貝がらだけが残る
その晩、村では遅くまで宴の声がしていた。
俺は戻らなかった。
入り江の岩にもたれて、空が暗くなるのを見ていた。潮は満ちて、昼より高く足もとを濡らした。海は何事もなかったような顔で、静かに息をしていた。
懐には、ナギにもらった貝がらがいくつも入っていた。
薄青いもの。
桃色の縁のもの。
指で撫でると少し音の鳴る小さなもの。
ひとつ取り出すたび、ナギの声がよみがえった。
きれい。
それでいい。
シンが呼んで。
俺は一度も呼べなかった。
花はもう渡せない。海に向かっても届かない。貝がらだけが手元に残って、軽いくせに妙に重かった。
帰れば、きっと連中は笑っている。珍しかった、うまかった、効きそうだ、縁起がいい。そんな言葉が飛び交っているはずだった。明日になれば噂はもっと広がるだろう。隣村へ、港へ、都へ。人魚が獲れた。食べた。女のような顔をしていた。白い花がよく似合っていた。
その中で、俺だけが知っている。
あれが、花を喜ぶ女だったことを。
指の傷を痛がったことを。
火を見てみたいと、そう言ったことを。
海の色を語る声が、静かでやわらかかったことを。
俺だけが知っていて、だから何も変えられなかった。
夜が深くなっても、涙は出なかった。泣いたところで戻るわけでもないし、海が答えるわけでもない。波はただ寄せて返すだけだった。
東の空が少し白みはじめたころ、俺はようやく立ち上がった。掌には貝がらの跡がくっきりとついていた。
最後に一度だけ、海を見た。
呼ばなかった。
もう呼べなかった。
ただ、白い花だけは二度と摘むまいと思った。




