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エピローグ
人は、自らの手で形を与えたものに価値を見ます。
それは自然なことです。
時間を費やし、技を重ね、失敗を積み、ようやく届いた形であればなおさら。
誇りは、その過程の中で生まれるのでしょう。
彼もそうでした。
よく鍛えられた手で、暮らしを支えるものを作った。
同じ手で、命を奪うためのものも作った。
作る時、その差を大きく意識することはなかった。
ただ、よいものを作ることだけを考えていたのです。
それは間違いではありません。
けれど、結果がやさしいとも限らない。
人はときどき、自分の誇りがどこへ届くのかを、あとから知ります。
知ったあとでも、簡単に捨てられない。
誇りとは、そういう不器用なものでもあるのでしょう。
私はそういう揺らぎを見るのが嫌いではありません。
きれいに割り切れないところに、その個体らしさがよく出るからです。
彼はたぶん、これからも作るのでしょう。
鍋も、包丁も、剣も。
前とまったく同じではいられないまま。
だから記録しておきます。
手に宿した誇りが、少しだけ重さを変えた、その瞬間を。
あなたには誇れるものがある?




