眠くなるころがいちばん嫌
五十話を越えたあたりから、空気は明らかに変わった。
怖がっているというより、疲れていた。けれど、その疲れ方がよくなかった。頭がぼんやりして、なのに細い音だけ妙によく聞こえる。笑い声も、机に爪が当たる音も、ストローを噛む小さな音も、やけに近い。
「眠くなるころがいちばん嫌なんだよな」
「分かる。なんか、区別つかなくなる」
「夢っぽくなる」
「それやめて」
五十一話目は、ぼくの話だった。
小さいころ、熱を出した夜に、母親が枕元で歌を歌ってくれた。翌朝その話をしたら、母親は昨夜ずっと仕事で家にいなかったと言った、という、それだけの話。
派手さはなかった。けれど終わったあと、誰もすぐには口を開かなかった。
「それ、誰が歌ってたんだろうな」
「聞くなって」
五十六話目では、私が古い写真館の話をした。
現像した覚えのない写真の中に、自分が寝ているところを真上から撮った一枚が混じっていたという話で、話し終えたあと、俺が「それ犯人いるじゃん、幽霊より嫌」と本気で顔をしかめた。
六十一話目では、ウチが海辺のホテルの話をした。
窓の外から、夜中ずっと誰かがガラスを爪で引っ掻く音がする。朝になって見たら、窓の外は崖で、人が立てる場所なんてなかった。
六十六話目では、僕が電車の話をした。
終電で寝過ごした先の駅は、ホームの看板も時刻表もあるのに、降りた人が一人もいない。改札へ向かうと、駅員室の窓にだけ、自分がもう一人映っていた。
七十話目を越えたとき、誰かが言った。
「これ、百話目って何か起きんのかな」
「そういうこと言うなって」
「百本目を話し終えると出る、とかあるよね」
「ろうそく消すと、とか」
「うちら、ろうそくじゃないし」
「じゃあセーフじゃん」
そう言った声は、わずかに上ずっていた。
七十三、七十四、七十五。
話のうまい下手は、もうあまり関係なくなっていた。内容よりも、続きを待つ時間の方が嫌だった。誰かが「次」と言う前の数秒が、いちばん静かで、いちばん長く感じた。
「……いま、何話?」
「七十八」
「やば。ほんとに終わり見えてきた」
「見えてきたの嫌だな」
「え、何それ」
「いや、なんか、ここまで来たらもう、終わらせた方がいいんだけど、終わらせたくないっていうか」
「それ分かるかも」
「途中の方が安全そうな感じする」
その言葉に、誰もすぐ反応しなかった。
結局、誰も否定しなかった。




