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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
青春と霧_IRIS.log

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202/258

今日も誰かといる

 その週の終わり、講義が早く終わった日のことだった。


 昼から曇っていた空は、夕方になる頃には完全に白く濁っていて、街全体が少しだけぼやけて見えた。雨が降るほどではないけど、空気は湿っている。こういう日は、人の輪郭まで薄く見える気がする。


 放課後、俺は流れで数人と駅前へ行くことになった。


 流れ、というのは本当に便利だ。

 誰かが「どうする?」と言って、別の誰かが「行く?」と返して、その場にいるやつが何となくまとまる。そこに俺がいても不自然じゃない。むしろ自然だ。いつものことみたいに混ざれる。


 今日は六人だった。


 全員と仲が悪いわけじゃない。むしろ普通に話せるし、笑えるし、一緒にいて気まずくもない。だから店に入って席を分ける時も、俺は自然にその輪の中へいた。


「何頼む?」


「適当でいいや」


「ユウ甘いやつ好きそう」


「何だよそれ」


「何となく」


 そんな会話をして、笑って、注文して、飲み物が来るまで端末をいじって、誰かが昨日見た動画の話を始めて、別のやつがその流れで教師の真似をして、皆で笑う。


 楽しい。

 ちゃんと楽しい。


 そこに嘘はない。


 俺はたぶん、この手の時間が嫌いじゃない。

 誰かと一緒にいて、会話が適当に流れて、たまに笑いが起きて、沈黙もそんなに重くない。そういう時間は普通に好きだ。


 なのに、その“普通に好き”って感覚の下に、何か薄いものがずっと残ってる。


 飲み物が半分くらい減った頃、話題が急に変わった。


「そういえばさ」


 一人が声を少し落として、向かいのやつを見た。


「お前ら、結局どうなったの」


「何が」


「とぼけんなって」


 そこで、何人かが同時に笑った。


 俺もつられて少し笑ったけど、話の前提が分からなかった。

 何となく、前から続いてる話なんだろうなってことだけは分かる。


「いや、別にそんなんじゃないって」


「またまた」


「いやマジで」


 周りは面白がってる。

 その空気に合わせるのは別に難しくない。

 でも、この笑いの芯がどこにあるのかは、俺には見えてない。


 それから話は、いつの間にか“昔からのノリ”みたいな方へ流れていった。


「お前、あの時もそうだったじゃん」

「懐かし」

「いや、あれほんと最悪だった」

「でも結局毎回ああなるよな」


 皆が笑う。

 名前が飛ぶ。

 前にも聞いたことがあるような話が混じる。

 けど、どの出来事も俺は直接は知らない。


 無視されてるわけじゃない。

 誰かが気を遣って説明してくれることもある。

 でも、説明された時点でそれはもう違う。


 最初から共有されてる温度には入れない。


「ユウは知らんか、この話」


 一人がそう言ってこっちを見た。

 言い方は軽い。悪気もない。


「知らん」


「だよな、まだその時いなかったし」


 まだその時いなかった。


 何でもない一言だった。

 でもそれで、俺がこの場に“今はいるけど、最初からいたわけじゃない”のがきれいに見える。


 別に怒ることじゃない。

 当然の話だ。

 人にはそれぞれ前からの関係があるし、俺だって全部に入り込めるなんて思ってない。


 それでも、その一言のあと少しだけ、自分の笑い方が分からなくなった。


 話はそのまま続いていく。

 俺は適当に相づちを打って、たまに笑って、説明されたところでは一応「へえ」とか「それはきついな」とか返す。


 ちゃんとそこにいる。

 空気も壊してない。

 浮いてもいない。


 でも、中心から少しだけ遠い。


 それが途中から、やけにはっきり見えた。


 店を出る頃にはすっかり暗くなっていた。

 外は思ったより寒くて、何人かが肩をすくめる。

 駅へ向かう途中も、皆まださっきの話の続きをしていた。


 改札の前で自然に流れが分かれる。

 方向の同じやつ同士でまとまって、手を振って、またな、と言い合って別れる。


 俺もその中で誰かと一緒に歩き出した。


 隣のやつが、何となく今日の話の続きみたいなことを言う。


「いやでも、あいつらほんと長いよな」


「そうなんだろうな」


「もう家族みたいなもんじゃね」


「かもな」


 その“長い”の中に俺はいない。

 “家族みたい”の外側に俺はいる。


 なのに今こうして、一緒に歩いてる。


 不思議でも何でもない。

 そういう薄い繋がりがいくつもあるから、俺は一人にならずに済んでる。


 でもたぶん、それだけでもある。


 駅で別れて、家に帰って、夕飯を食って、部屋に戻る。

 端末を見れば、会話欄はいくつも動いていた。


 さっき撮った写真が送られてくる。

 誰かが「今日ありがと」と書く。

 別のところでは夜の通話に入るか聞かれてる。

 仮想空間の遊びの方でも、今から来るならまだいる、と短い連絡がある。


 俺は少しだけ迷ってから、通話の方に入ることにした。


 理由なんてない。

 何となくだ。


 通話に入ると、すぐに何人かの声が重なった。


「ユウ来た」

「おつ」

「今日どうだった?」


 どうだった、と聞かれても、別に何か特別なことがあったわけじゃない。

 だから俺はいつも通り、適当に面白そうなところだけ拾って返す。


「普通。まあ人多かった」


「それな」


「今日だるかったわ」


 また会話が回り始める。

 誰かが喋って、誰かが笑って、沈黙は長く続かない。

 その中にいれば、一人じゃない感じはする。


 それでたぶん、十分なはずだった。


 でも、ふと声が遠くなる瞬間がある。


 俺がここで何を言っても、ちゃんと受け取られる。

 いなくても、そのうち誰かが埋める。

 いても不自然じゃない。

 でも、いなくなっても世界はそのまま進む。


 それって別に、俺に限った話じゃないのかもしれない。

 人間関係なんて大体そんなものかもしれない。


 でも“友達”って言葉を考えると、急にそこだけ輪郭が変わる。


 話せる相手。

 一緒にいる相手。

 暇つぶしできる相手。

 笑い合える相手。


 それはいる。

 ちゃんといる。


 じゃあ、友達は?


 その問いは、妙にまっすぐすぎて答えにくい。


 通話は深夜まで続かなかった。

 今日は皆どこか疲れていて、切り上げるのも早かった。


「じゃ、おつ」

「またな」

「明日どうする?」


 そういう軽いやり取りで終わる。

 俺も「また」と返して切る。


 部屋が静かになる。


 静かになった途端、今日一日の輪郭が少し薄くなる。

 駅前で笑ったことも、昔話の輪に入れなかったことも、帰り道で誰かと歩いたことも、全部まだ覚えてる。

 でも、どれも強くは残らない。


 たぶん明日も、また誰かと話す。

 明後日もそうだ。

 それで日々はちゃんと埋まっていく。


 埋まっていくのに、どこにも積もらない。


 俺は布団の上に横になって、端末を胸の横へ置いた。

 通知が一つ鳴る。

 別の会話欄だ。

 開けばまた誰かがいる。


 少しだけ迷ってから、俺はそれを開いた。


 短いやり取りをして、返事をして、向こうが笑ったような文を送ってくる。

 俺もそれに返す。


 それでまた、誰かと繋がる。


 窓の外はぼんやり白い。

 街の灯りが湿った空気に滲んで、輪郭が溶けて見える。


 霧みたいだと思った。


 何も見えないわけじゃない。

 ちゃんとそこにある。

 でも遠くまでははっきりしない。

 近くにいるものの形も、少しずつ曖昧になる。


 たぶん俺の人間関係も、ずっとそんな感じなんだろう。


 それでも、完全な一人ではない。

 今だって誰かの返事がある。

 名前を呼ばれれば返せる。

 笑えば、向こうも笑う。


 だから俺は今日も、誰かのいる方へ手を伸ばす。


 居場所はない。

 それでも――


 今日も誰かと一緒にいる。

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