血塗れの家
その家は、どこにでもある家だった。
少なくとも、現場見取図と検分記録から私が受けた印象はそういうものだった。通りから少し引っ込んだ位置に建ち、小さな庭があり、裏手には物置がひとつ。玄関を入ればすぐに居間があり、奥に台所、二階には家族四人の寝室。裕福ではないが、貧しすぎもしない。慎ましく、普通で、だからこそ記録の上でも説明しやすい家だった。
普通の家に、普通の家族が暮らしていた。
父。母。まだ幼い娘。息子。
そして、全員が死んでいた。
最初にその報告書を読んだ時、私は手を止めなかった。止めてはいけないと思っていたわけではない。ただ、こうしたものにいちいち心を奪われていては仕事にならない。死体の数、傷の位置、血痕の広がり、家具の倒れ方。そうしたものを順に追っていくうち、感情は自然と遠のいていく。
居間には父親。玄関から数歩入った位置で倒れていた。侵入者を止めようとしたのだろう、と検分記録にはある。腕に防御創。首元に深い傷。床板へ広く血が流れている。
台所には母親。倒れた椅子。割れた皿。壁際に擦れたような痕。こちらも抵抗の跡が認められるとある。
二階。娘は寝台の脇。息子は部屋の入口近く。
私はそこまで読み進めてから、一度だけ目を閉じた。眠気を払うためだ。書かれていることは十分に鮮明で、わざわざ想像を重ねる必要はない。判決記録補佐に求められるのは、哀れむことではなく、取り違えないことだ。
私は頁を捲った。
発見者は隣家の住民だった。朝になっても家の扉が半端に開いたままで、返事もなく、不審に思って覗いたという。第一発見時の証言は混乱していて読みづらかったが、その混乱自体はむしろ自然に見えた。悲鳴は聞かなかった、あるいは聞こえた気がするが夢うつつだった、夜に物音を聞いたような気もする――そうした曖昧さは珍しくない。人は事件の後で初めて、自分が見落としていたものに意味を持たせる。
だから私は、そういう証言を鵜呑みにしない。だが切り捨てもしない。曖昧なものは、曖昧なものとして置いておく。後から他の紙と並べた時に、その価値は決まる。
そうして証言の束を読み進めていくうち、ひとつの名前が何度も目に入るようになった。
バルド。
職業欄には、解体処理場勤務とある。
家畜の解体や肉の切り分け、血抜きや搬送の補助。要するに、血に近い仕事だ。そういう仕事の人間が珍しいわけではない。だが、こうした事件の記録の中で見ると、その文字は重みを帯びる。
近隣証言のひとつにはこうある。
「愛想のない男でした。目つきも悪く、夜更けでも一人で歩いていて、私はあまり関わりたくなかった」
別の証言には、
「前に被害者の旦那さんと揉めていたのを見た。何の話かは知らないが、かなり険悪だった」
さらに別の紙には、
「事件の夜、あの男に似た背格好の者を見た気がする」
私はその証言の欄外に小さく印をつけた。見た“気がする”では弱い。だが、他の紙と組み合わされば意味を持つかもしれない。
被疑者調書に移る。
年齢。住所。職歴。前科なし。
前科がないことは、必ずしも人を白くしない。初犯であろうと殺す者は殺す。むしろ表面上は静かに暮らしていた者が、ある日突然何かをやることもある。私はそういう見方を好まなかったが、記録の中では珍しい話でもない。
調書の後半には本人の供述がまとめられていた。
「やっていない」
まずそれがあり、その後も似たような文が続く。
「知らない」
「行っていない」
「揉めたのは本当だが殺していない」
「服の血は仕事のものだ」
私はしばらくその頁を見た。
供述自体は単純だった。否認する者の多くは、最初に大きく否認し、その後の細部で少しずつ齟齬を出す。だがこの男の供述は、粗いが妙に揺れが少なかった。いや、揺れが少ないというより、言葉が足りないのだ。言い訳が下手で、自分の無実を印象づける術を持たない人間の文に見えた。
もっとも、それは無実の証にはならない。
口下手で頑なな人間が犯人であることも、もちろんある。むしろ追い詰められた時に余計なことを喋らない分、かえって不気味に見える場合さえある。
私は次の紙へ目を移した。押収品目録。衣類。靴。刃物一式。勤務先で日常的に使用していた道具も含まれているため、これだけでは決め手にはならない。だが、“刃物に慣れている”という印象は補強される。
そこへ、別の記録が続く。
被害者の父親とバルドが揉めた件について。
内容は些細だった。解体場から流れる臭気のこと、通りでぶつかったこと、互いの言葉遣い。そうした、どこの街にも転がっていそうな小競り合いだ。だが、人が死んだ後に読むと印象が変わる。あの時すでに憎しみがあったのではないか。怒りが積もっていたのではないか。そう思えてしまう。
記録とはそういうものだ。前後の紙が、人の見え方を変える。
私は椅子に背を預け、机の上へ紙を広げ直した。事件の流れを頭の中で整える。
夜。家族四人が家にいる。何者かが訪れる、あるいは侵入する。父が最初に応対し、抵抗。母も巻き込まれる。二階の子どもたちにまで手が及ぶ。手口は容赦がない。感情的なのか、口封じのためか、あるいは最初から全員を殺すつもりだったのか。
その像の中に、バルドの顔を置くことは難しくなかった。
血に慣れている。力もある。被害者の父と揉めたことがある。夜に現場近くで見られている。近所から恐れられている。
あまりに揃っている、と私は思った。
もちろん、揃いすぎているから嘘だ、などという考え方はしない。物事は時に分かりやすい形で起こる。世の中には、犯人らしい人間がそのまま犯人である事件もいくらでもあるのだ。現実は物語ではない。わざとらしさを疑うのは、書物の読みすぎというものだろう。
昼を過ぎた頃、同僚が私の机の脇を通った。
「その件か」
彼は束ねられた書類の厚みを見て言った。
「一家皆殺しの」
「ええ」
「嫌な事件だな」
「そうですね」
私はそれだけ答えた。彼は少し黙り、それから机の上の名簿に視線を落とした。
「被疑者の男、いかにもって感じだ」
私は返事をしなかった。仕事の途中で印象を口にするのは好まない。だが内心では、同じことを考えていた。
いかにも、だった。
見た目がどう、職業がどうという話を、私は普段なら記録に混ぜない。だが人が人を裁く時、そこから全く自由ではいられないことも知っている。血に近い仕事をする無愛想な男。夜の路地に立っているだけで、不穏な影になるような人間。そういう者は、何かが起きた時に最初に疑われる。
そして、その疑いに理由がいくつも付けば、なおさらだ。
夕方になり、私は追加で回された近隣聞き取りの控えを読むことになった。筆跡の荒い紙だ。こういうものは後で正式な様式に直されるが、生の控えには独特の匂いがある。取り調べた者の苛立ち、証言者の戸惑い、余白の多さ。そうしたものが残っていて、私は嫌いではない。
ひとつの控えに目が留まった。
「子どもにも冷たい目を向ける男だった」
証言者は被害者家族と親しくしていた女で、感情が先走っているようにも読める。私はその紙の端を指先で押さえたまま、しばらく考えた。
感情的な証言は危うい。だが全てが嘘というわけでもない。人の印象は、ときに本質を掴むことがある。
私はその紙も束へ戻した。
日が傾き、窓の外が紫がかっていく。法廷棟の廊下は早くから冷える。火を足しに来た下働きの少年が会釈して去っていくのを横目で見ながら、私は最後の頁まで読み通した。
結論から言えば、その時点で私の中に大きな迷いはなかった。
まだ裁判は始まっていない。証拠はこれから精査される。証言も法廷で洗われる。だが、それでもなお、私はひとつの方向を見ていた。
バルドがやったのだろう。
そう思えるだけの形が、もう十分に揃っていた。
紙の束を丁寧に整え、私は表紙の上へ新たな札を置いた。これから必要になる整理項目を書き込んでいくためのものだ。事件経過。証言分類。被疑者供述。物証。争点想定。
ペン先をインクに浸し、最初の欄へ日付を書き入れる。
判決はまだ遠い。
だが、法はもう動き始めていた。
静かに、規則通りに、誰の祈りも通さない仕組みとして。




