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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
トライアンフマン_IRIS.log

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227/258

俺の街

離れたつもりでも、戦闘音はどこまでも追いかけてきた。


一本路地を曲がって、さらに二本先まで走って、ようやく少しだけ呼吸が整った頃にも、空のどこかで鈍い音が鳴っていた。地面の底から叩かれるみたいな重い音だ。トライアンフマンの一撃か、レクイエムの回避か、その両方か。もう考えるのも嫌だった。


ガンツとは途中ではぐれた。


あいつはあいつで請けた修理先があるらしく、「生きてたら後で連絡しろ」とだけ言って走っていった。俺は返事もしないまま、自分の店へ戻る道を選んだ。どこにいたって同じなら、せめて自分の街にいたかった。


通りを渡るたび、街の顔が少しずつ変わっていくのが分かった。


港に近い方は、派手に抉れている。

中心街は、人と警備と規制線だらけだ。

そこから少し外れたこの辺りは、一見するとまだ無事に見える。


けど、無事に見えるだけだった。


歩道の端には細かいガラスが散っていて、靴底でしゃりしゃり鳴る。二階の窓が何枚か抜けてる家。壁に見たことのない亀裂が走ってるビル。焦げた匂いより、粉っぽい匂いの方が強い。まだ壊れ切ってない分だけ、かえって生々しかった。


俺の店がある通りへ入った時、最初に見えたのは人だかりだった。


嫌な予感というより、もう答えを見せられた気分だった。


足が勝手に速くなる。

走る。

人を掻き分ける。

そのたび、誰かの肩にぶつかって舌打ちされる。謝る余裕もなかった。


「すみません、通して」

「おい、危ないぞ」

「そこ、近づくなって――」


声を無視して前へ出た。


それから、止まった。


俺の店は、店じゃなくなっていた。


正面の壁が、斜めにごっそり消えている。

シャッターは半分千切れて、ぐしゃぐしゃにねじれていた。

看板は文字の途中から折れて、道の真ん中に落ちている。

中の棚も、机も、工具箱も、何もかも粉と瓦礫に埋もれていて、どこまでが店でどこからが外なのか、一瞬分からなかった。


親父が作った作業台だけが、奥の方で変な角度のまま引っかかっている。


見覚えのある木目だった。


それでようやく、これは本当に俺の店なんだと分かった。


「おい、あんた」

「近づくな、危険だ!」


警備員らしい男が腕を伸ばしてきたが、俺はそれを振り払った。足元の瓦礫を蹴散らして、店の前まで行く。靴の下で何かが割れる。工具か、ガラスか、もうどうでもよかった。


さっきまであったものが、なくなっている。


頭の中で、その事実だけが変に静かに繰り返される。


朝出る時、壁際に立てかけてあった脚立。

窓際に置いていた細いパイプ材。

親父の代から使ってる溶接機。

最近買い替えたばかりの小型コンプレッサー。

奥の棚に積んでた請求書の控え。


その全部が、今は見つける方が難しい。


「……なんだよ、これ」


自分の声が、自分のものじゃないみたいに遠く聞こえた。


警備員が後ろから何か言っている。


「戦闘の余波です、危険ですから」

「余波?」

「トライアンフマンがレクイエムを――」


そこで言葉が途切れたのは、俺の顔を見たからだと思う。


余波。


便利な言い方だ。


台風みたいだ。

事故みたいだ。

仕方なかったことみたいに聞こえる。


俺は崩れた壁の縁へ手を置いた。ざらざらしていた。ついさっきまでまっすぐ立っていたはずのコンクリが、変な角度で断ち切られている。熱で溶けた跡がある。トライアンフマンの光の線だ。見慣れてる。見慣れたくなんかないのに、見慣れてしまった。


レクイエムを追った一撃が、こっちまで抜けたんだろう。


たぶん、狙い自体は外してない。

たぶん、レクイエムが躱した。

たぶん、トライアンフマンは悪くない。


その“たぶん”が、余計に腹立たしかった。


店の隣のクリーニング屋の親父が、少し離れたところから俺を見ていた。言葉を選ぶみたいな顔で、何度か口を開いて、結局こう言った。


「命があってよかったな」


そうだ。


本当に、その通りだ。


朝、俺が店にいなくてよかった。

ここにいたら、たぶん死んでた。

命があるだけマシだ。

分かってる。

分かってるけど。


「……そうっすね」


それしか言えなかった。


クリーニング屋の親父は気まずそうに視線を逸らした。悪気はない。慰めようとしてくれただけだ。そういうのも分かる。分かるから、余計に何も返せない。


「補償、出るといいな」

「でしょうね」

「トライアンフマンも守るためにやってるんだろうし」

「そうでしょうね」


自分でも驚くくらい平坦な声が出た。


怒鳴る気力もなかった。


その時、規制線の向こうで誰かが叫んだ。


「映る? こっちの角度の方がよくない?」

「待って、今ライブ入れてる」


若い男女が二人、スマホを構えて俺の店を撮っていた。瓦礫の前で、自分たちがフレームに入る位置を探している。背景に壊れた店。口元だけ引き締めた顔。たぶん“現場”の空気を出したいんだろう。


俺はそっちを見た。


男の方が一瞬だけ気まずそうにしたが、すぐに視線を逸らした。女は小声で「やば」と笑って、少し位置をずらしただけだった。


もう一度、店を見る。


不思議なくらい実感がなかった。


泣くとか、怒るとか、そういうのじゃない。ただ、頭の中で何かが遅れている感じだった。目の前の光景に、気持ちが追いつかない。


親父が死んだ時も少し似ていた。


葬式の間、俺はずっと変に冷静だった。手続きして、頭下げて、連絡して、店をどうするか考えて、全部終わった夜にようやく、作業台の上に残ってた古い煙草の箱を見て、膝から崩れた。


今もたぶん、そういう遅れ方をしているんだと思う。


警備員が近づいてきて、今度は少し柔らかい声で言った。


「お店の方ですか」


「……そうです」


「危ないので、中には入れません。崩落の可能性があります」


「道具だけでも」

「今は無理です。あとで調査が入ります」

「あとでって、いつですか」

「それは……順番があるので」


順番。


また便利な言葉だ。


補償も順番。

調査も順番。

復旧も順番。

そうしてる間に、店は冷えて、客は離れて、請求書だけが積もる。


「すぐ必要なものがあるなら、申請を」

「紙ですか」

「はい」

「どこで」

「区役所の臨時窓口か、オンラインで」

「壊れた店の店主が、今この場で?」


警備員は口をつぐんだ。


責めても仕方ない。

この男が店を壊したわけじゃない。

分かってるのに、言葉が勝手に尖る。


俺は深く息を吐いた。粉っぽい匂いが肺に入る。咳が出る。崩れた壁の隙間から、見慣れたものが少しだけ見えていた。親父が使ってた古いスパナだ。持ち手のところに、小さな欠けがあるやつ。


それだけで胸の奥がずるっと重くなる。


「……あれだけでも」


「危険です」


「見えてるんです」


「分かります。でも今は――」


「俺のなんです」


たぶん、少しだけ声が大きくなっていた。


周りの視線が集まる。

やめろ、と思う。

みっともない。

けど止まらない。


「俺の店で、俺の道具で、俺が使ってたやつなんです。朝までそこにあったんですよ」


警備員は困った顔をした。

それから、小さく息を吐いて言った。


「……少しだけなら」


崩れた正面の一番手前、踏み込まなくても届く場所だけ。そう念を押されて、俺は瓦礫の縁へしゃがみ込んだ。伸ばした手の先、粉だらけのスパナを指先で引っ掛ける。あと少し。もう少し。


その時、上の方でぱき、と嫌な音がした。


「下がれ!」


警備員に肩を掴まれて後ろへ引かれる。ほぼ同時に、崩れた壁の一部が内側から落ちてきた。粉塵が舞い上がる。視界が白く濁る。咳き込む。


スパナは、見えなくなった。


俺はその白い粉の向こうを見つめたまま、立ち尽くしていた。


「だから危ないって……!」


警備員が怒ったように言う。

正しい。

全部正しい。


俺は小さくうなずいて、一歩下がった。


もういい、と思った。

どうでもいい、じゃない。

もうこれ以上、何かを取り戻そうとする気力が湧かなかった。


午後になると、街のそこかしこで「トライアンフマンがまた市民を救った」という速報が流れ始めた。


大型ビジョンでは、さっき交差点で助けられた運転手のインタビューが繰り返し流れている。顔に絆創膏を貼った男が、泣きながら言う。


『あの人がいなかったら、俺は確実に死んでました』


それも本当だ。


誰も嘘は言っていない。


『トライアンフマンは、やっぱりこの街の誇りです』


その言葉に、画面の横で派手なテロップが躍る。


街を守る希望の象徴!

勝利は目前か!


俺は通りの向かいからその画面を見た。

その下にあるのは、俺の壊れた店だった。


通りかかった主婦二人組が、店を見てひそひそ話している。


「ここもやられたのね」

「気の毒だけど、もっと大きい被害のとこもあるしねえ」

「トライアンフマンも大変よね」

「ほんとほんと、あんな危ない相手と戦って」


店の前に立ってる俺には、気づいてないみたいだった。


責める気にもなれない。

たぶんあの人たちは、悪い人じゃない。

ただ、自分の生活がまだ壊れてない側の人間なだけだ。


それだけの違いだ。


日が少し傾いた頃、区の職員らしい男がやってきた。タブレットを持って、被害状況の簡易確認をして回っている。俺の店の前でも立ち止まり、写真を撮って、何かを入力していた。


「営業再開の見込みは?」


見込み。


その言葉に、思わず笑いそうになった。


「ありませんよ、見ての通り」


職員は気まずそうに咳払いした。


「一応、暫定の被害分類では中規模以上になると思います」

「大規模じゃなくて?」

「全壊ではないので」

「これで?」

「躯体の一部が残っているので」


残っている。


たしかに、作業台の端とか、奥の壁とか、そういうものは残っている。

だから何だ。


「補償の申請は」

「しますよ」

「必要書類が――」

「分かってます」


職員は何か言いかけて、やめた。

代わりに事務的な声で、窓口の場所と受付時間だけ伝えて去っていった。


その背中を見送りながら、俺はふと思った。


この街は、何でも名前をつけたがる。


余波。

中規模。

一部損壊。

戦闘拡大。

市民保護。


そうやって名前をつければ、現実の触り心地が少し薄くなる。店が壊れたんじゃなくて、一部損壊になる。暮らしが潰れたんじゃなくて、被害になる。もう元には戻らないかもしれないのに、書類の上では次の項目へ進める。


気づけば、通りの反対側で子どもがトライアンフマンの真似をしていた。


片腕を上げて、空を飛ぶふりをする。

もう一人がヴィラン役になって、わざと大げさに吹き飛ばされる。

母親がスマホでその様子を撮って、笑っている。


そのすぐ横に、俺の潰れた店がある。


何だか全部が遠く感じた。


同じ街にいるはずなのに、見えてる景色が違いすぎる。


夕方近くになって、ようやくガンツから連絡が来た。


『生きてるか』


それだけだった。


俺は少し考えてから、短く返した。


『店が死んだ』


すぐに電話が鳴った。


出ると、ガンツはしばらく何も言わなかった。たぶん何て言えばいいか分からなかったんだろう。俺も同じだった。


『……どのくらいだ』

「かなり」

『そうか』

「うん」

『お前、今どこだ』

「店の前」

『まだいるのかよ』

「ここ以外、行くとこないだろ」

『避難所でも友達んとこでもあるだろ』

「今日はここがいい」


電話の向こうで、小さくため息がした。


『飲むか』

「今そんな気分じゃない」

『そうじゃねえよ。飯だ』

「……腹減ってない」

『減ってなくても食え。倒れるぞ』


しばらく黙ったあと、俺は言った。


「後で考える」


『考えるな。食え』


そう言って、ガンツは電話を切った。


少しだけ、ありがたかった。


でも結局、その場を動く気にはなれなかった。


瓦礫の前にしゃがみ込んで、崩れた店をぼんやり見る。通りを行き交う人間は少しずつ減っていった。日が落ちるにつれて、街の騒ぎも別の種類の疲れに変わっていく。


どこかでまた拍手が起きた。


大型ビジョンを見ると、トライアンフマンが空へ拳を突き上げていた。どうやらレクイエムを市街地外へ追い出したらしい。司会者が熱狂した声で叫んでいる。


脅威は去りました!

トライアンフマンの勝利です!


周囲から安堵の声が上がる。

よかった、という声。

助かった、という声。

明日からまた頑張ろう、という声。


俺はその画面を見て、それから自分の店を見た。


頑張るって、何をだ。


また直すのか。

また書類を出すのか。

また元通りにするのか。

何度でも。


頭の中に、言葉がひとつ浮かぶ。


また復興かよ。


それだけだった。


怒りより、先に来たのは疲れだった。


もう嫌だ、とかでもない。

ふざけるな、とかでもない。


ただ、ひどく疲れていた。


壊されるたびに、直して。

称賛の声を聞きながら、請求書を書いて。

守られたってことにして、飲み込んで。

また次が来たら、同じことをする。


その繰り返しが、急に果てしなく見えた。


親父の作業台の端が、瓦礫の中から少しだけ見えている。

さっき取れなかったスパナは、もうどこにあるのか分からない。

明日になれば、調査だの申請だので人が来るんだろう。

誰も悪くない顔で、必要な手続きを説明していくんだろう。


その全部が、急に遠かった。


俺は膝に肘を乗せて、顔を伏せた。


泣く気にはなれなかった。

泣くほどきれいに悲しくもなかった。


ただ、自分の街だと思っていた場所が、いつの間にか俺のものじゃなくなっていた気がした。


守られる側って、こういうことなんだろうかと思った。


助けられるたびに、自分の暮らしの形を少しずつ削られていく。


それでも感謝しろって顔をされる。


正しいから、何も言えない。


その正しさが、今日はひどく冷たかった。

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