継ぎ接ぎの資料
取材に出ない日は、資料室に籠もることにした。
結局こういうものは、最後に紙へ戻ってくる。誰かが何を見て、何を覚えて、何を忘れたのか。その手前にあるはずのもの。残されて、削られて、書き換えられて、それでもなお残ったもの。人の話を聞けば聞くほど、むしろ最初からそこにあった紙の方が気になってくる。
資料室の空気は、朝でも少し湿っていた。換気の悪い場所特有の、紙と埃の重たい匂いがする。蛍光灯の白い光の下で、俺は例の束を机の上に広げた。
トワ・レイ事案 関連
誰が作ったのか分からない綴じ込み資料。何度もホチキスを外して綴じ直した跡がある。紙の大きさも厚みも揃っていない。新聞の切り抜き、社内メモ、聞き書きの写し、どこから持ってきたのか分からない写真のコピー、裏の薄い診療明細みたいな紙、途中で破れた封筒。資料というより、回収しきれなかった断片をまとめて押し込んだ袋みたいだった。
俺はまず、全部を時系列に並べ直すところから始めた。
やってみると、それだけでかなり面倒だった。日付がきちんと読めるものは少ない。新聞記事ですら端が切れていて年月が欠けているものがある。手書きメモに至っては、そもそもいつ書かれたのか分からない。
それでも、印刷の古さや紙質、使われている言葉、記事の前後の内容から何となく順番を見ていく。こういう作業は嫌いじゃない。情報が増えるより前に、情報の欠け方が見えるからだ。
午前中いっぱい使って、おおまかな山を三つに分けた。
一つ目は、事件発生直後の記事と警察発表の要約。
二つ目は、近隣や勤務先への聞き取り。
三つ目は、それ以外の私的な断片。
問題は三つ目だった。
他の二つは、雑でも一応“仕事として作られた紙”だ。だから抜けや偏りがあっても、何を目的に作られたかは分かる。だが私的な断片は違う。誰が何のために残したかが曖昧なぶん、そこにある意味も読み手が勝手に足しやすい。
最初に手に取ったのは、ひどくぼやけた写真のコピーだった。
何度も複写されたらしく、顔はほとんど潰れている。若い男女が道端に立っている。トワとレイだろう、と推定できるだけだ。二人の距離は近いようにも見えるし、ただ狭い歩道で並んでいるだけにも見える。視線の向きも判然としない。笑っているようにも、そうでないようにも見える。
裏のメモは前にも見た。
また仲直りしたらしい
鉛筆で、急いで書いたような字。
この“らしい”が曲者だった。
俺は写真を机の中央に置いて、手帳に一行書く。
「仲直り」自体が伝聞。喧嘩していた事実すら未確認。
そう書いても、写真の印象は変わらない。
見る人間の頭の中では、もう勝手に前後が出来てしまう。喧嘩した二人。どちらかが折れた。あるいは片方が謝った。周囲はそれを見て、また元に戻ったらしいと囁いた。
だが本当のところ、その写真に写っているのは“並んで立っている二人”以上でも以下でもない。
次に出てきたのは、封筒の切れ端だった。差出人も宛名も途中で欠けている。中身はない。ただ、裏返した時に糊の近くへ小さく書き込まれた文字が見えた。
今度こそ話す
それだけだった。
話す。
何を。誰が誰に。
別れ話かもしれない。
金のことかもしれない。
家族のことかもしれない。
あるいは本当に些細な、冷蔵庫を買い替える話ですらあり得る。
なのに、事件資料の束の中に混ざっているというだけで、これも簡単に不穏な意味を纏う。俺はそれが嫌で、しばらく紙片を裏返したまま置いた。
紙の束の中ほどに、コピーの黒い筋だらけのメモが挟まっていた。見出しは潰れて読めないが、途中の数行だけ辛うじて追える。
……レイ、通院歴あり……
……継続的なものかは不明……
……本人談、不眠と食欲低下……
これもまた、事件の形を綺麗にしやすい断片だった。
不眠。食欲低下。通院歴。ここからいくらでも“壊れかけた恋人”の像が作れる。
だが同じ紙の下半分は黒く潰れていて読めない。
そこに何が書かれていたかで、意味は大きく変わるはずだった。
単なる一時的な不調かもしれない。
事件と無関係の身体症状かもしれない。
逆にもっと深刻な話だったかもしれない。
不都合なのは、読めない部分があるのに、人は読める部分だけで平気で線を引けることだ。
俺はコピーの端に付いた番号を追って、社内の旧保管データを漁った。元になった紙が残っていればと思ったが、見つかったのはさらに要約された一覧だけだった。
レイ/診療関連記録確認済(原本回収不可)
それだけだ。
何を確認したのかも、なぜ原本が回収不可だったのかも分からない。
「雑すぎるだろ……」
独り言が漏れる。
隣の棚の奥から、もう一枚、別の紙が出てきた。薄いレシートのコピーらしい。インクが掠れ、店名も品名もほとんど飛んでいる。ただ、日付だけは読めた。事件の一週間ほど前。購入品目の最後に、ぎりぎり一つだけ単語が残っていた。
花
花。
何の花かも分からない。一本か、束かも分からない。誰が買ったかも不明だ。
だがそれだけで、人はすぐ意味を付ける。
仲直りの印かもしれない。
別れ話の前触れかもしれない。
記念日だったのかもしれない。
葬りたい何かの埋め合わせだったのかもしれない。
俺はレシートを見つめながら、少しだけ笑いそうになった。
ここまで来ると、もう滑稽だ。
花、という単語一つで、どれだけもっともらしい話が立ち上がるのか。
しかも、そのどれも完全には否定できない。
昼過ぎ、編集長が差し入れの缶珈琲を持ってきた。
「まだやってんのか」
「まだです」
「それ、そんなに面白い?」
「面白いというか、気持ち悪いです」
編集長は缶珈琲を机に置いて、広げた紙をざっと見た。
「気持ち悪い?」
「資料が、都合よく欠けてるんです」
「都合よく」
「読めるところだけ読むと、いくらでも悲劇に寄せられる。でも肝心なところは大体抜けてる」
編集長は「へえ」とだけ言って、写真のコピーを指で軽く叩いた。
「それで、お前は何にしたいの」
「まだ決めてません」
「決めてから調べるなよ」
「分かってます」
編集長は短く笑った。
「そういう顔してる時は、たいてい危ないからな」
危ない、というのは分かる気がした。
こういう時、記者はつい“線”を見たくなる。散らばった点を繋いで、筋の通った一本にしたくなる。資料の欠けは、その邪魔をするというより、むしろ想像で埋める余白として働いてしまう。
編集長が出ていったあと、俺は缶を開けて一口飲んだ。ぬるい。だが少しだけ頭が戻る。
次に出てきたのは、聞き取りの下書きらしい紙だった。正式な原稿ではなく、取材中の走り書きをそのまま打ち直したようなもの。文が整っていない分、むしろ生っぽい。
・レイ、泣くの早い?
・トワ、黙ると何考えてるか分からない
・どっちも「相手がいないと駄目」ではなく「自分がいないと相手が駄目」?
・依存というより役割固定か
そこで俺は手を止めた。
これは大きい。
“相手がいないと駄目”ではなく、“自分がいないと相手が駄目”。
似ているようで、全然違う。
前者は弱さの話だ。
後者は必要とされる立場の話になる。
もし二人とも後者だったなら、この関係はかなり厄介になる。
相手を失うのが怖いというより、相手の中で自分が持っている役目を失うのが怖い。支える側でいたい。止める側でいたい。頼られる側でいたい。そういう立場同士が噛み合っていたなら、離れにくいのは当然だった。
さらに紙を追う。
今度は角の折れた小さなメモ帳のコピー。罫線の上に、短い文が二つだけ残っていた。
一人にしておいたら何するか分からない
でも一緒にいたら息が詰まる
どちらが書いたのか、いつ書いたのかは不明。
トワかもしれないし、レイかもしれないし、全く別の誰かの聞き書きかもしれない。
だが、この二文だけで関係の輪郭が一気に立ち上がる。
一人にしておけない。
でも一緒にいると息が詰まる。
これは恋愛にも、保護にも、支配にも、責任感にも読める。
どこへでも滑っていく。
俺はメモをしばらく眺めたあと、意地の悪い気分になって、逆向きに考えてみた。
もしこれが事件と無関係の話だったらどうだ。
たとえば仕事の後輩のことかもしれない。
家族かもしれない。
病気の猫かもしれない。
文だけなら、いくらでも意味は変わる。
だが“トワ・レイ事案関連”の束に入っているというだけで、読み手は勝手に二人へ結びつける。
資料の怖さはそこだ。
残っているから信用するのに、残り方そのものがもう偏っている。
夕方近く、ようやく一つだけ比較的まともな資料が見つかった。
賃貸契約更新に関する事務的な紙のコピーだ。住所、契約期間、名義、連絡先。余計な感情の入る余地がない。
そこに記載されていた名義は、トワだった。
生活面を支えていたのはトワではないか、という元同僚の話と繋がる。だが、それもまた決定打にはならない。名義人が家計を主に担っていたとは限らないし、ただ手続きに向いていた方の名前が入っていただけかもしれない。
それでも俺はその紙を別の山へ移した。
少なくともこれは、“読みやすい悲劇”ではなく、生活の実務に近い記録だった。そういうものの方が、むしろ関係の実態に触れていることがある。
日が落ちるころには、机の上に小さな山がいくつも出来ていた。
事実に近そうなもの
解釈が強いもの
意味はあるが宙ぶらりんなもの
何を指すか不明なもの
だがその分類自体が、結局は俺の解釈でしかない。
そのことに気づくと、少し笑えてくる。
帰る前、俺はもう一度、全部の紙を見渡した。
写真。
封筒の切れ端。
通院歴の要約。
花とだけ残ったレシート。
走り書きのメモ。
契約更新の紙。
これだけあれば、記事は書ける。
いや、かなり“読ませる記事”が書ける。
不安定なレイ。
生活を支えるトワ。
互いに離れられない関係。
繰り返される衝突。
支えと息苦しさの同居。
最後には破綻した共依存。
並べれば、いかにもそれらしい。
たぶん読者も納得する。
けれど、並べるたびに何かが零れる。
誰が書いたか分からないメモ。
文脈のない断片。
事件とは無関係かもしれない紙片。
読めない下半分。
欠けた宛名。
“らしい”という伝聞。
それらを黙って踏み越えれば、綺麗な話は完成する。
俺は一番上の紙に鉛筆で小さく書いた。
欠けた部分が多すぎる
そして少し考えて、すぐ下にもう一行足す。
それでも書けてしまう
それが、たぶん一番気味が悪かった。
資料室の電気を消す前、最後に一枚だけ、別の写真を見つけた。
前のものよりさらに不鮮明で、室内で撮られたらしい。机の端、カップ、紙袋、誰かの手。顔は写っていない。裏には何も書かれていない。
ただ、その机の上に置かれた紙袋の持ち手に、小さな花柄が見えた。
昼に見たレシートの花という単語が、勝手に頭の中で結びつく。
でも、それを結んだのは俺だ。
資料がそう言ったわけじゃない。
俺は写真を伏せた。
人は、残っているものから事実を拾う。
だが同時に、残っていないものを勝手に埋める。
その埋め方に、自分の癖が出る。
優しい話にしたい人間は優しい方へ寄せる。
悲劇が好きな人間は、壊れる前兆ばかり拾う。
加害者を探したい人間は、支配の証拠を読む。
救えなかった物語にしたい人間は、助けを求める声を想像する。
俺もたぶん、そのどれかだ。
机の上のメモ帳を閉じる前に、明日の欄へ短く書いた。
一度、記事の形を作ってみる
たぶん、それをやらないと見えない。
何を拾えば、どんな真実が出来上がってしまうのか




