プロローグ
腹が減る、というのは嫌な言葉だと思う。
腹が減ると、頭の中まで痩せていく。
立派なことも、綺麗なことも、正しいことも、みんな少しずつ薄くなる。
それでも俺は、正しいことをしていれば、いつか何かが変わるんじゃないかと思っていた。
そうでも思っていないと、生きていけなかっただけかもしれない。
俺には名前がない。
呼ばれる時は、おい、とか、ガキ、とか、そんなもので十分だった。
寝る場所も決まっていない。
屋根のあるところに潜り込めたら運がいいし、追い出されたら路地で丸くなる。
朝になれば、腹が減る。昼になっても減る。夜にはもっと減る。
野良猫に混じって飯を食う毎日だ。
腐りかけの野菜くず。
誰かが捨てた硬いパン。
骨の周りに、まだ少しだけ肉が残っていることもある。
猫が唸れば譲るし、噛みつかれそうなら逃げる。猫だって生きてる。俺だって生きてる。それだけだ。
この街では、盗むやつが多い。
殴るやつも多い。
騙すやつなんて、数えるのも馬鹿らしいくらいいる。
だからこそ、俺はずっと思っていた。
誰かが落としたものは返すべきだし、弱いやつから奪うのは間違っているし、悪いことをするやつは止めなきゃいけない。
そういうのは、別に偉いことじゃない。
ただ、そうしないと、自分まで同じになる気がした。
あの日も、俺は腹を空かせながら、泥と煤にまみれた通りを歩いていた。
それが、全部の始まりだった。




