どこにも属していない
次の日の昼は、廊下側の列の後ろだった。
昨日とは違うやつらと、違う話をして、違う笑い方をしてる。別に意識して切り替えてるわけじゃない。向こうが出してくる温度に合わせてるだけだ。だから疲れるかって言われると、そうでもない。むしろ一つの場所に居続けて、その空気にずっと耐える方がきつい。
「ユウってさ、どこにでもいるよな」
パンの袋を開けながら、隣のやつがそんなことを言った。
「何それ」
「いや、褒めてる。顔広いじゃん」
「広くはないだろ」
「広いって。何か、誰とでも話してるイメージあるわ」
そう言われて、俺は曖昧に笑った。
悪い意味じゃない。たぶん本当に褒めてるんだろう。誰とでも話せる。感じがいい。ノリが悪くない。そういうのは、ちゃんとプラスの評価だ。
だから普通なら、嬉しくてもいいはずだった。
でもその「どこにでもいる」が、少しだけ耳に残った。
どこにでもいる。
言い換えれば、どこか一つにいるわけじゃない。
その場では何も考えなかったふりをして、俺は適当に別の話題へ流した。話題をずらすのは得意だ。向こうが笑いやすい方へ、空気が止まらない方へ、自然に持っていく。そういうことをしてると、会話は大体うまくいく。
うまくいくけど、何がうまくいってるのか分からなくなる時がある。
午後の休み時間、前の方の席にいる女子二人が、週末の話をしていた。
聞こえるつもりはなかったけど、教室は狭いし、笑い声はよく通る。
「え、来れるのあの三人だけ?」
「うん、でもたぶん大丈夫。いつもの感じだし」
「ユウとか呼ばないの?」
その名前が出た瞬間だけ、俺は無意識に耳を立てた。
「んー、ユウは……何か違くない?」
「分かる」
二人はそのまま別の話へ移った。
悪口でも何でもない。声の調子も軽かった。たぶん深い意味はない。
でも、違くない? っていうあの一言だけで、何となく分かった気がした。
俺は誘えないやつじゃない。
いてもおかしくないやつでもある。
でも、“いつもの感じ”の中にはたぶん入ってない。
それは別に珍しいことじゃない。昨日駅前にいた五人だって、俺がいなくても成立してた。たまたま流れでそこにいたし、次もたぶん誘われる。けど最初から中心にいるわけじゃない。
そういうのは前から知ってた。
知ってたはずなのに、こうやって言葉にされると少しだけ輪郭が出る。
放課後、教室を出るタイミングで、後ろの方から声が飛んだ。
「ユウ、帰る?」
「ん、帰る」
「途中まで一緒でいい?」
「いいよ」
それで俺はまた誰かと一緒になる。
嫌われてるわけじゃない。むしろ声はかかる。こういう“途中まで”とか、“ついでに”とか、“今ちょうどいたから”みたいな繋がりはちゃんとある。
階段を下りて、昇降口で靴を履き替えて、門を出るまでの間に、相手は部活の話をして、教師の愚痴を言って、途中で別の知り合いを見つけてそっちへ手を振った。俺もつられて少し笑う。会話は切れない。気まずくもならない。
でも、駅へ向かう交差点で相手が「あ、俺こっち」と言った瞬間、そこで全部きれいに終わった。
「じゃあまた明日」
「おう、また」
また。
その軽さは便利だ。
次が確定してなくても言えるし、別に次がなくても変じゃない。
人間関係って、大体そういう曖昧な言葉で繋がってる。
俺は一人になって、歩きながら端末を見た。会話欄はいくつか動いてる。誰かが写真を送ってきて、別のところでは短い動画が流れて、夜の通話の時間を聞いてるやつがいる。返せる相手はいる。話せる相手もいる。
なのに、ふとした瞬間に思う。
俺、今どこにいるんだろうな、って。
教室の後ろにもいられる。
窓際にもいられる。
廊下側にもいられる。
帰り道も、夜の通話も、仮想空間の遊びも、一応どこでも入れる。
でも「じゃあお前はどこなの」って聞かれたら、少し困る。
家に帰ってから、机の上に放ってあった写真立てを何となく見た。前に学校行事で撮った集合写真だ。皆が雑に肩を組んで、何人かは変な顔して、何人かは目を閉じてる。俺もそこに写ってる。端じゃないけど真ん中でもない。笑ってはいる。楽しそうにも見える。
でもその写真を見て、そこに写ってる誰が俺の友達かと考えると、少し止まる。
話せるやつはいる。
気まずくないやつもいる。
遊べるやつもいる。
でも“友達”って言葉を置くと、急に境目が曖昧になる。
変な話だ。
普段はそんなこと考えないのに、こういう時だけ言葉がやたら重くなる。
夜、約束してた通話に入ると、向こうはもう何人か揃っていた。笑い声が重なってて、その中へ自分の声を混ぜるまでに数秒だけかかる。けど、混ざってしまえば普通だ。
「お、ユウ来た」
「来た来た」
「今日遅くね?」
「ちょっとだけ」
それだけで居場所っぽいものはできる。
少なくとも、その瞬間だけは。
誰かがゲームの話をして、別のやつが変な失敗を笑って、俺も適当に突っ込む。沈黙はない。話題も困らない。何なら教室より楽な時もある。顔が見えない分、合わせる場所が少なくて済むから。
でも、通話ってたまに不思議だ。
声だけだと、近い感じがする。
同じ空気の中にいるみたいに錯覚する。
深夜だと特にそうだ。静かな部屋で、耳のすぐ近くに誰かの笑い声があると、一人じゃないみたいな気がする。
それなのに、切れた瞬間、何も残らない。
その夜も、皆で笑って、どうでもいい話をして、気づけば日付が変わる少し前になっていた。
「じゃ、そろそろ落ちるわ」
「おつ」
「また明日なー」
「おやすみ」
いつもの流れで終わる。
俺も「おやすみ」と言って、通話を切った。
部屋が急に静かになる。
耳の中だけが、さっきまでの声をうっすら覚えてる。
でもそれも、数分で消える。
机の前に座ったまま、俺はしばらく動かなかった。
さっきまで誰かといた。
今も会話欄を開けば、たぶん誰かは返してくる。
明日も教室へ行けば、話す相手はいる。
昼だって、一緒に食うやつは見つかる。
なのに、この静けさはいつも同じだ。
埋まらない、とまでは言わない。
そんな大げさなものでもない気がする。
ただ、薄い。
全部が少しずつ薄い。
笑ったことも、話したことも、誘われたことも、写真に写ったことも、今この手の中にある会話欄も。
ある。
ちゃんとある。
でも、強くは残らない。
俺は端末を開いて、動いてるやり取りをぼんやり見た。
スタンプみたいな短い返事。
写真への反応。
今度どこ行く、みたいな軽い話。
全部、普通だ。
普通に人と繋がってるように見える。
たぶん実際、繋がってもいる。
でも、どこにも属してないっていう感覚だけが、たまに霧みたいに残る。
はっきり見えるわけじゃない。
でも、消えもしない。
俺は端末を伏せて、天井を見た。
部屋の明かりは少し白すぎて、夜にはあんまり合わない。
明日になれば、また誰かと話す。
それでたぶん、今日のこの感じも少し薄くなる。
そうやってずっとやってきた。
たぶん明日も同じだ。
それでいい。
少なくとも、一人よりは。
そう思って、目を閉じた。




