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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
継ぎ接ぎだらけの証拠資料_IRIS.log

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古い事件

 最初にまともに読めた記事は、地方欄の小さな扱いだった。


 見出しはぼやけていたが、本文はまだ追える。


 町内アパートで若い男女二人が倒れているのが見つかった。現場の状況から、警察は無理心中の可能性も含めて調べている。


 短い。驚くほど短い。これだけなら、よくある初報だ。場所、年齢、おおよその関係性。あとは続報で肉がつく。事件というのはたいていそうやって、最初は骨だけ見せられる。


 次の切り抜きでは、骨にそれらしい肉が貼られていた。


 同居していた若い男女。

 近隣住民の話では、二人は恋人同士とみられる。

 日頃から二人で行動することが多く、親しい様子だった。

 周囲とあまり交流がなく、閉鎖的な関係だった可能性もある――


 閉鎖的。

 そういう言葉は便利だ。


 二人だけでいることが多い、と言えばそれだけなのに、閉鎖的と書いた瞬間、息苦しさや異常さの匂いがつく。もちろん、それが的外れだとは言わない。けれど、そういう一語が人の印象をどう変えるかを、俺は知っている。


 さらに次の記事では、もっと分かりやすくなっていた。


 “離れられなかった二人”

 “依存関係の末の悲劇か”


 そこで俺は小さく息を吐いた。


「早いな」


 誰に言うでもなく呟く。

 たった数本の記事で、もう物語の形になっている。


 若い恋人。

 閉じた関係。

 依存。

 破綻。

 悲劇。


 綺麗に並んでいる。綺麗すぎるくらいだ。


 資料の中には、社内メモらしい紙も混じっていた。誰かが取材先を箇条書きにしている。


 近隣住民数名 / 大家 / 勤務先関係 / 搬送先病院はコメント不可 / 過去トラブル有無確認


 横に、丸で囲った小さな書き込み。


 恋愛ものとして読ませやすい


 俺はその紙をしばらく見たまま動かなかった。


 書いた人間の顔は知らない。もうここにいないのかもしれない。だが、その一言に含まれている軽さはよく分かる。読ませやすい。つまり、人が理解した気になりやすい形だ。恋愛のもつれ、依存、心中。どれも見慣れた記号だし、読者はそこに勝手に感情を流し込める。


 事件は扱いやすくなる。


 人も、扱いやすくなる。


 束の奥に、聞き取りを書き起こした紙があった。誰の話か分かるように、頭に小さく肩書きが打たれている。


 近隣住民・女性


 > いつも一緒にいましたよ。

 > 本当に、いつ見ても二人で。

 > 仲は良さそうでした。少なくとも外から見る限りでは。

 > でも、ちょっと気になるくらい、二人だけって感じだったかなあ。

 > あまり人付き合いもしてなかったし。


 それらしい証言だった。

 たしかに、記事にしやすい。


 別の紙。


 大家の親族


 > 家賃の支払いは滞っていなかった。

 > 生活が荒れているような印象も特になかった。

 > ただ、片方が出てきて応対することが多かった。

 > もう片方はあまり喋らない印象。


 片方。どちらのことだ。

 書き起こしにはそこが抜けている。あるいは、元から曖昧だったのかもしれない。


 別の切り抜きでは、二人の名前がようやくはっきり出ていた。


 トワ(当時二十四)

 レイ(当時二十二)


 年齢だけ見れば、まだ若い。若い、というだけで悲劇の輪郭は濃くなる。未来があったのに、というお決まりの感情を人は乗せやすいからだ。


 ただ、資料を追っていくうちに、どうにも引っかかるものがあった。


 ある記事ではレイが“献身的”と書かれている。

 別の記事ではトワが“精神的に不安定だった可能性”と書かれている。

 ところが別のメモでは、逆向きの矢印がついていた。


 実際にはトワの方が生活面を支えていた?


 疑問符つきだ。


 誰かが取材の途中で書いたのだろう。

 けれど、それだけで印象は簡単に反転する。


 レイが尽くしていたのか。

 トワが支えていたのか。

 依存していたのはどちらなのか。

 あるいは、そういう分け方自体が最初から間違っていたのか。


 資料の束をめくる手が、少しだけ真面目になる。


 仕事としては、ここで終えてもよかった。古い事件を掘り返したところで、大きな価値があるわけでもない。今の紙面に載せるには地味だし、下手に扱えば遺族や関係者に迷惑がかかる。第一、もう何年も前の話だ。


 それでも、気になった。


 理由は単純だった。

 この事件は、最初から“読める話”になりすぎている。


 しかも、その読める話の輪郭が、資料ごとに少しずつ違う。


 俺は机の上に切り抜きを並べた。


 無理心中。

 依存関係。

 閉鎖的な恋人同士。

 献身。

 不安定。

 悲劇。


 それらしい言葉が散らばっている。

 けれど、どの言葉も誰かの解釈に見えた。事実そのものというより、事実を説明しやすくするための貼り紙みたいだった。


 昼休みが終わる頃、編集長が資料室を覗きに来た。


「シオン、終わりそうか」


「半分くらいです」


「急ぎの仕事じゃないけど、来週には棚空けたいからな」


「分かってます」


 編集長は俺の机の上の紙束に目を留めた。


「何だ、それ」


「古い事件の関連資料です。たぶん昔、誰かが追いかけかけてやめたやつです」


「へえ」


 興味なさそうに一枚だけ切り抜きを見て、すぐ戻す。


「こういうの、好きだよなお前」


「好きっていうか」


「顔がそうなってる」


 否定しきれず、俺は曖昧に笑った。

 編集長はそれ以上何も言わずに出ていく。足音が遠ざかって、また資料室は静かになった。


 俺は一番上の写真を取り上げる。

 コピーが荒くて、二人の表情は分からない。並んで立っている、それだけだ。距離が近いようにも見えるし、ただ狭い道に寄っているだけにも見える。


 写真の裏の文字を、もう一度読む。


 また仲直りしたらしい


 また、ということは、その前に何かがあったのだろう。


 喧嘩かもしれない。

 別れ話かもしれない。

 ただ口を利かなかっただけかもしれない。


 “仲直り”と書いた人間が、何を見てそう判断したのかも分からない。二人が並んで歩いていたからそう思っただけかもしれないし、誰かにそう聞いただけかもしれない。


 なのに、その一文は強い。

 読む人間の頭の中に、簡単に前後を作ってしまう。


 俺はその紙束を軽く叩いて揃えた。


 この資料を作った誰かも、たぶん同じところで止まったのだろう。断片はある。繋げようと思えば繋げられる。けれど、その繋ぎ目が本当に正しいのかは分からない。だから途中で手が止まる。


 俺は手帳を開き、小さく名前を書いた。


 トワ

 レイ


 その下に、思いつく限りの確認先を並べる。


 近隣住民

 当時の勤務先

 大家関係

 古い交友関係

 過去記事の執筆者不明


 最後に少し迷ってから、一行足す。


 世間が覚えている話と、実際に残っている記録の差


 書いたところで、自分で少しだけ可笑しくなった。ずいぶん真面目だ。単なる整理仕事のつもりだったのに、もう取材の癖が出ている。


 だが、古い事件というのはそういうものかもしれない。

 もう触れられないと思っていたものほど、紙の向こうで妙に静かに待っている。


 誰かが言ったこと。

 誰かが見たと言ったこと。

 誰かが書き残したこと。

 誰かが書かなかったこと。


 そのどれが事実に近くて、どれがもう噂なのか。

 今さら確かめたところで、綺麗な答えが出るとは思わない。


 それでも俺は、資料を鞄に移し始めていた。


 少しだけ、確かめてみようと思った。


 世間が“よくある悲劇”として飲み込んだ二人が、本当にそういう形をしていたのかどうか。


 あるいは、その形に見えてしまっただけなのかを。

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