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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
第八回世界覇蹴戦_IRIS.log

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206/258

泥だらけの勝ち上がり

 一回勝ったくらいで、急に強くなれるわけじゃない。


 そんなの当たり前だ。


 世界覇蹴戦に出るような連中は、どこもちゃんと強い。穴がないわけじゃないけど、こっちが一つ気を抜いたら普通に刺してくる。だから青嵐の勝ち方は、だいたい綺麗じゃない。


 大差なんてそうそうつかない。

 余裕を持って終われる試合も少ない。

 ぎりぎりで追いついて、そのまま押し切るとか、守り切るとか、最後に一本通して逃げ切るとか、そういうのばっかりだ。


 でも、それでいいと思ってる。


 むしろ俺たちは、その泥臭さでしかここまで来られなかった。


 一回戦の相手は、走るチームだった。


 全員がよく動いて、前から圧をかけてきて、少しでも球を持ちすぎるとすぐ囲まれる。試合前からそういう相手だとは分かってたけど、実際にやられるとやっぱりしんどい。前半の立ち上がりから、こっちはずっと息が詰まってた。


「下げるな!」

「横見ろ!」

「焦んな!」


 声を出しながら、自分でも焦ってるのが分かる。

 球が落ち着かない。

 前が詰まる。

 後ろに戻す回数が増える。


 こういう時に一番駄目なのは、空気まで受け身になることだ。押されてる時ほど、自分たちから前に出る気配を見せないと、本当にそのまま沈む。


 だから俺は、無理やりでも声を張る。


 中盤で球を受けて、相手を一人剥がして、右へ散らす。走り込んだ味方がそのままクロスを上げる。合わなかった。相手に弾かれて終わる。決定機ですらない。でも、そういう一本で少しだけ流れが変わることがある。


「今のいい! 次もう一回!」


 俺が叫ぶと、前のやつが手を上げた。


 それだけで十分だ。

 伝わってる。

 まだ死んでない。


 前半の終わり際、ハヤトが一本決めた。


 綺麗な崩しじゃない。こぼれ球に反応して、体勢が崩れたまま無理やり叩き込んだみたいな点だった。正直、美しくはない。でも一点は一点だ。決まった瞬間、俺は一番近くにいたハヤトの背中を叩いた。


「ナイス!」


「うるせえ!」


 うるさいのはお互い様だ。


 その一点で、試合は少し楽になった。相手は前から来るしかない。来れば裏が空く。そうなれば青嵐はやれる。最後まで苦しかったけど、守備のやつらが身体張って、前のやつらも走って、何とかそのまま逃げ切った。


 試合後、皆床に座り込んでた。

 汗だくで、息上がってて、顔もひどい。

 でも笑ってる。


「死ぬかと思った……」


「まだ一回戦だぞ」


「うるさい、分かってる」


 そう言いながら、皆どこか嬉しそうだった。


 勝ちは勝ちだ。

 どんな形でも、勝つとやっぱり空気が変わる。


 次もまたぎりぎりだった。


 二回戦は逆に、守るのが上手い相手だった。引いて、待って、こっちの焦りを拾いにくる。こういう相手は嫌いだ。持たされる時間が長いと、こっちの方が先に焦れて崩れることがある。


 実際、前半のうちに一回やらかした。

 俺の縦パスが引っかかって、そのまま速攻。

 失点。


 戻りながら、頭の中で一瞬だけ真っ白になった。

 今のは完全に俺だ。

 見えてたのに急いだ。

 通したかった。

 でも雑だった。


「ユウ、切れ!」


 後ろから怒鳴られた。守備のやつの声だった。

 その通りだ。


 俺は歯を食いしばって、手を叩いた。


「まだ一失点! 下向くな!」


 言ってることは正しい。

 でもその時、一番下を向きたかったのはたぶん俺だった。


 こういうのが嫌なんだ。

 自分のミスで流れが死ぬ感じ。

 味方の顔が一瞬止まる感じ。

 空気が沈む感じ。


 それが耐えられないから、余計に声を出す。


 後半、ようやく追いついたのは、俺が中央で拾って逆へ振ったところからだった。左のやつが仕掛けて、折り返しを別の前線が押し込む。点を取ったのはそいつだし、称えられるのもそいつだ。でも起点がどうとか、そんなのはどうでもよかった。追いついた。それが全部だった。


 延長に入る前、俺は膝に手をついて息を整えた。肺が痛い。足も重い。まだ動ける。でも楽じゃない。


 横にハヤトが来た。


「お前さ」


「何だよ」


「さっきの引っかかったの、引きずってるだろ」


「引きずってねえ」


「嘘つけ」


「……うるせえ」


 バレてる。

 昔からそうだ。


「じゃあ次一本通せ」


 ハヤトが言う。


「それでチャラにしろ」


「簡単に言うな」


「簡単だろ。お前が通して、俺が決める」


 その言い方が、何か少しだけ腹立たしくて、でもちょっとだけ楽になった。


「外したら殺す」


「やってみろ」


 延長後半、ほんとにその形になった。


 俺が中盤で拾って、前向いて、相手の足が出るより先に斜めへ出す。ハヤトが走って、抜けて、決める。綺麗すぎて腹が立つくらい、いつもの形だった。


 その一点で勝った。


 俺は笛が鳴った瞬間、その場にしゃがみ込んだ。

 足がもう上がらなかった。

 でも笑ってたと思う。


 ハヤトがこっちに来て、頭を軽く叩いてきた。


「ほら、チャラ」


「まだ全然だわ」


「めんどくせえな」


「うるさい」


 そうやって二回戦を抜けた。


 ここまで来ると、周りの見方が少し変わる。どうせすぐ落ちるだろって空気が、もしかしたら、くらいにはなる。取材だって増えるし、会場で見てるやつらの声も少し変わる。


 でも、こっちはそんなの気にしてる余裕がない。


 三回戦もまた、楽じゃなかった。


 先制したのに追いつかれて、また離して、最後に詰められる。守備のやつが足つって、交代したやつが必死に埋めて、俺はもう最後の方ほとんど気合いだけで走ってた。頭の中で冷静に整理しなきゃいけないのに、体がきついと判断も鈍る。それでも止まったら終わるから、止まれない。


「戻れ!」

「まだ終わってねえ!」

「前見ろ!」


 声が掠れてくる。

 それでも出す。


 最後の数分は、本当に泥の中にいたみたいだった。綺麗な形なんか何一つなくて、蹴って、ぶつかって、こぼれて、また拾って。その繰り返し。見てる方はたぶん格好よくない。けど、そういう試合を拾えるかどうかで、ここまで来られるかが決まる。


 笛が鳴って勝った時、ベンチのやつらまで飛び出してきた。


「決勝だぞ!」

「うそだろ!」

「まだ一個ある!」


 誰かが叫んで、皆が笑って、抱きついて、押し倒しかけて、また怒鳴って。ぐちゃぐちゃだった。


 俺はその真ん中で息を切らしながら、少しだけ空を見た。

 明るい照明の向こうはよく見えない。

 でも、ここまで来たってことだけははっきりしてた。


 決勝だ。


 そこまで言葉にした瞬間、嬉しさより先に、別の重さが落ちてきた。


 相手は天狼。


 今まで一度も勝てたことがない相手。

 ハヤトが決めても、結局その上から叩き潰されてきた相手。

 何回やっても、あと一歩届かないどころか、ちゃんと差を見せつけてきた王者。


 喜んでる仲間たちの顔を見ながら、俺は少しだけ拳を握った。


 ここからだ。


 勝ち上がっただけで終わりなら、たぶん綺麗だ。

 よくやったって言われて、すごかったって言われて、胸張って帰れる。


 でも、そんな終わり方のためにここまで走ってきたわけじゃない。


 俺は決勝でも、たぶんまた走る。

 拾う。

 繋ぐ。

 声を出す。

 自分のミスに腹立てて、それでも前を向く。


 そうやって最後の一点まで通す。


 相手が天狼でも関係ない。

 いや、関係ある。めちゃくちゃある。怖いし、重いし、正直しんどい。


 それでも、やるしかない。


 控え室へ戻る途中、ハヤトが俺の横に並んだ。


「顔やばいぞ」


「お前もな」


「決勝だな」


「だな」


 そこで少し黙って、あいつが珍しく真面目な声で言った。


「やっとここまで来たな」


 その言葉だけで、幼稚園の土の匂いとか、小さいコートとか、負けた日の帰り道とか、どうでもいいぐらい昔の景色が少しだけ頭をよぎった。


「まだ終わってねえよ」


 俺が言うと、ハヤトは笑った。


「分かってる」


 分かってる。

 俺も、あいつも。


 ここまで来ただけじゃ足りない。

 俺たちはまだ、ちゃんと勝ってない。

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