泥だらけの勝ち上がり
一回勝ったくらいで、急に強くなれるわけじゃない。
そんなの当たり前だ。
世界覇蹴戦に出るような連中は、どこもちゃんと強い。穴がないわけじゃないけど、こっちが一つ気を抜いたら普通に刺してくる。だから青嵐の勝ち方は、だいたい綺麗じゃない。
大差なんてそうそうつかない。
余裕を持って終われる試合も少ない。
ぎりぎりで追いついて、そのまま押し切るとか、守り切るとか、最後に一本通して逃げ切るとか、そういうのばっかりだ。
でも、それでいいと思ってる。
むしろ俺たちは、その泥臭さでしかここまで来られなかった。
一回戦の相手は、走るチームだった。
全員がよく動いて、前から圧をかけてきて、少しでも球を持ちすぎるとすぐ囲まれる。試合前からそういう相手だとは分かってたけど、実際にやられるとやっぱりしんどい。前半の立ち上がりから、こっちはずっと息が詰まってた。
「下げるな!」
「横見ろ!」
「焦んな!」
声を出しながら、自分でも焦ってるのが分かる。
球が落ち着かない。
前が詰まる。
後ろに戻す回数が増える。
こういう時に一番駄目なのは、空気まで受け身になることだ。押されてる時ほど、自分たちから前に出る気配を見せないと、本当にそのまま沈む。
だから俺は、無理やりでも声を張る。
中盤で球を受けて、相手を一人剥がして、右へ散らす。走り込んだ味方がそのままクロスを上げる。合わなかった。相手に弾かれて終わる。決定機ですらない。でも、そういう一本で少しだけ流れが変わることがある。
「今のいい! 次もう一回!」
俺が叫ぶと、前のやつが手を上げた。
それだけで十分だ。
伝わってる。
まだ死んでない。
前半の終わり際、ハヤトが一本決めた。
綺麗な崩しじゃない。こぼれ球に反応して、体勢が崩れたまま無理やり叩き込んだみたいな点だった。正直、美しくはない。でも一点は一点だ。決まった瞬間、俺は一番近くにいたハヤトの背中を叩いた。
「ナイス!」
「うるせえ!」
うるさいのはお互い様だ。
その一点で、試合は少し楽になった。相手は前から来るしかない。来れば裏が空く。そうなれば青嵐はやれる。最後まで苦しかったけど、守備のやつらが身体張って、前のやつらも走って、何とかそのまま逃げ切った。
試合後、皆床に座り込んでた。
汗だくで、息上がってて、顔もひどい。
でも笑ってる。
「死ぬかと思った……」
「まだ一回戦だぞ」
「うるさい、分かってる」
そう言いながら、皆どこか嬉しそうだった。
勝ちは勝ちだ。
どんな形でも、勝つとやっぱり空気が変わる。
次もまたぎりぎりだった。
二回戦は逆に、守るのが上手い相手だった。引いて、待って、こっちの焦りを拾いにくる。こういう相手は嫌いだ。持たされる時間が長いと、こっちの方が先に焦れて崩れることがある。
実際、前半のうちに一回やらかした。
俺の縦パスが引っかかって、そのまま速攻。
失点。
戻りながら、頭の中で一瞬だけ真っ白になった。
今のは完全に俺だ。
見えてたのに急いだ。
通したかった。
でも雑だった。
「ユウ、切れ!」
後ろから怒鳴られた。守備のやつの声だった。
その通りだ。
俺は歯を食いしばって、手を叩いた。
「まだ一失点! 下向くな!」
言ってることは正しい。
でもその時、一番下を向きたかったのはたぶん俺だった。
こういうのが嫌なんだ。
自分のミスで流れが死ぬ感じ。
味方の顔が一瞬止まる感じ。
空気が沈む感じ。
それが耐えられないから、余計に声を出す。
後半、ようやく追いついたのは、俺が中央で拾って逆へ振ったところからだった。左のやつが仕掛けて、折り返しを別の前線が押し込む。点を取ったのはそいつだし、称えられるのもそいつだ。でも起点がどうとか、そんなのはどうでもよかった。追いついた。それが全部だった。
延長に入る前、俺は膝に手をついて息を整えた。肺が痛い。足も重い。まだ動ける。でも楽じゃない。
横にハヤトが来た。
「お前さ」
「何だよ」
「さっきの引っかかったの、引きずってるだろ」
「引きずってねえ」
「嘘つけ」
「……うるせえ」
バレてる。
昔からそうだ。
「じゃあ次一本通せ」
ハヤトが言う。
「それでチャラにしろ」
「簡単に言うな」
「簡単だろ。お前が通して、俺が決める」
その言い方が、何か少しだけ腹立たしくて、でもちょっとだけ楽になった。
「外したら殺す」
「やってみろ」
延長後半、ほんとにその形になった。
俺が中盤で拾って、前向いて、相手の足が出るより先に斜めへ出す。ハヤトが走って、抜けて、決める。綺麗すぎて腹が立つくらい、いつもの形だった。
その一点で勝った。
俺は笛が鳴った瞬間、その場にしゃがみ込んだ。
足がもう上がらなかった。
でも笑ってたと思う。
ハヤトがこっちに来て、頭を軽く叩いてきた。
「ほら、チャラ」
「まだ全然だわ」
「めんどくせえな」
「うるさい」
そうやって二回戦を抜けた。
ここまで来ると、周りの見方が少し変わる。どうせすぐ落ちるだろって空気が、もしかしたら、くらいにはなる。取材だって増えるし、会場で見てるやつらの声も少し変わる。
でも、こっちはそんなの気にしてる余裕がない。
三回戦もまた、楽じゃなかった。
先制したのに追いつかれて、また離して、最後に詰められる。守備のやつが足つって、交代したやつが必死に埋めて、俺はもう最後の方ほとんど気合いだけで走ってた。頭の中で冷静に整理しなきゃいけないのに、体がきついと判断も鈍る。それでも止まったら終わるから、止まれない。
「戻れ!」
「まだ終わってねえ!」
「前見ろ!」
声が掠れてくる。
それでも出す。
最後の数分は、本当に泥の中にいたみたいだった。綺麗な形なんか何一つなくて、蹴って、ぶつかって、こぼれて、また拾って。その繰り返し。見てる方はたぶん格好よくない。けど、そういう試合を拾えるかどうかで、ここまで来られるかが決まる。
笛が鳴って勝った時、ベンチのやつらまで飛び出してきた。
「決勝だぞ!」
「うそだろ!」
「まだ一個ある!」
誰かが叫んで、皆が笑って、抱きついて、押し倒しかけて、また怒鳴って。ぐちゃぐちゃだった。
俺はその真ん中で息を切らしながら、少しだけ空を見た。
明るい照明の向こうはよく見えない。
でも、ここまで来たってことだけははっきりしてた。
決勝だ。
そこまで言葉にした瞬間、嬉しさより先に、別の重さが落ちてきた。
相手は天狼。
今まで一度も勝てたことがない相手。
ハヤトが決めても、結局その上から叩き潰されてきた相手。
何回やっても、あと一歩届かないどころか、ちゃんと差を見せつけてきた王者。
喜んでる仲間たちの顔を見ながら、俺は少しだけ拳を握った。
ここからだ。
勝ち上がっただけで終わりなら、たぶん綺麗だ。
よくやったって言われて、すごかったって言われて、胸張って帰れる。
でも、そんな終わり方のためにここまで走ってきたわけじゃない。
俺は決勝でも、たぶんまた走る。
拾う。
繋ぐ。
声を出す。
自分のミスに腹立てて、それでも前を向く。
そうやって最後の一点まで通す。
相手が天狼でも関係ない。
いや、関係ある。めちゃくちゃある。怖いし、重いし、正直しんどい。
それでも、やるしかない。
控え室へ戻る途中、ハヤトが俺の横に並んだ。
「顔やばいぞ」
「お前もな」
「決勝だな」
「だな」
そこで少し黙って、あいつが珍しく真面目な声で言った。
「やっとここまで来たな」
その言葉だけで、幼稚園の土の匂いとか、小さいコートとか、負けた日の帰り道とか、どうでもいいぐらい昔の景色が少しだけ頭をよぎった。
「まだ終わってねえよ」
俺が言うと、ハヤトは笑った。
「分かってる」
分かってる。
俺も、あいつも。
ここまで来ただけじゃ足りない。
俺たちはまだ、ちゃんと勝ってない。




