黒い場所
少し先、木々の間にあるその黒さは、影にしては濃すぎた。
ライトを向けても、そこだけ光がちゃんと返ってこないように見える。もちろん、実際そんなことあるわけない。たぶん木の密度とか、地面の落ち込みとか、そういうのが重なってそう見えてるだけだ。でも、一瞬そう思ってしまうくらいには、その場所だけ暗かった。
「ほら、あそこ」
俺はスマホをそっちへ向ける。
「なんか空いてない? 穴っていうか、くぼみっていうか……」
画面越しだと見えづらいかもしれない。だから少し近づく。歩くたびに、足元の落ち葉が控えめに沈む。その音だけが、妙に小さい。
「こういうのもワクワクするよな。秘密の通路とかあったらどうする? 俺ちょっと入っちゃうかもしれん」
冗談めかして言ったけど、半分くらいは本音だった。見つけたら入る。そりゃ入る。そこに何かいるかもしれないなら、なおさら。
近づいてみると、黒い場所の正体は、地面が少し窪んだ斜面だった。そこに木の影が落ちていて、遠くからだと穴みたいに見えただけらしい。
「あー、なるほどね」
俺は笑ってスマホを少し下げた。
「はい、解散。秘密の通路はありませんでした。普通の窪みです。今日はほんとに誤認が多いな」
コメント欄にまた草が流れる。
でも、さっきより勢いは弱い。気のせいかもしれない。けど、なんとなくそんな気がした。
窪みの縁まで行って下を照らしてみる。
岩と湿った土、絡まった根、折れた枝。別に何もない。何もないはずだ。
その時、下の方で、すっと何かが動いた。
「……っ」
反射で身を引く。
「今、何かいた?」
俺はすぐにまたライトを向け直した。
けれど、そこにはただ濡れた岩があるだけだった。影の重なりでそう見えただけかもしれない。水も流れてないし、獣の姿もない。
「いや今、なんか動いたように見えたんだけど」
少しだけ声が小さくなる。
今までみたいな“わーUMAかも!”じゃなくて、確認するみたいな声だ。
「見間違いかな……」
自分でそう言って、すぐに首を振る。
「まあでも、こういうのが一番楽しいんだよ。何か見えた気がする瞬間。分かる? 本当にいるかもしれないって感じ」
言いながら、俺は窪みから離れた。
別に怖かったからじゃない。いや、少しはある。でもそれより、ここにずっといても仕方ないと思っただけだ。動いてた方が何か見つかる。そういうもんだろ。
しばらく進むと、木の幹に白い傷みたいな跡がいくつもついている場所に出た。
「うわ、何これ」
ライトを近づける。
幹の表面が、縦に何本も削れたみたいに白くなっている。自然に剥けたのか、動物が爪でも立てたのか、俺には分からない。ただ、同じような跡が一本だけじゃなく、近くの木にも、またその隣にも続いていた。
「これ、なんかのマーキングとか?」
スマホを向ける。
コメント欄には熊とか鹿とか人間とか適当な予想が流れる。人間だったらちょっと嫌だな。
「でもこの辺って、そういう危ない動物いるのか? いや、いるか。山だし」
俺は木の表面に触れようとして、やめた。
なんとなく触りたくなかった。理由は特にない。ただ、見てるだけでいい気がした。
「まあ、仮にUMAがいるとしても、こういう痕跡から追ってくのがセオリーだよな」
自分でそれっぽいことを言ってみる。
その時、少し離れた場所で、また、ぱき、と音がした。
さっきより近い。
俺はそちらを見た。
ライトを向ける。だが、木と影しかない。奥に何本も幹が並んでいて、その隙間が暗く続いているだけだ。
「……いる?」
今度は独り言みたいに出た。
返事があるわけない。
けど、何かがこっちを見ててもおかしくない気が、ほんの少しだけした。
俺はすぐに笑ってごまかす。
「いやだとしても別にいいんだけどな。むしろ見てるなら出てきてほしいわ。敵意ないです、友達希望ですって感じなんで」
声はいつも通りを意識した。軽く、冗談っぽく。
なのに、喉の奥が少し乾いている。
スマホの持ち手を直す。
手汗かいてるのか、ケースの縁が少し滑った。
「……っぶね」
落としそうになって、慌てて持ち直した。
嫌だな、こんなところで落としたら。回収できる気がしない。
コメント欄を見る。
また少ない。流れがゆっくりだ。電波は一応立ってるのに、文字が来る間隔が少し長い。たまたまか。たまたまだろう。そういうことにしておく。
「よし。もうちょいだけ行こう」
前に向き直って、俺は歩き出した。
少し先に、木々の向こうで何かがぶら下がっているように見えた。
高い位置だ。
細長くて、揺れている。
「……お?」
今度はすぐに近づかなかった。
その場で立ち止まり、目を凝らす。
「ちょっと待って。あれ何?」
風に合わせて、ゆら、ゆら、と動いている。
枝じゃない。葉でもない。細い何かが垂れているように見える。一本じゃない。二本、三本、もっとあるかもしれない。
「いや、あれちょっと気持ち悪くない?」
声を潜めるつもりはなかったのに、勝手に小さくなった。




