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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
第八回世界覇蹴戦_IRIS.log

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最後の一撃

 同点に追いついたあと、試合は一度だけ呼吸を変えた。


 それまでずっと前のめりだった会場が、ほんの数秒だけ息を呑む。歓声の熱も、怒鳴り声みたいな応援も、その瞬間だけ形を失う。三点差を追いついた現実に、皆まだうまくついていけてないみたいだった。


 でも、止まってたのは会場だけだ。


 天狼は止まらない。


 再開の笛が鳴った直後、あいつらはすぐに前へ出てきた。焦って雑になるんじゃない。むしろ逆だ。余計なものを削ぎ落として、一番通る形だけを選んでくる。そういう怖さがある。


「寄せろ!」

「切らすな!」

「一回落ち着け!」


 叫びながら、俺は自分の足がもうかなり危ないところまで来てるのを感じていた。腿の奥が張ってる。呼吸も浅い。視界の端が少しだけ白くなる瞬間がある。まだ動ける。けど、無限に走れる感じではもうない。


 それでも、ここで止まったら終わる。


 天狼の中盤が球を持って、中央で一回溜めた。嫌な間だった。前半から何度も見せられたやつだ。その一拍で、周りの全員が次の形を作ってくる。


 俺は食いつきすぎないように一歩だけ抑えた。

 その一歩が遅れた。


 横へ流される。

 そこからすぐに縦。

 守備が寄る。

 さらに内側。


 最後は、きれいすぎるくらいきれいに決められた。


 三―四。


 一瞬だけ、何も聞こえなくなった。


 同点の熱が、まだ身体の中に残ってる。追いついた。届いた。行けると思った。そこに、この一点だった。


 きつい。

 正直、きつすぎる。


 会場がまた割れる。天狼側の歓声が大きい。こっちの応援も消えてない。でもさっきまでの爆発みたいな勢いとは違う。追いついた奇跡が、また現実に押し返された感じが、はっきりある。


 俺は口の中を噛みしめた。

 鉄の味がした気がした。


「まだある!」


 自分でも驚くくらい、大きい声が出た。

 半分は意地だった。


「まだあるぞ!」


 誰に向けたのか分からない。味方にか、自分にか、会場にか。

 でも叫ばないと、今の一点で全部終わる気がした。


 ハヤトが前で両手を叩いてるのが見える。

 守備のやつが舌打ちしながら顔を上げる。

 ベンチからも怒鳴る声が飛ぶ。


 死んではいない。

 まだだ。


 再開してからの時間は、本当に泥だった。


 綺麗な組み立てなんて何もない。

 奪ったら前。

 こぼれたら拾う。

 詰まったら戻す。

 また前。


 俺は中盤で何度もぶつかった。相手の身体は重いし、当たりも強い。肩が入るたびに息が詰まる。球を失いそうになるたび、足を伸ばしてどうにか引っかける。格好なんか悪くていい。今さら見栄えなんてどうでもいい。


 残り時間は少ない。


 時計なんてちゃんと見てられないけど、感覚で分かる。会場のざわめき方も、ベンチの声も、全部が終わりに近づいてる時の音をしていた。


 右のやつが一回仕掛けて潰される。

 こぼれを俺が拾う。

 すぐに後ろから削られそうになって、半歩だけ身体をずらす。

 痛い。

 でも倒れたら終わる。


「ユウ!」


 左から声が飛ぶ。

 見なくても分かる。

 でもその瞬間、正面でもハヤトが走り出したのが見えた。


 俺は一回だけ呼吸を飲み込んだ。


 ここで外に逃がせば安全だ。

 でも安全じゃ勝てない。


 前を見る。

 ハヤトが一人目の裏へ入る。

 相手もついてる。

 普通なら通らない。

 でも、あいつなら届くかもしれない。


 出すか。

 いや、まだか。

 でも遅れたら終わる。


 迷いかけた瞬間、幼稚園の頃のことが、ほんとに一瞬だけ頭をよぎった。


 小さい園庭。

 でかすぎる球。

 ただ前に蹴って、ハヤトが走って、それで何か嬉しかった頃。


 そんなの、今は関係ない。

 でもたぶん、こういう時に身体が信じるのは、理屈よりそっちだ。


 俺は出した。


 斜め前へ、強すぎず弱すぎず、でも迷いのない球。

 通るかどうかじゃない。

 ハヤトが届くところへだけ出した。


 その瞬間、相手も反応してた。

 止めに来る。

 間に合いそうにも見える。


 でもハヤトは走った。


 あいつの走り方は昔から変わらない。変な力みがなくて、でも一番速いところでちゃんと足が出る。信じて出した球に、ほんとに届く走り方をする。


 足先が伸びる。

 球に触る。

 そのまま、相手より半歩だけ先に前へ持ち出す。


 会場の音が消えた気がした。


 最後の一歩で、ハヤトが振り抜く。

 身体ごと持っていくみたいな、強引な一撃だった。


 入れ。


 思ったかどうかも分からない。

 たぶん、思うより先に見てた。


 球が網を揺らした。


 四―四。


 追いついた。

 また。


 その瞬間、頭の中が本当に真っ白になった。

 何か叫んだ。

 周りも叫んでた。

 ハヤトに飛びつこうとして、でも足がもつれて、半歩遅れて、それでも肩を掴んだ。


「まだだ!」

 誰かが叫ぶ。

「まだある!」


 そうだ。まだある。


 残りは、本当に少しだった。

 多分もう、次で終わる。


 普通なら、ここで守る。

 負けないために引き分けを拾う。

 でも俺たちはそこまで器用じゃないし、ここまで来てそれを選べるほど冷たくもない。


 勝つなら今しかない。

 たぶん、全員がそう思ってた。


 再開後、天狼も最後の一撃を狙ってきた。

 王者だ。引き分けで満足する顔じゃない。

 そこがまた、腹立たしくて、でも少しだけ好きだった。


 中央で潰し合いみたいになる。

 ぶつかって、こぼれて、誰のものでもなくなる。

 そこへ、俺は身体ごと突っ込んだ。


 足先が触る。

 半端に浮いた球が、自分の前へ転がる。


 残り数秒。


 そういうのが、なぜか分かった。


 足は限界だった。

 肺も痛い。

 視界は狭い。

 でも、前だけは見えてた。


 ハヤトが走ってる。


 またかよ、と思う。

 いや、またでいい。

 最後までそれでいい。


「行けえぇ!」


 自分でも何言ってるか分からない叫びと一緒に、俺は球を出した。


 今度は、さっきよりもっと単純だった。

 余計な理屈がない。

 ただ、そこに出せばあいつが走るって、身体が知ってる場所へ通すだけ。


 ハヤトが受ける。

 相手が寄る。

 でも一歩、いや半歩だけ速い。


 振り抜く。


 入った。


 網が揺れた瞬間、ほとんど同時に終了の合図が鳴った。


 笛の音は高くて長くて、でもどこか現実感がなかった。

 会場は爆発したみたいにうるさくて、俺の耳は一瞬ちゃんと機能してなかった。

 ただ、アナウンスだけは妙にはっきり聞こえた。


 「勝者、青嵐」


 勝った。


 その言葉が頭の中に入るまで、少しだけ時間がかかった。


 次の瞬間には、誰かにぶつかられて、肩を掴まれて、押し倒されかけていた。

 ハヤトが笑ってる。

 泣いてるやつもいる。

 ベンチの連中まで飛び込んできて、もう何が何だか分からない。


「ユウ!」

「やばっ!」

「勝った!」

「マジで勝った!」


 叫び声と腕と汗と土の匂いが、一気に押し寄せる。


 俺はその真ん中で、息もろくにできないまま笑ってた。

 笑ってたし、たぶん少し泣いてた。


 ハヤトが真正面からぶつかってきた。

 そのまま俺の肩を掴んで、額がぶつかりそうなくらい近い距離で怒鳴る。


「出したな!」


「決めたな!」


「当たり前だろ!」


「遅えんだよ!」


「うるせえ!」


 意味の分からないやり取りだった。

 でもそれが一番自然だった。


 俺が決めたわけじゃない。

 最後に決めたのはハヤトだ。

 でも、最後に通したのは俺だった。


 それで十分だった。


 十分すぎるくらいだった。


 泥だらけだった。

 綺麗な試合なんかじゃなかった。

 でも、勝った。


 ずっと勝てなかった相手に。

 どうせ無理だと思われてた舞台で。

 最後の最後に、ちゃんと勝った。


 それだけで、全部報われる気がした。

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