樹海配信スタート
樹海の中って、もっとこう、じっとりしてるもんだと思ってた。
いや、実際じっとりはしてる。空気は少し湿ってるし、土も柔らかいし、葉っぱの匂いも濃い。けど、思ってたより“普通”だ。鳥の声もするし、虫も飛んでるし、風が吹けば枝も揺れる。映画とかで見るみたいな、入った瞬間に呪われそうな空気ってわけではない。
まあ、それが逆にいいんだけど。
「はい、というわけで現在、樹海に侵入して数分経過しております」
俺はスマホを自分に向け、少しだけ真面目な顔を作る。
「今のところ異常なし。強いて言うなら雰囲気がめちゃくちゃ良い。謎生物がいても全然おかしくない。俺評価、かなり高いです」
自分で言って笑う。
コメント欄にも草とか、評価制度あんのかとか流れていく。あるんだよ、今決めたけど。
俺はまたカメラを前に向けた。
細い道があるわけじゃない。人がよく通る山道みたいに踏み固められてもいない。ただ、木と木の間に、なんとなく進めそうな隙間が続いているだけだ。地面には落ち葉、折れた枝、ところどころに苔。太い根が浮き出てる場所もある。うっかりすると足を取られそうで、歩きやすいとは言い難い。
「こういう場所ってさ、なんか見つかりそうでいいよな。俺、小さい頃マジでこういう系の本好きだったんだよね。未確認生物特集とか、世界の謎の生物図鑑とか。絶対買ってたもん」
木の幹にスマホのライトを向ける。
ざらついた表面が白く浮かび、その向こうはまた暗い。
「いたらいいよなぁ、ほんと。いや怖いは怖いんだけど、それより見たいの方が勝つんだよ。お前らもそういうのない? 怖いけど見たい、みたいなやつ」
コメント欄が少し賑わう。
ない、ある、分かる、分からん、帰れ、など好き勝手だ。
帰れは早いだろ。まだ始まったばっかだぞ。
その時、右手の低い茂みががさっと揺れた。
「お?」
俺はすぐに反応して、スマホをそっちへ向けた。
「待って待って待って、今なんかいたくね?」
画面の向こうは暗い葉の影しか見えない。けど、確かに何かが動いた。小さいとか大きいとか、そういうのは分からない。でも動いた。
「いや、ガチでなんかいたって今」
少し声を落として、ゆっくり近づく。
足音をできるだけ抑えながら、茂みのすぐ手前まで行く。枝を一つ踏みそうになって、慌てて足をずらした。危ない。こういう時の余計な音は良くない。いや、何に対して良くないのかは知らんけど。
「おいおいおい、初手から熱いって」
息を潜めつつ、茂みの奥を照らす。
一瞬、丸い影が見えた。
「いた!」
思わず声が出た。
その影もびくっと動く。次の瞬間、するりと茂みの向こうへ抜けて、木の根元を横切った。
「あっ、猫だ」
俺は思わず笑った。
「なんだ猫か〜。びっくりした。いやでも今の動きちょっと良くなかった? 一瞬めちゃくちゃそれっぽかったろ」
茶色っぽい、小柄な猫だった。こっちを一瞬だけ見て、すぐ暗がりに消える。なんでこんなとこにいるんだよ。いや、樹海に猫ってどうなんだ。いるのか? 野良? それとも捨て猫? どっちにしろ強く生きろよ。
コメント欄が一気に流れる。
猫だろと思った、UMA第一号猫、解散、などなど。
いや解散は早いって。
「違う違う、今のは前座だから。猫もいいけど俺が探してんのはもっとこう、夢のあるやつだから。ほら、まだ始まったばっかだし。ここからだから」
俺は気を取り直して歩き出した。
木々の間を進むたび、少しずつ光が減っていく気がする。時間のせいなのか、森が深くなってるからなのかは分からない。上を見ても枝と葉が重なって、空がほとんど見えない。ライトを向けた先だけが浮かんで、その外側はずっと薄暗いままだ。
「でも今の猫、普通にかわいかったな」
独り言みたいに呟く。
こういう何でもない一言が入ると、配信ってちょっと生っぽくなる。俺はそういうのが好きだ。
数分進んだところで、今度は左の奥に白っぽいものが見えた。
「ん?」
木の間、少し先。
人の顔みたいな高さに、白い丸いものがある。
「いや待って、あれ何?」
俺は足を止めた。
スマホをそっちに向ける。白い。丸い。しかもじっとしてる。木の幹の間から半分だけ見えてるせいで、余計に何かっぽい。
「おいおいおいおい、あれちょっとやばくね?」
半笑いみたいな声が出る。
怖いというより、テンションが上がっている時の声だ。
「待って、これ来たかもしれん。いやマジで。見てる? みんな見えてる?」
じりじり近づく。
一歩、二歩。
その白いものは動かない。
だが逃げもしない。目みたいなものも、口みたいなものも見えない。ただ白い塊がそこにあるように見える。
「こういうのが一番怖いんだよなぁ……いや、怖いっていうか熱いんだけど」
さらに近づいて、ライトをちゃんと当てる。
「……きのこだわ」
白い大きめのきのこが、倒木から横向きに生えていた。
俺は数秒黙ってから、声を殺して笑った。
「いや、今のはちょっと仕方なくない? 暗い中で見たらかなりそれっぽかったって。分かるだろ?」
コメント欄がまた荒れる。
きのこUMA説、帰れ、もう何でもUMAに見えてるだろ、と好き勝手言われる。いやまあ、最後のやつはちょっとそう。
「いいんだよ、こういう誤認も含めてロマンだから。大事なのは、見落とさないこと。全部気のせいにしてたら、本物がいても一生見つからんからな」
言いながら、俺はまた前を向いた。
森は静かだった。
静か、というより、音が少なすぎる気がした。
さっきまではもう少し鳥の声がしてた気がする。虫の羽音も、風で葉が鳴る音も、全部なくなったわけじゃない。でも、少し遠くなったみたいな感じがある。
俺は立ち止まるほどではなく、そのまま歩いた。
「……まあ、こういう時に限って何も出ないんだけどな」
笑って言う。
けど、その声がほんの少しだけ、自分でも思ったより軽くなかった。




