エピローグ
気高いことと、正しいことは、いつも同じではありません。
美しいことも、同じです。
飾ることは、はじめは必要だったのでしょう。
綻びを見せれば、そこから崩される。
弱っていると知られれば、奪われる。
それはたぶん、間違いではありません。
けれど、必要だったものは、ときどき形を変えます。
守るためのものだったはずが、やがて手放せないものになる。
隠すためのものだったはずが、見たいものだけを見るための幕になる。
そうして、人は少しずつ、周囲の輪郭を取りこぼしていく。
彼女も、きっとそうでした。
民を知らなかったわけではありません。
飢えを聞かなかったわけでもありません。
苦しみがあることを、見えていなかったわけでもない。
ただ、それらを見たまま、なお選び続けた。
王として。
国のために。
気高くあるために。
その選択が正しかったのかは、もう誰にも決められません。
広場で石を投げた者たちが、すべて正しかったわけではないのでしょう。
最後まで喚かなかった女王が、すべて美しかったわけでもないのでしょう。
けれど、人はよく、ひとつの姿だけを見て決めてしまいます。
堂々としているから立派なのだと。
飢えているから哀れなのだと。
怒っているから正しいのだと。
喚かないから気高いのだと。
そうして、その周りにあったものを、少しずつ見落としていく。
飾りの向こうにあった飢え。
怒りの向こうにあった疲弊。
気高さの向こうにあった麻痺。
見苦しさの向こうにあった切実さ。
ええ。
どれも、最初からそこにあったのでしょう。
ただ、きちんと見られないまま、終わってしまっただけで。
ですから――
あなたは、周りをきちんと見ている?




