波打ち際のひと
次の日も、俺は同じ浜へ出た。
別に会いに行ったわけじゃない、と自分には言い聞かせていた。網の様子を見るついでだとか、波の具合を確かめるだけだとか、理由はいくらでもつけられた。
だが、姿を探していたのは本当だった。
彼女はいた。昨日より少し沖の岩陰に寄りかかるようにして、海を見ていた。俺に気づくと、尾びれがひとつゆるく揺れた。
「来た」
「たまたまだ」
「ふうん」
嘘だとばれているような返事だった。
俺が近づくと、彼女は昨日もらった花を手にして見せた。少ししおれていたが、まだ捨ててはいなかった。
「これ、好き」
「すぐ枯れるぞ」
「でも、咲いてた」
その言い方が妙にまっすぐで、俺は何も返せなくなった。
彼女の名はナギといった。俺が名乗ると、ナギは「シン」と小さく繰り返した。波の音に混じって、その呼び方だけがやけに耳に残った。
「おまえは、ずっとこの辺にいるのか」
「たぶん、シンが思ってるより広いところにいる」
「じゃあ、なんでこんな浅いとこまで来る」
「静かだから」
少し間を置いてから、ナギは付け足した。
「それに、きみがいるから」
胸の奥が、変なふうに熱くなった。
その日は長くは話さなかった。互いの名前を知って、少しだけ笑って、それだけだった。けれど帰るころには、昨日とは違っていた。波打ち際に人魚がいた、という奇妙な出来事ではなく、ナギというひとりの相手に会ったのだという感覚が、もう俺の中にあった。




