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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
第八回世界覇蹴戦_IRIS.log

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208/258

三点差

 最初の五分で、天狼の強さは嫌ってほど分かった。


 うまいとか、速いとか、そういう言葉だけじゃ足りない。全部が早いのに慌ただしくない。奪うのも、散らすのも、詰めるのも、切り替えるのも、何をするにも迷いがない。こっちが一手考える間に、向こうはもう次の場所まで決めているみたいだった。


「寄せろ!」

「中切れ!」

「戻れ!」


 声を出す。

 でも、出しながら自分でも分かる。

 押されてる。


 中盤で球を受けても、前を向く前に二人来る。横へ逃がしても、その先でまた囲われる。後ろへ戻せば押し上げられる。視界のどこを見ても、天狼の選手が半歩先にいる感じがした。


 前半十分で先制された。


 右から崩されて、折り返されて、最後はきれいに流し込まれた。

 守備のやつが悔しそうに地面を蹴る。

 俺も中央まで戻りながら奥歯を噛んだ。


 分かってた。

 相手は強い。

 先にやられることだってある。


 でも、実際に一点入るとやっぱり腹の底が冷える。


「まだ一失点!」


 俺はすぐに叫んだ。


「次! 切り替えろ!」


 言わなきゃいけない。

 誰かが言う前に。

 空気が落ちる前に。


 その後の数分、青嵐は少しだけ持ち直した。

 ハヤトへ一回通す。

 左へ散らす。

 前線が無理やりでも運ぶ。


 けど、天狼は揺れない。


 俺たちが一本前へ出ると、その次には二本返してくる。

 焦ってるわけじゃない。

 ただ普通に、こっちの伸びた分を刈り取ってくる。


 二点目は、俺の寄せが半歩遅れたところからだった。


 中央で一瞬迷った。

 縦を切るか、横を消すか。

 その迷いの間に通された。


 止めきれなかった。

 最後はまた決められる。


 〇―二。


 会場の空気が少しだけ遠くなる。

 歓声も、実況も、全部が膜一枚向こうへ行ったみたいだった。


 俺は自分の腿を叩いた。

 迷うな。

 今のは俺だ。

 あと半歩、じゃない。迷った一瞬が全部だ。


 天狼の選手が静かに自陣へ戻っていく。

 余裕があるように見えて、余裕だけじゃない。

 この点差をどう扱えば勝てるか、もう知ってる動きだった。


 その感じが一番腹立たしい。


 前半の終わり際、三点目まで入った。


 今度は完全に崩された。

 サイドで引きつけられて、逆へ振られて、中央へ差されて、そのまま。

 綺麗すぎて嫌になる失点だった。


 〇―三。


 一瞬だけ、頭が真っ白になった。


 会場のざわめきが大きくなる。

 青嵐側の応援も、声は出ている。

 でもその中に、もう厳しいかもしれないって空気が混じってるのが分かる。


 分かるから、余計に嫌だ。


 ハーフタイムの笛が鳴った時、俺は一回もベンチを見なかった。見たら何かが切れそうな気がしたからだ。俯くのも嫌だった。だから顔だけ上げて、でも何を見てるのか自分でも分からないみたいなまま歩いた。


 控え室の空気は重かった。


 誰も喋らないわけじゃない。

 でも皆、自分の呼吸の音を聞いている感じだった。

 汗の匂い、湿った衣の感触、床へ落ちる水滴の音。そういう細かいものばっかりがやけにはっきりする。


 俺は座る前に、壁を一回だけ拳で叩いた。

 大きな音は出なかった。

 中途半端で、余計に腹が立つ。


「ユウ」


 監督の声が飛んだ。

 顔を上げる。


 怒鳴られるかと思った。

 でも監督は、いつも通り低い声で言った。


「まだ死んでない」


 その言葉だけで、部屋の空気が少し動いた。


「点差はある。だが終わってない」


 当たり前の言葉だった。

 でも、こういう時はその当たり前を誰かが口にしないと、本当に終わる。


「お前らが今見てるのは点差だ。相手もそれを見てる。だったら次の一点で変えろ」


 監督の視線が一人ずつに落ちる。


「三点差なんて、追う側からしたらただの数字だ。問題は、ここで折れるかどうかだ」


 そこで、監督は俺を見た。


「ユウ」


「……はい」


「お前が一番下向くな」


 その一言が、思ったより深く刺さった。


 自分でも分かってた。

 一番下を向きたかったのは、たぶん俺だ。


 点を取られて、止めきれなくて、中央で流れを握れなくて、相手の完成度だけがやけに目について。ここまで来たのに、やっぱり天狼には勝てないのかもしれないって、一瞬でも思った。


 それが悔しかった。


「……まだいけます」


 声が少し掠れた。

 でも言った以上は、本当にそうしなきゃいけない。


 控え室を出る前、俺は全員の顔を見た。


 苦しい顔。

 悔しそうな顔。

 でも、まだ完全には死んでいない。


「一点だ」


 俺は言った。


「まず一点返すぞ」


 誰かが小さく頷く。

 別のやつが膝を叩く。


「三点差とかどうでもいい。まず一点。次も一点。そうやって詰めるしかねえだろ」


「……おう」


「下向くな。お前ら全員、まだ走れる」


 偉そうなこと言いながら、自分にも言い聞かせていた。

 走れる。

 まだ終わってない。

 まず一点。


 後半が始まってすぐ、青嵐は前に出た。


 もう綺麗さなんか考えてる余裕はない。

 寄せる。

 奪う。

 簡単でも前へ出す。

 押し返されてもまた拾う。


 天狼は相変わらず強かった。

 でも前半ほど余裕のある顔ではなかった。こっちが死んでないと分かったからだと思う。


 後半十分過ぎ、ようやく一本入った。


 始まりは本当に泥臭かった。

 俺が中央で相手とぶつかりながら何とか球を残して、右へ転がして、そこから低い球が入る。弾かれたこぼれ球に前線が足を伸ばして、押し込む。


 綺麗じゃない。

 でも入った。


 一―三。


 その瞬間、会場の音が少しだけ変わった。

 青嵐側の声が大きくなる。

 天狼側も、少しだけざわつく。


 俺は点を取ったやつの背中を思い切り叩いた。


「まだある! もう一個!」


 喉が痛い。

 でも関係ない。


 ここからだ。

 次の一点で、本当に空気が変わる。


 相手も分かっているから、すぐに締めに来る。

 そこで潰されるのが今までの青嵐だった。


 でも今日の俺たちは、まだ終わりたくなかった。


 走る。

 削る。

 ぶつかる。

 拾う。


 気づけば、足の重さとか息の苦しさとか、そういうのをいちいち考えなくなっていた。きついのはきつい。でもその向こうにもう一点があるなら、止まる理由にはならない。


 中央で球を奪った時、俺の前にほんの一瞬だけ道が開いた。


 ハヤトが左から斜めに走る。

 見えてる。

 でも相手も切ってる。


 一拍だけ迷いかけて、俺はそのまま縦へ持った。相手が寄る。そこで逆へ散らす。左のやつが深くえぐって、中へ入れる。ハヤトが飛び込んだ。


 決まった。


 二―三。


 あと一点。


 会場が揺れる。

 青嵐のベンチが総立ちになっているのが見えた。

 天狼の選手が初めて、少しだけ速く呼吸をしていた。


 俺は腕を上げて叫んだ。


「行けるぞ!」


 本当にそう思った。

 いや、ここまで来たら思い込むしかない。


 残り時間は多くない。

 でも一点差。

 まだ届く。


 そこからの時間は、ほとんど記憶が混ざっている。


 球を追って、声を出して、身体をぶつけて、奪って、失って、また追って。全部が速くて、全部が重い。何回も足が止まりそうになった。肺も痛い。喉は潰れかけてる。


 それでも、終盤のある瞬間、俺はまた中盤で球を拾っていた。


 前を見る。

 相手が寄る。

 味方が走る。


 右へ出す。

 折り返し。

 混戦。

 こぼれる。


 最後は守備のやつが、何でそこにいるんだって位置から足を振り抜いた。


 三―三。


 同点。


 その瞬間だけ、本当に会場がひっくり返ったみたいだった。


 俺は何か叫んでたと思う。

 隣にいたやつの肩を掴んで、めちゃくちゃ揺らしていた気もする。

 誰かが俺の背中に飛びついてきて、別のやつが泣きそうな顔で笑っていた。


 でも、まだ終わってない。


 ここで浮くと死ぬ。

 天狼はそういう相手だ。


「締めろ!」


 俺はすぐに怒鳴った。


「まだ終わってねえ!」


 その通りだった。


 天狼は王者の顔で戻ってきた。

 焦りは見えた。

 でも崩れてはいない。


 そこで切り替えられるのが、あいつらの強さなんだと思う。


 試合は、まだ終わらない。

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