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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
青春と霧_IRIS.log

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200/258

画面の向こうでも

 現実だけで足りない時は、別の場所へ行けばいい。


 そういう逃げ方ができる時代でよかった、と本気で思うことがある。


 学校が終わっても、家に帰っても、誰かと繋がる方法はいくらでもある。端末を開けば連絡はつくし、通話もできるし、仮想空間の中に入れば誰かしらいる。昔のことは知らないけど、今は一人になろうと思わない限り、一人でいる時間なんていくらでも薄められる。


 俺はたぶん、その使い方に慣れてる。


 夜、課題を適当に片づけてから端末を触る。会話欄はいくつか動いていて、昼に会ったやつらのどうでもいい話もあれば、前に別の場所で繋がった相手からの短い連絡もある。そこへ返事をしながら、別の端末で仮想空間の遊びを立ち上げる。着替えるみたいに向こうの姿になって、いつもの場所へ行く。


 そこにも人はいる。


 現実とは少し違う名前で呼び合って、少し違う見た目で笑ってる。けど中身が全部別人かって言うと、そうでもない。現実で話しやすいやつは、こういう場所でも大体話しやすいし、空気の読み方が下手なやつは向こうでもやっぱり少し浮く。


 だから結局、人間関係の仕組み自体はそんなに変わらない。


「ユウ、遅かったな」


 空間に入った瞬間、向こうで手を振ってきたやつがいた。

 俺も軽く手を上げる。


「風呂入ってた」


「またかよ」


「まただよ」


 それだけで会話は始まる。

 笑いが起きる。

 何人かがこっちを見る。


 ここでは学校のことを知らないやつもいるし、逆に昼間の俺を知ってるやつも少しだけいる。全部が混ざってる感じがちょうどいい。現実のどこか一つに属してる感じは薄いけど、その分どこかに固定されない。


 そういう軽さが好きだ。


 皆で遊びの中の適当な場所へ集まって、だらだら喋る。誰かが変な動きをして笑わせて、別の誰かが今見てる動画の話をして、その流れで別の話題へ飛ぶ。現実より会話の飛び方が雑で、その雑さが楽な時もある。


 俺はそこでも、うまくやる。


 相手の言いたいことを拾う。

 笑うところで笑う。

 話しやすそうなやつには少し多めに返す。

 黙りそうなやつがいたら、空気が止まらない程度に話を振る。


 別に気を遣ってるつもりはない。

 そうした方が回るから、そうしてるだけだ。


「ユウって、どこにでもいるよな」


 その言葉を、その日二回目に聞いた。


 今度は仮想空間の中で、少し年上の声が笑いながらそう言った。

 周りも「分かる」とか「それな」とか適当に乗る。


「そうか?」


「そうだろ。あっちこっち顔出してるし」


「まあ、暇なんだよ」


「絶対違う」


 皆が笑う。

 俺も笑う。


 軽口としては何もおかしくない。

 ここでもやっぱり、悪い意味じゃない。

 感じがいいとか、話しやすいとか、そういうのに近い扱いなんだと思う。


 けど、“どこにでもいる”って言葉はやっぱり少しだけ引っかかる。


 どこにでもいる。

 つまり、ここだけのやつではない。


 逆に言えば、ここにもちゃんといるけど、ここだけに属してるわけでもない。

 それを器用さと見るか、薄さと見るかはたぶん人による。


 しばらくして、空間の中での遊びに飽きた連中が、そのまま通話へ流れた。移動しながら、何となく人数が絞られていく。こういう時も、俺は特に困らない。残ってもいいし、流れてもいい。どっちへ行ってもそれなりに喋れる。


 今日は通話の方へ移った。


 向こうへ入ると、さっきまでより人数が少ない。声だけになると、空気は少し濃くなる。笑い方とか、黙るタイミングとか、そういう細かいところが現実に近くなるからだ。


「てかさ」


 一人が急に声の調子を変えた。

 ふざけた感じじゃなくなる。


「最近ちょっときつくて」


 それまで適当に笑ってた空気が、少しだけ静かになった。


 こういう時の空気の変わり方は分かる。

 皆、急に本気の話に足を踏み入れる準備をする。

 軽く流すのも違うし、重くしすぎても違う。そのちょうどいいところを探る感じ。


「何が?」


「家。親がちょっとうるさくて」


 そこから、相手はぽつぽつ喋り始めた。進路のこと、家の空気、最近あんまり寝れてないこと。どれも大げさじゃない。でも、軽口の延長で話すようなことでもない。


 俺は一応、ちゃんと聞いてた。

 聞いてたし、言葉も返した。


「しんどいな、それ」

「でもまあ、完全に無視もできないしな」

「誰かに話せるなら話した方がいいと思う」


 間違ったことは言ってないと思う。

 実際、相手も「だよな」とか「まあな」とか返してた。


 でも途中で、俺は自分の声が急に薄く感じた。


 たぶん俺は、正しいことっぽい言葉を返してるだけだった。

 空気に合う返し。

 重すぎず、軽すぎず、相手が黙り込まない程度の温度。


 それはきっと必要だ。

 こういう時、場を壊さないやつは大事だし、変に気の利いたことを言おうとして滑るよりはずっといい。


 けど、それ以上でもなかった。


 その後、別のやつが自分の話を始めた。

 前からの知り合いらしく、さっきのやつよりずっと踏み込んだ言い方をする。


「お前、前もそうだったじゃん」

「無理すると急に黙るし」

「一回ちゃんと切れよ、そういうの」


 言い方は雑だけど、近い。

 俺にはできない種類の言葉だった。


 その瞬間、俺は自分が今ここに“いる”だけなんだなって、少し分かった気がした。


 話は聞ける。

 返事もできる。

 場にも残れる。


 でも、こいつらの間に最初からある積み重ねの中には入っていない。だから俺の言葉は、きれいに薄い。


 通話はその後また軽い話へ戻って、最後にはいつも通り笑って終わった。

 誰も気まずくはならなかったし、空気も悪くならなかった。

 それはたぶん良かったんだと思う。


 でも切れたあとに残ったのは、少しだけ変な静けさだった。


 深い話に混ざれなかったとか、そういう言い方だとたぶん違う。

 混ざってはいた。

 ちゃんと相づちも打ったし、返事もした。


 ただ、残り方が違った。


 向こうの何人かにとっては、さっきの話はたぶん明日も少し残る。

 気になるし、続きを聞くかもしれないし、言った方も言われた方も少しは覚えてる。


 でも俺の中では、あのやり取りはもう半分くらい薄くなっていた。

 大事じゃないわけじゃない。

 ただ、俺自身がそこに深く引っかかってない。


 あるいは逆で、向こうの中にも俺の言葉はあまり残ってないのかもしれない。

 正しいことを言っただけの声なんて、だいたいそうだ。


 翌日、学校でその通話にいたやつの一人を見かけた。廊下の向こうで、別の連中と話している。俺に気づいて手を上げたから、俺も軽く上げ返した。それだけだった。近づいて昨日の続きになる感じでもないし、向こうも別にそれを求めてない。


 それで何もおかしくない。

 たぶん普通だ。


 普通なんだけど、何かが少しだけ分かる。


 画面の向こうでも、やっぱり同じなんだ。


 歓迎はされる。

 いれば楽しい。

 話もできる。

 笑いも取れる。


 でも、いなくなった時に強く残るわけじゃない。

 切れたら終わる。

 次に入ればまた始まる。


 それは便利だし、楽でもある。

 でも、その軽さに頼りすぎると、どこにも根が生えない。


 昼休み、俺は中庭の端で一人で飲み物を飲んでいた。


 別に誰とも食べる相手が見つからなかったわけじゃない。今日は何となく、教室のざわつきに入るのが面倒だっただけだ。数分もすれば、どこかへ戻れる。戻ろうと思えば、たぶんすぐに。


 でもベンチに座ってる間、ふと思った。


 現実でも、画面の向こうでも、俺はちゃんと人と繋がってる。

 なのに、それが全部少しずつ薄い。


 薄いのに、切れてはいない。

 切れてないから、一人だとも言い切れない。


 その半端な感じが、最近は少しだけ息苦しい。


 空は明るかった。

 風はまだ少し冷たい。

 中庭では別のグループが写真を撮ってる。誰かが笑って、誰かが名前を呼んで、何でもない昼休みが過ぎていく。


 俺もたぶん、あと少ししたら誰かの輪に戻る。

 戻れば普通に喋れる。

 何も問題ない顔で、ちゃんとそこにいられる。


 そういう自信はまだある。


 でも、その“まだ”がいつまで続くのかは、少し分からなくなってきていた。

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