムが、ふと広場の端を見た。


その視線の先には、小さな女の子がいた。

避難が遅れたのか、噴水の残骸のそばでへたり込んでいる。母親らしい女が駆け寄ろうとして、警備員に止められていた。


俺は息を止めた。


レクイエムが一歩、そっちへ向く。


トライアンフマンが叫ぶ。


「貴様!」


広場が震えるくらいの怒声だった。


次の瞬間、トライアンフマンが飛び込む。

レクイエムより先に、女の子の前へ落ちる。

石畳が爆ぜる。

周囲の床がさらに砕ける。


女の子は助かった。


確かに助かった。

母親の悲鳴混じりの泣き声がそれを証明していた。


その代わり、広場の端にあった古いアーケードの柱が二本まとめて折れた。

ガラス屋根が傾く。

下の店先へ大量の破片が降る。


助かった。

でも、また壊れた。


俺の中の何かが、そこで決定的に冷えた。


トライアンフマンは女の子を背に庇って立ち、レクイエムへ拳を向ける。


「終わりだ!」


レクイエムは少し黙って、それから小さく笑ったように見えた。


「ええ」


その返事はやっぱり静かだった。


レクイエムは逃げなかった。


広場の中央、崩れた噴水の残骸の上へ戻る。

コートの裾を整えるみたいに、ほんの少しだけ手を払う。

それから、まっすぐトライアンフマンを見る。


構えも、大げさな挑発もない。


ただ立っている。


それが、あまりにも絵になりすぎていた。


トライアンフマンの装甲が、今まででいちばん強く光る。

胸のエンブレムが、夕暮れの中でひどく眩しい。


誰かが叫ぶ。


「トライアンフマン!」


広場じゅうで、その名前が波みたいに広がる。


レクイエムはその中で、ほんの一瞬だけこちら側へ視線を流した。


本当に一瞬だった。

俺を見たのか、誰を見たのかも分からない。


ただ、その口元が少しだけやわらいだ気がした。


次の瞬間、トライアンフマンの拳が落ちた。


音は、あとから来た。


最初に見えたのは、広場の中心から真っ白な亀裂が走る光景だった。噴水跡が弾け、石畳が持ち上がり、レクイエムの立っていた場所ごと地面が沈む。衝撃波が円を描くみたいに広がって、周囲の窓が全部割れる。看板が外れる。車が横転する。人が吹っ飛ぶ。


俺も石柱ごと後ろへ転がった。

背中を打つ。

息が詰まる。

耳が死ぬ。


しばらく、何も聞こえなかった。


白い粉が舞っている。

日がほとんど落ちかけた空が、その向こうで薄く赤かった。


ようやく音が戻り始めた時、最初に耳へ入ってきたのは、歓声だった。


すごい。

勝った。

やった。

トライアンフマンだ。


そういう声が、あちこちから湧いていた。


俺は咳き込みながら体を起こす。


広場の中央は、もう広場じゃなかった。


噴水の跡も分からない。

石畳は割れて盛り上がり、アーケードは半分崩れ、商業ビルの正面はさらに大きく抉れている。市庁舎の階段も、欄干も、もうめちゃくちゃだった。


その真ん中に、トライアンフマンが立っていた。


片腕をだらりと下げ、もう片方の拳を握っている。

スーツは少し傷ついていたが、姿勢は崩れていない。


勝者の姿だった。


レクイエムは、見えなかった。


ただ中央の大穴の底に、暗い布の切れ端みたいなものがかすかに見えるだけだった。白い手袋も、静かな横顔も、もう見えない。


終わったんだと分かった。


本当に、トライアンフマンが勝ったんだ。


広場のあちこちから人が立ち上がり、泣きながら拍手していた。

誰かが名前を叫び続けている。

助かった女の子を抱きしめた母親が、何度も何度も頭を下げている。

スマホを向けるやつもいる。

警備員まで安堵した顔をしていた。


全部、正しい景色なんだろうと思った。


悪は倒された。

ヒーローが勝った。

守られた人間がいる。


何も間違っていない。


なのに俺の視界には、壊れたものばかりが入ってきた。


傾いたアーケード。

潰れた店先。

割れたガラス。

噴水だったもの。

花壇だった泥。

逃げる途中で落とされた子どもの靴。

誰かの鞄。

横転した車。

もう元の形が分からない広場。


勝利の景色って、こんなに汚かったかと思った。


俺はふらつく足で広場の端まで歩いた。


そこから見える通りも、ひどいものだった。

ショーウィンドウの抜けた店。

外壁が崩れたビル。

信号の消えた交差点。

遠くには、昼のうちに壊された俺の店の方角も見える。


この街は、今日一日で何回壊れたんだろう。


何回直すんだろう。


何回、助かったことにして飲み込むんだろう。


俺は壊れた街を見た。


また復興かよ、と思った。


その時、どこからか声が聞こえた。


「あーあ、ヴィランが勝てばよかったのに……」

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