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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
継ぎ接ぎだらけの証拠資料_IRIS.log

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書けてしまう真実

 翌朝、俺は資料室ではなく自分の机に座った。


 取材メモと切り抜きのコピー、それから例の綴じ込み資料を抱えて編集部の端の席に腰を下ろす。出勤してきたばかりの空気はまだ重たく、誰も本格的には喋っていない。キーボードを叩く音と、電気ポットが沸く音だけが静かに混ざっていた。


 こういう時は、いったん書いてみるのが早い。


 頭の中でぐるぐるしているものも、文字にして並べれば輪郭が出る。足りないところも、強引につなげてしまっているところも、紙に落ちた方がよく見える。少なくとも、そう信じて記者をやってきた。


 だが今回は、その作業自体が気持ち悪かった。


 俺は新規ファイルを開いて、仮の見出しを打つ。


 若い恋人たちを襲った悲劇の真相――


 そこで手が止まった。

 真相、という言葉がやけに白々しい。


 消す。


 次に、少し温度を下げた書き出しを置く。


 数年前、この町で若い同居人二人が死亡した事件は、当時“無理心中”として広く報じられた。


 ここまでは書ける。

 事実としても大きく外していない。


 続ける。


 残された資料や当時を知る人々の証言からは、互いに強く依存し合い、周囲から孤立していった二人の姿が浮かぶ。


 その一文を打ち終えた瞬間、俺は眉をしかめた。


 浮かぶ、じゃない。

 浮かばせている。


 俺が、そう読める証言ばかりを今ここに並べているからだ。


 バックスペースで消す。


 今度は別の角度を試す。


 人懐っこく世話焼きだったレイと、無口で生活を支えていたトワ。二人は互いを必要としながら、次第に閉じた関係へと沈んでいった可能性がある。


 さらに気持ち悪い。

 “人懐っこく世話焼き”も、“生活を支えていた”も、どちらも断片的な証言をそのまま人物像にしているだけだ。しかも“閉じた関係へと沈んでいった”なんて、ほとんど小説の文句だ。


 俺は両手で顔をこすった。


 机の端には、昨日作った四つの山がある。

 事実に近そうなもの

 解釈が強いもの

意味はあるが宙ぶらりんなもの

何を指すか不明なもの


 その分類すら俺の都合だ。

 それでも、分類しないと書けない。

 書こうとする時点で、もう取捨選択は始まっている。


 俺はあえて、一本目の“もっともらしい記事”を作ることにした。

 どこまで自然に書けてしまうのか、確認したかった。


 見出しを打ち直す。


 「離れられなかった二人」 継ぎ接ぎの記録が語る若い恋人たちの破綻


 俗っぽい。だが、載せようと思えば載せられる。

 読者もたぶん読む。

 俺は自分でその嫌らしさを感じながら、文を続けた。


 レイの通院歴の要約。

 買い物を担っていたという近隣住民の話。

 トワが生活の名義人だった契約更新の紙。

 “また仲直りしたらしい”と書かれた写真の裏。

 “一人にしておいたら何するか分からない、でも一緒にいたら息が詰まる”という出所不明のメモ。


 それらを順番に差し込む。

 少し接続詞を足し、少し表現を柔らかくし、少しだけ意味を誘導する。


 すると、驚くほど綺麗に一本の話になる。


 不安定なレイ。

 責任を抱え込むトワ。

 互いに相手を必要とし、周囲から離れていく二人。

 何度かの衝突と仲直り。

 支えと息苦しさを同時に抱えた果ての破綻。


 出来が良いかどうかは別として、“読める”。

 少なくとも人は、なるほどと思いながら最後まで読むだろう。


 そして、それがいちばん嫌だった。


 俺はその原稿を眺めたまま、しばらく動けなかった。


 間違っている、と断言はできない。

 そこに並べた断片は、全部この束の中に実際にあった。

 完全な嘘は一つも書いていない。


 なのに、限りなく嘘くさい。


 正確には、事実の形をした解釈の寄せ集めだ。

 都合のいい断片を拾って、都合の悪い断片を脇へ避けている。

 たとえばレイを“世話焼き”と見る証言は入れたが、“距離が近い”“必要とされる位置に入るのが上手い”という棘は弱めた。

 トワを“生活を支える側”にはしたが、“自分がいないと駄目だと思っていたかもしれない”という支配性の影はぼかした。

 両依存の厄介さを、悲劇の読みやすさに変換している。


 そして何より、欠けている部分を“きっとこうだろう”で埋めていた。


 ここまで確認して、俺は原稿を複製した。

 別名保存して、もう一本作る。


 今度は逆へ振ってみる。


 レイを“相手の中に必要な立場を作る人間”として描く。

 トワを“静かに見えて関係を手放さない人間”として置く。

 悲恋ではなく、互いに相手を役割として抱え込んだ関係の閉塞として組み直す。


 見出しも変える。


 必要とされることに縋った二人――若い同居人死亡事件をめぐる記録


 こっちはこっちで、簡単に書ける。


 レイの“放っておけない”振る舞い。

 トワの契約名義。

 “止めるのに慣れている”という証言。

 “自分がいないと相手が駄目”という走り書き。


 少し並べ替えただけで、まるで別の事件になる。


 片方が寄りかかっていた悲恋ではなく、

 互いに必要な役を手放せなかった関係。

 支えと支配の境目が曖昧な共犯関係。

 ここまで来ると、“破綻した恋人たち”というより、“崩れるべくして崩れた閉鎖系”みたいな記事になる。


 それも、また“読める”。


「……何だそれ」


 思わず声が漏れた。


 一本目と二本目。

 どちらも資料に基づいている。

 どちらも露骨な捏造ではない。

 どちらも、それなりに筋が通る。


 なのに、二つはかなり違う。


 どちらかが完全に正しいとは思えない。

 どちらかが完全に間違っているとも言い切れない。

 その曖昧さのまま、どちらも“記事”として成立してしまう。


 午前の会議が終わった頃、隣の席の若手がコーヒーを持って戻ってきて、俺の画面を横目で見た。


「また重そうなのやってますね」


「古い事件」


「スクープ?」


「全然」


「じゃあ何でそんな顔してるんですか」


「何でも記事になるなと思って」


 若手は笑った。


「それ、記者として一番怖いやつじゃないですか」


「そうだよ」


 俺がそう返すと、若手は少しだけ真顔になって「まあ、ほどほどに」とだけ言って自席へ戻った。


 ほどほどに、か。

 たぶん一番難しい。


 昼過ぎ、俺は三本目の“記事”を作った。

 今度はもっと露骨に、社会的な語り口へ寄せる。


 周囲の孤立。

 支援の不在。

 異変に気づけなかった地域。

 若年層のメンタル不調。

 寄り添いの不足。


 いわゆる、事件の背景に社会を置く書き方だ。


 こうすると、個々の証言の曖昧さはむしろ都合がいい。

 “詳細はなお不明だが、こうした関係性を支える仕組みがなかった可能性もある”

 “地域の中で変化を受け止める余地が乏しかったことも背景にあるのではないか”

 そういう便利な文がいくらでも挟める。


 しかも、この書き方がいちばん“まとも”に見える。

 誰か個人を断罪しないし、悲恋として消費しすぎてもいない。

 冷静で、社会派で、真面目な記事に読める。


 でも、中身は同じだった。


 分からない部分を、分かる言葉で囲っているだけだ。


 俺は三本並んだ原稿ファイルを見た。


 悲恋として読ませる一本。

 相互依存として読む一本。

 社会の問題へ接続する一本。


 全部、それなりに書ける。

 全部、それなりにもっともらしい。

 全部、たぶん読者に“分かった気”を与えられる。


 そして全部、足りていない。


 俺は綴じ込み資料をもう一度めくった。

 出所不明のメモ。

 欠けた封筒。

 下半分が読めない診療記録。

 “花”とだけ残ったレシート。

 “また仲直りしたらしい”の裏書き。

 そのどれも、意味を持ちそうで、実際には意味が宙に浮いている。


 そこへ、午後になって一本の電話が入った。


 昨日あたった喫茶店の店主からだった。


「ひとつ、思い出したことがあって」


 静かな声だった。


「レイがね、一回だけ言ったのよ。“あの人、私がいなくても平気そうに見えるでしょ”って」


「それは昨日も」


「その続きがあったの。思い出した」


 俺は椅子に座り直し、受話器を肩で挟んでメモを取る。


「“でも、放っておいたら、ほんとに一人でどこか行っちゃいそうで怖い”って」


 俺は一瞬、言葉が出なかった。


「それは、どういう文脈で」


「知らない。コーヒー淹れながらぽつっと言っただけ。こっちも深く聞かなかったし。あの時はただの惚気みたいにも聞こえたから」


 惚気。

 その一語だけで、また意味が変わる。


「それ、重要だと思いますか」


「重要かどうかは知らない。でも、昨日あんたの顔見てたら、思い出した方がいい気がしたの」


「ありがとうございます」


 電話を切ってから、俺はしばらくメモを見つめた。


 放っておいたら、ほんとに一人でどこか行っちゃいそうで怖い


 この一文は、いくらでも読める。


 愛情深い不安。

 支えたい欲求。

 置いていかれる恐れ。

 相手を繋ぎ止めたい執着。

 あるいは、ただの気の利いた比喩。


 もしこれを記事に入れれば、一本目はもっと悲恋らしくなる。

 二本目に入れれば、レイの執着はもっと濃くなる。

 三本目に入れれば、“助けを求められない若者たち”の話にも接続できる。


 つまり、この一文は何の決定打にもならない。

 むしろ、どの解釈にも都合よく使える。


 俺はそこでようやく、はっきり分かった。


 真実に近づいていない。

 真実に近づいた気になれる材料ばかり増えている。


 机の上の原稿を全部閉じて、最初のファイルを開き直す。

 見出しの下へカーソルを置いて、最初から読み返した。


 事実に見える。

 ちゃんとして見える。

 だがどの文にも、目に見えない接着剤が塗ってある。

 “だから”“つまり”“次第に”“可能性がある”。

 その小さな継ぎ目で、俺は断片を無理やり一つの形にしていた。


 人はきっと、こうやって覚えるんだろう。

 見たこと。聞いたこと。残っていたこと。

 そのままではばらばらで気持ち悪いから、つなげる。

 前後を足して、意味を置いて、輪郭を滑らかにする。

 そして、つなぎ目の存在を忘れる。


 忘れたころには、それが“事実”の顔をしている。


 夕方、俺は原稿の冒頭にだけ一行打ち込んだ。


 これだけあれば、記事は書ける。だからこそ、書けない。


 その文を見て、すぐに消した。

 記事の書き出しとしては弱いし、説明的すぎる。

 でも今の気分には、いちばん近かった。


 結局、その日のうちに原稿は一本も出さなかった。

 ファイルだけが三つ残った。どれも完成手前で止まっている。


 退勤前、俺はその三本のファイル名を変えた。


 案A_悲恋

 案B_相互依存

 案C_社会背景


 あからさまで、少し笑えてくる。

 同じ事件から、同じ断片で、こんなに簡単に三つの“真実”ができる。


 パソコンの電源を落とす前に、俺は最後のメモを手帳へ書いた。


 書けるものと、書いていいものは違う


 その下へ、もう一行。


 決定打が来ても、たぶん同じだ


 それは半分予感で、半分確信だった。

 この事件には、最後に一つ何か足されたところで、全部が綺麗に定まる日は来ない。


 もし定まったように見えるなら、それはたぶん、誰かが継ぎ目を丁寧に隠しただけだ

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