エピローグ
紙は残る。
言葉も、残ることがある。
けれど、残ったものが、そのまま全てではありません。
誰かが見たもの。
誰かが聞いたもの。
誰かが書いたもの。
誰かが、書かなかったもの。
それらは同じ場所に並べられた時、ようやく一つの形を持つように見えます。
けれど実際には、そのどれもが少しずつ欠けていて、少しずつ滲んでいて、少しずつ他の何かを混ぜています。
記憶は、静かに形を変えます。
噂は、もっと軽やかに姿を変えます。
記録でさえ、残し方によって、いくらでも違う顔をする。
綺麗に揃った真実というものは、案外、そうして後から整えられたものなのかもしれません。
彼は、あの事件を記事にしませんでした。
書けなかったからではありません。
むしろ、書けてしまったからでしょう。
悲恋にもできました。
歪な依存にもできました。
周囲の無関心が生んだ悲劇にもできました。
どれも、それらしく見えました。
どれも、少しずつ違っていました。
どれも、欠けた部分を埋めていました。
ひとつ書けば、ひとつの形が残ります。
残った形は、次にそれを見る誰かにとって、きっと“そういう事件だったもの”になります。
それは、とても静かな上書きです。
事実は、案外弱いものです。
人の中に置かれた瞬間から、解釈に触れます。
記憶に触れます。
都合に触れます。
優しさや悪意に触れます。
そして少しずつ、元の輪郭を失っていく。
もちろん、それは特別なことではありません。
誰もがそうしています。
見たものに意味を足し、聞いたものの前後を埋め、覚えていたはずのものを、覚えやすい形へ並べ直す。
あなたも、きっと。
それでも、人は残そうとします。
書き留めようとします。
忘れないように、形にしようとします。
その行為自体は、間違いではありません。
ただ、残したものがそのまま事実であり続けるとは限らない。
それだけのことです。
欠けたところは埋められます。
埋められたところは馴染みます。
馴染んだものは、最初からそこにあったような顔をします。
そうして、継ぎ接ぎの境目は見えなくなる。
ええ。
とても自然に。
ですから――
あなたは、事実だけを残しておける?




