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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
トライアンフマン_IRIS.log

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225/258

鮮やかな悪

地下避難区画の扉が閉まる音は、棺桶みたいだと思う。


分厚い鉄の板が唸りながら噛み合って、最後に重たい鍵の音が響く。その瞬間だけ、外の世界と切り離された感じがする。助かった、と思うやつもいるんだろう。実際、泣き出した子どもを抱きしめてしゃがみ込む母親もいたし、床にへたり込んで何度も「よかった」と呟いてる男もいた。


けど俺は、あの音を聞くたび、閉じ込められた気分になる。


じいさんをベンチへ座らせると、ようやく息がつけた。足の悪いじいさんは真っ青な顔で肩を上下させていたが、死にそうではなさそうだった。係員が毛布と水を持ってきて、俺に向かって「あなたも座ってください」と言ったけど、そんな気にはなれなかった。


頭の上で、鈍い衝撃音が何度も響く。


地下まで落ちてくるほどの音だ。床もたまに微かに震える。誰も口には出さないが、みんな何が起きてるかは分かっていた。トライアンフマンとヴェルヴェット・レクイエムが、まだ上でやり合ってる。


避難区画の奥では、小型モニターが緊急放送を流していた。音量は絞られてるのに、テロップだけで十分だった。


市街地へ戦闘拡大の恐れ

当該区画の市民は避難継続を

トライアンフマン、交戦中


交戦中、ね。


そのたった四文字のせいで、こっちはシャッターを閉めて、店を空けて、仕事道具を抱えて、地下に押し込まれてる。


俺は壁にもたれて目を閉じた。瞼の裏にさっきの映像がちらつく。しゃがみ込んだ男。白い手袋。首が落ちる瞬間。悲鳴より先に、自分が「綺麗だ」と思ってしまったこと。思い出すだけで胃がきしんだ。


「お兄ちゃん」


声をかけられて目を開けると、六つか七つくらいのガキが俺を見上げていた。避難の途中で泣き疲れたのか、鼻を赤くしている。


「トライアンフマン、勝つよね?」


母親らしい女が「やめなさい」と手を引こうとしたが、ガキはじっと俺を見ていた。


俺は少し考えてから言った。


「たぶん」


それが一番無難だった。


ガキはほっとしたみたいに頷いて、母親の方へ戻っていく。女は小さく頭を下げた。俺も会釈だけ返す。


たぶん、か。


勝つだろう。

たいてい勝つ。

いつも最後に立ってるのはトライアンフマンだ。


問題は、そのあとだ。


どれくらい壊れてるのか。

どこまで飛んでるのか。

誰の店が潰れて、誰の家の窓が全部抜けて、誰がもう立て直せないか。


そっちの方が、俺にはよっぽど現実だった。


一時間くらい経ったと思う。もっとかもしれない。地下にいると時間の感覚が狂う。外の戦闘音は少しずつ遠のいて、それでもたまに思い出したみたいに壁を揺らした。避難区画の空気は人いきれと不安で重くなり、誰もが疲れた顔をしていた。


やがて、モニターの表示が変わる。


戦闘反応、市街地外縁へ移動

一部区画の避難指示を解除します


ざわめきが起きた。


係員の説明じゃ、この区画の危険度は下がったらしい。まだ完全解除じゃないが、帰宅や営業再開は自己判断、という一番困るやつだ。責任は持たないけど好きにしろ、って意味だからだ。


俺は真っ先に立ち上がった。


「もう行くのかい」


じいさんがベンチから見上げる。


「店見てきます」

「物好きだねえ」

「仕事なんで」


じいさんは疲れた顔で笑った。


「死ぬなよ」

「今日はそればっかり言われるな」


鉄の扉が開くと、外の光がやけに白く感じた。


通りへ出た瞬間、鼻に入ってきたのは焦げた匂いだった。何かが盛大に燃えたわけじゃない。もっと薄くて広い、熱と粉塵が混ざった匂い。戦いのあとにはいつも残るやつだ。


街は、想像してたより静かだった。


人通りは少ない。みんな恐る恐る出てきて、まずは上を見上げ、それから自分の店や家の無事を確かめている。泣いてるやつも、怒鳴ってるやつも、まだ少ない。現実を飲み込みきれてない時の顔だ。


俺は通りを歩きながら、壊れた箇所を目で拾っていった。


街路樹が一本、根元から折れている。

ビルの外壁が大きく抉れている。

さっきまで無事だったはずの電器屋のショーウィンドウが丸ごと消えてる。

道路にはひびが走って、信号の柱が変な角度に傾いていた。


派手だ。

いつものことだが、やっぱり派手だ。


なのに妙に、ばらつきがある。


通りひとつ全部が吹き飛んでるわけじゃない。抉れてる場所と、ほとんど無傷の場所が、まだらに並んでいる。トライアンフマンの一撃か、レクイエムの回避の軌道か、その両方か。考えるだけで嫌になった。


自分の店へ向かう途中、港湾区の方角からパトカーと救急車が何台も上がってきた。サイレンはもう緊急時の勢いじゃなく、疲れ切ったみたいに細く鳴っている。俺はその脇を抜けて、店先まで急いだ。


シャッターは半分開いたままだった。


朝、出る時に中途半端にしてたのを思い出す。嫌な予感がして走り寄る。工具箱を足元へ置いて、軋むシャッターを持ち上げた。


中は、思ったより無事だった。


棚の上の小物はいくつか落ちてる。ガラスケースも一枚割れてる。壁にひびは入ってるが、商売が終わるほどじゃない。俺は胸の奥の力が少し抜けるのを感じた。


「……マシな方か」


言ってから、そう思ってしまう自分が嫌だった。


もっと酷い店が山ほどあるんだろう。

でも、自分のとこが無事ならそれでほっとする。

当たり前だけど、嫌な当たり前だ。


散らばった工具を拾い集めてると、店の外から足音がした。振り向くと、ガンツが立っていた。額にうっすら血がついてる。


「生きてたか」

「お前もな。その頭どうした」

「飛んできた看板がかすった」

「そりゃ災難だな」

「笑えねえよ」


ガンツは店の中を見回して、短く口笛を吹いた。


「お前んとこ、軽いな」

「運がよかっただけだ」

「オレんとこ、倉庫の窓全部抜けた」

「補償は?」

「聞くな」


二人でしばらく黙った。


外では遠くから怒号が聞こえる。誰かが店先で泣いてる声もする。街はこれから本格的に、戦闘後の顔になっていくんだろう。


「なあ」


ガンツが少し声を落とした。


「レクイエム、まだこの辺にいるって話、聞いたか」


「は?」


「港から逃げた、って」


「トライアンフマンがいるのにか」


「だからだよ。あいつ、いつもまともにぶつからねえだろ。出て、殺して、消える」


噂だ。

そう思ったが、ガンツの顔は冗談を言ってる顔じゃなかった。


「誰が言ってた」

「搬送の連中。港の外れで見失ったらしい」

「見失うなよ」

「見失うだろ。あの手のやつは」


たしかに、と思ってしまった。


トライアンフマンみたいなやつは、どこにいるかすぐ分かる。空を飛んで、光って、でかい音を出すから。けどレクイエムは違う。あいつは画面の中にいてさえ、立ってるだけで周囲から浮いていた。目立つのに、掴みどころがない。


「とにかく、しばらく外歩くなら気をつけろ」


ガンツはそう言って去っていった。額の血を袖で雑に拭いながら、次の修理先へ向かうんだろう。


俺は店の片付けを一通り終えたあと、結局また外へ出た。


こういう日にじっとしてるのが苦手だ。店にいても落ち着かないし、どうせすぐ近所から修理の声がかかる。だったら先に様子を見て回った方が早い。


通りを二本越えた辺りで、妙に静かな一角へ出た。


そこは古い劇場跡の裏手で、昼でも薄暗い。表通りの騒ぎが嘘みたいに音が遠い。足元には割れたレンガが散っていて、壁に細い傷が何本も走っていた。新しい傷だ。白く削れた断面がまだ粉を吹いている。


その時、話し声が聞こえた。


男の声が二つ。


ひとつはひどく怯えていて、早口で何か言い訳している。

もうひとつは静かで、妙に柔らかかった。


俺は反射で足を止めた。


覗くつもりはなかった。ほんの一瞬、様子を確かめて、危なそうなら引き返すつもりだった。けど、角の向こうから聞こえてきた次の一言で、体が固まった。


「そんなに震えなくても大丈夫ですよ」


柔らかい声だった。

慰めるみたいに、優しい声だった。


なのに、背中が冷えた。


そっと壁際へ寄って、角の向こうを覗く。


細い路地の先に、二人いた。


ひとりは上等なスーツの男。歳は四十前後くらいか。壁を背にして、顔色を失っていた。額の汗がここからでも見える。たぶん逃げ場を塞がれてる。


もうひとりは、長い暗色のコートをまとっていた。


風もないのに裾が静かに揺れている。

白い手袋。

夜みたいな色の布地。

横顔だけで分かった。


ヴェルヴェット・レクイエムだった。


心臓が嫌な音を立てる。


逃げろ。

そう思うのに、足が動かない。


スーツの男が何か必死に言っていた。


「ま、待ってくれ……私はただ運んだだけだ、指示された通りに――」


「ええ、知っています」


レクイエムは穏やかに頷いた。


「あなたはとても従順だった」

「なら――」

「だから、ここまで生き延びたんでしょうね」


声の調子が、あまりにも普通だった。


叱るでもなく、脅すでもなく、本当に世間話でもしてるみたいに聞こえる。そこが余計に怖い。


スーツの男が壁に手をついたまま、ずるずると崩れそうになる。


「た、助けてくれ……金なら」

「いりません」

「何でもする」

「それもいりません」


レクイエムは少しだけ首を傾げた。


「あなた、勘違いしているでしょう」


言いながら、一歩だけ近づく。


男はもう立ってるのがやっとだった。


「私は取引をしに来たんじゃない」

「ひっ……」

「あなたを殺しに来たんです」


その言い方が、あまりにもやわらかかった。


慰めるみたいだった。

眠れない子どもに「大丈夫ですよ」と言うみたいだった。


俺は喉が乾くのを感じた。

叫べない。

助けも呼べない。

ただ、見ていることしかできない。


スーツの男は最後の悪あがきみたいにポケットへ手を入れた。銃か何かだと思ったんだろう、自分でも。けど、その手が何かを掴む前に、レクイエムの白い指先がそっと男の胸元へ触れた。


触れた、ように見えた。


次の瞬間、スーツの男の体が前へずれた。


それだけだった。


派手な音も、閃光も、爆発もない。


男は自分がどうなったか分からない顔のまま一歩踏み出して、それから上半身と下半身が別々の方向へ崩れた。


あまりにも綺麗だった。


断面が、じゃない。

死に方が、だ。


糸で切ったみたいだった。

無駄がなかった。

汚さが遅れて追いついてくるまで、一瞬だけ、本当に静かだった。


血が石畳の隙間へ細く流れる。

レクイエムは一歩も下がらない。

コートの裾を汚さない。

まるでそれまで計算されていたみたいに。


俺は吐きそうになって、口を押さえた。


そのわずかな気配で、レクイエムの視線がこちらへ向いた。


終わった、と思った。


瞳の色までは分からない。

でも目が合ったのは分かった。

壁越しに、路地の奥から、真っ直ぐに見られた。


逃げろ。

今すぐ。

頭の中で誰かが叫ぶ。


けどレクイエムは動かなかった。


ほんの少しだけ、口元がやわらいだ気がした。


「見ていたんですか」


静かな声だった。


俺は返事ができなかった。

喉がひきつって、息しか出ない。


レクイエムは倒れた男を一瞥してから、また俺へ視線を戻した。


「困りましたね」


全然困ってるように聞こえない。


「でも、今日はもう十分です」


何が十分なんだ。

何人殺せば十分なんだ。

聞きたかったのに、声が出ない。


レクイエムは少しだけ考えるみたいに首を傾げ、それから信じられないほど普通の口調で言った。


「あなたは帰った方がいい」


その瞬間、背後の空が光った。


次いで、腹の底まで響く轟音。

劇場跡の壁がびりびりと震え、上から砂と欠片が降ってくる。反射で顔を庇って、もう一度前を見た時には、路地の先にレクイエムの姿はなかった。


残っていたのは、切り分けられた死体だけだった。


膝が笑った。

壁に手をつく。

息がうまく入らない。


さっきの光は、たぶんトライアンフマンだ。近い。かなり近い。

追いついたのか、追いついてないのかは分からない。

でも少なくとも、このすぐ上空か、隣の区画にはいる。


なのに、レクイエムは消えた。


あいつは人を殺した。

目の前で。

しかも、まるで気遣うみたいな声で。

それでいて最後に俺を見逃した。


見逃した、のか。

たまたま興味がなかっただけか。

どっちでもよかった。


最悪なのは、その全部を見たあとでも、俺の中に残っていた感覚だった。


怖かった。

ちゃんと怖かった。

悪だった。

人殺しだった。

吐き気がするくらい、間違いなく悪だった。


それでも。


あの死に方は、あまりにも鮮やかだった。


そのことを認めた瞬間、自分の腹の底に泥を流し込まれたみたいな気分になった。


遠くでまた歓声が上がる。

誰かが叫ぶ。


「トライアンフマンだ!」


俺は死体から目を逸らして、ふらつく足でその場を離れた。


走りながら、さっきレクイエムが言った言葉だけが、何度も頭の中で再生された。


あなたは帰った方がいい。


優しい言い方だった。


だから、余計に気持ち悪かった。

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