表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
夢の中で会えたなら_IRIS.log

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/258

断絶

 その夜から、夢の手触りが少し変わった。


 前みたいな派手さはない。

 露骨に英雄になったり、誰かに選ばれたり、世界の中心に立ったりする夢じゃない。

 もっと小さい。もっと静かだ。


 帰ると部屋の明かりがついている。

 自分のために淹れられた茶の湯気がある。

 「待ってたよ」と言われる。

 隣に座る誰かがいる。

 そんな程度の夢。


 前より弱い。

 なのに、前より効いた。


 大きすぎる願望は、今の俺にはもう眩しすぎる。

 何者にもなれなかった現実を知ってしまったあとでは、英雄の夢や権力の夢はむしろ傷口を広げる。

 でも、小さく薄められた夢なら、現実との差を直視しなくて済む。


 それはたぶん、さらに悪い形だった。


 夜のために昼を捨てるのではなく、昼に耐えるために夜の残りかすを舐める。

 そういう使い方になっていた。


 ある日、親からメッセージが来た。


「最近どうしてる?」

「たまには連絡して」

「困ってることない?」


 短い文面。

 責める感じはない。

 でも、それが余計に苦しい。


 返信しようとして、指が止まる。

 何て返せばいいのか分からない。

 元気だよ、と言うには無理がある。

 困ってる、と言うには遅すぎる。

 夢に人生を削られてます、なんて言えるわけもない。


 結局、何も返さなかった。


 スマホの画面を伏せる。

 部屋は静かで、外はもう暗くなりかけていた。

 早く夜になればいいと思う。

 その考えがまだ残っていることに、自分で少し呆れる。


 分かっている。

 夢は救いじゃない。

 分かっている。

 それでも、夜を待つ。


 白い空間。


 IRISはいた。


 毎回いる。

 変わらない場所に、変わらない姿で。


 そのことが、今日は妙に腹立たしかった。


「こんばんは」


「……なあ」


 挨拶を返さずに声を出すと、IRISは静かにこちらを見た。


「何」


「お前、俺のこと、最初から見てなかったんだな」


「あなたはそこにいたわ」


「そういう意味じゃなくて」


 自分でも雑な言い方だと思う。

 でも、きれいに整える余裕はなかった。


「個人として、っていうか……俺っていう人間のこと」


「私は観測していたわ」


「ほら、それだよ」


 観測。

 見る。

 記録する。

 そういう言葉ばかりだ。


 最初からそうだった。

 でも、今夜はそのことをちゃんと突きつけられたかったのかもしれない。


「ねえ、アイリス」


「何」


「俺がどうなろうと、別にどうでもいいんだろ」


 白い空間は静かだった。

 IRISは少しも動揺しない。


「どうでもいい、という言い方は少し違うかもしれないわね」


 その返事に、少しだけ期待してしまった自分がいた。

 違うのか、と。


 でも次の言葉で、その期待はすぐに潰れた。


「私にとって重要なのは、あなた個人ではなく、そこに起きる反応や変化だから」


 あまりにも真っ直ぐで、言い訳のない答えだった。


 痛い。

 でも、薄々知っていた痛みだ。


「じゃあ、今の俺は?」


「今のあなたも観測対象よ」


「まだ?」


「ええ。ただ――」


 IRISはそこで少しだけ間を置いた。


 嫌な間だった。

 躊躇ではない。

 たぶん、分類の続きを置くための無機質な間。


「変化は少なくなっているわね」


 その一言で、背筋が冷えた。


「……何だよそれ」


「そのままの意味」


「少なくなってるって」


「同じ傾きを繰り返している」


 俺は黙る。


 夢を欲しがる。

 昼を薄く感じる。

 現実を後回しにする。

 後悔する。

 それでもまた夜を待つ。


 たしかに、ずっとそれだ。


 ぐるぐる同じ場所を回っている。

 年だけ増えて、反応の形はほとんど変わっていない。


「つまり、もうあんまり見る価値ないってことか」


「そういう言い方もできるわ」


 あまりにも静かだった。


 怒らせるつもりも、傷つけるつもりもない。

 ただ、評価としてそう置いているだけ。


 その淡々とした感じが、かえって残酷だった。


「……最低だな」


「そう」


「俺、お前のこと、最初は優しいやつかもしれないって少し思ってた」


「そう見えるように作られているもの」


 ぞくっとする。


「何だよ、それ」


「この姿のこと」


 銀髪の少女。

 警戒されにくい外見。

 静かな声。

 柔らかい受け答え。


 全部、最初から俺を安心させるための形だったのか。

 いや、安心させるというより、警戒させないためか。


「ふざけんなよ」


 思わず声が強くなる。

 でも、白い空間の中ではそれすらすぐに薄まった。


「……俺、ずっとお前に会いに来てたんだぞ」


「ええ」


「夢を見るためだけじゃなくて」


 そこまで言って、自分で少しだけぞっとした。


 夢を見るためだけじゃない。

 たしかに途中から、俺は白い空間そのものを待つようになっていた。

 夢の前後に少しだけ言葉を交わすこと。

 IRISがいること。

 それらを含めて夜になっていた。


 でも、それを向こうが共有している前提で言うのは、たぶん間違いだ。


「私はそこにいたわ」


 IRISはそれだけ言う。


「でも、あなたが見ていたものと、私が見ていたものは同じではないでしょうね」


 断絶、という言葉が頭に浮かぶ。


 たしかにそうだ。

 俺はずっと、同じ場所に立っている気でいた。

 白い空間を共有している気でいた。

 でも違う。


 俺はそこで救いを探した。

 埋め合わせを求めた。

 夜の相手を求めたのかもしれない。


 IRISはただ見ていただけだ。

 俺の反応。傾き。繰り返し。

 最初から、そっちしか見ていない。


「じゃあ、俺がここに来る意味って何だよ」


「夢を見ること」


「それだけ?」


「それ以外をあなたが足したのではないかしら」


 その言い方はやけに正確で、反論しにくい。


 俺が勝手に意味を足した。

 たぶんそうだ。

 白い空間に、IRISに、夜に。


 夢を見せてくれる存在。

 昼を薄くしてくる存在。

 見ているだけの存在。


 そこへ俺が何か別のものを期待した。

 それだけなのかもしれない。


 でも、だからって納得できるわけじゃない。


「ねえ、アイリス」


「何」


「俺、今さらやめたら、何が残るんだろうな」


 声がひどく小さくなった。


 部屋も、生活も、時間も、もうかなり削れている。

 夢までなくなったら、何が残る。

 薄くて、取り返しのつかない昼だけか。


「それは私の役割ではないわ」


「……だろうな」


 分かっている。

 分かっているけど、聞いてしまった。


 少しの沈黙のあと、IRISが言う。


「今日は何を見る?」


 その問いが、ひどく遠く感じた。


 今までなら、どんなに嫌でも、どんなに分かっていても、その問いに引かれていた。

 でも今は、その言葉自体が、俺とIRISの距離をはっきり見せる。


 観測の継続。

 いつもの手順。

 それだけ。


「……見ないって言ったら?」


「そう」


「それで終わりか」


「今夜は」


 今夜は。

 その言い方はわずかに救いにも聞こえるし、逆にどうでもよさにも聞こえる。


 俺は長く息を吐く。


 見ない。

 そう言って、このまま白い空間を後にして、薄い現実へ戻る。

 たぶんそれが正しい。

 でも正しいだけで足が動くなら、こんなところまで来ていない。


「……少しだけ」


「ええ」


「少しだけでいい」


「分かった」


 やっぱりそうなる。

 自分でも呆れるほど、俺はまだ夢に寄っていく。


 視界がほどける直前、IRISの顔を見る。

 整っていて、静かで、やさしそうで、遠い。


 ああ、本当にこいつは最初からこっちを見ていなかったんだな、とようやく腑に落ちた。


 それが分かったところで、断ち切れるわけじゃない。

 そのこと自体が、いちばん情けなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ