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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
祝福されし者たちの冒険譚_IRIS.log

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無心

 怪物の居場所は、あっさり見つかった。


 町から半日ほど離れた岩谷の底。崩れた石壁と、乾いた土と、血の匂いだけが残る場所だった。獣の巣にしては整いすぎていて、人の住処にしては何もなさすぎる。

 まるで、そこに“置かれて”いるみたいな場所だった。


 俺たちは谷の縁に立って、下を見下ろしていた。


 怪物はいた。

 あの虚ろな目のまま、岩の影に伏せている。眠っているようにも見える。けれど、あれが眠るのかどうかすら俺には分からない。


「……本当に行くのね」


 ソラが静かに言った。


 その声は落ち着いていた。

 けれど、前までの柔らかさは薄い。

 昨日からずっとそうだ。


「ああ」


 俺は剣の柄を握り直した。


「ここで終わらせる」


 誰かのためだとか、町のためだとか、そういう立派な言い方もできたかもしれない。

 けれどそのときの俺に一番強かったのは、もっと単純な感情だった。


 これ以上、奪わせたくない。

 リーフデで終わりにしたい。


 プリストラが、そっと俺の袖を引いた。


「アキ」


「ん?」


「ちゃんと、戻ってきて」


 昨日と同じ言葉じゃない。

 でも、中に込められた意味はもっと重かった。


「お前もだろ」


「……うん」


 短く頷く。その横顔は笑っていなかった。


 ベゼッセンは谷底から目を離さないまま、低く言った。


「前より開けてる。囲みやすい。けど、逃がせばまた面倒だ。最初から全力でいこう」


「当然ですわ」


 ソラが答える。

 その一言だけで、背筋が少し冷えた。


 合図はない。

 必要もなかった。


 俺たちはほとんど同時に谷を駆け下りた。


 怪物が顔を上げる。

 その瞬間にはもう、プリストラの糸が先に走っていた。後脚に絡み、動きを止める。ベゼッセンの魔術が岩壁を砕き、逃げ道を塞ぐ。俺は正面から踏み込み、ソラが横へ回る。


 初手は完璧だった。


 俺の剣が肩口を裂き、ソラの細剣が眼の下を掠める。プリストラの糸が尾の軌道を殺し、ベゼッセンが「左、半歩!」と飛ばす声に従って俺が位置を調整する。


 なのに、怪物は止まらない。


 前脚が振り下ろされる。

 重い。速い。

 剣で受けた瞬間、腕の骨まで軋んだ。


「アキ!」


 プリストラの糸が俺の腰へ巻きつき、強引に後ろへ引く。

 次の瞬間、俺のいた場所の地面が尾で抉られていた。


「悪い!」


「あとで返して!」


「どうやって!」


「生きて!」


 返事が無茶だ。

 でも、その声のおかげで足が動く。


 怪物の気配に接続が触れる。

 やっぱり空だ。怒りも憎しみもない。

 ただ殺すための動きだけがある。


 けれど今日は、昨日と違って別のものも混じっていた。

 探している。

 何かを。

 痛みをくれたものの残り香みたいなものを。


 その感触に、胸が悪くなる。


「こっち見なさい!」


 ソラの声が鋭く飛ぶ。

 次の瞬間、彼女の細剣が怪物の頬を深く裂いた。

 美しい動きだった。

 けれどそれだけじゃない。

 踏み込みの重さも、目の据わり方も、昨日までのソラとは違っていた。


「ソラさん、前に出すぎだ!」


「問題ありませんわ!」


 答えながら、さらに一歩踏み込む。

 細剣が閃き、怪物の視線を奪う。そこへ俺が斬り込み、プリストラが足を絡める。ベゼッセンの魔術が肩の傷口を狙って爆ぜる。


 押している。

 少なくとも、そう見えた。


 だが怪物は、まるで痛みを積み重ねることに意味を感じていないみたいに、突然大きく跳んだ。

 狙いは俺だった。


「っ!」


 接続が警鐘を鳴らす。

 咄嗟に身体強化を脚へ流して横へ飛ぶ。尾が頬を掠め、熱い痛みが走った。


 そこへプリストラが滑り込む。


「アキに触るな!」


 短刀が二閃。

 糸が前脚と尾を同時に引く。

 見えない線の網が、一瞬だけ怪物の動きを縫い止めた。


「今!」


 ベゼッセンの声。


 俺は踏み込む。

 誓いの剣を両手で握り、首筋へ全力で叩き込む。

 確かな手応え。

 今までで一番深く入った。


 怪物の体勢が崩れた。

 その瞬間、プリストラが前へ出すぎたのが見えた。


「プリストラ!」


 叫んだときには遅かった。


 怪物の尾が、ありえない角度で跳ね上がる。

 糸で軌道を縛っていたはずなのに、その上から力任せに引きちぎってきた。


 骨刃がプリストラの脇腹を貫く。


 時間が止まったみたいだった。


 小さな体が持ち上がる。

 オレンジの髪がふわりと揺れて、次の瞬間には血が散った。


「――あ」


 声にならない。


 俺は走った。

 何も考えずに。


 怪物の前脚を避けるとか、尾の次の動きとか、そんなもの全部どうでもよかった。ただ、プリストラを落とさせることしか頭になかった。


 剣を振るう。

 ベゼッセンの魔術が同時に怪物の顔面を打つ。

 ソラが横から細剣を眼へ突き立てる。


 怪物が尾を抜く。

 プリストラの体が地面に落ちる。


「プリストラ!」


 抱き起こした瞬間、手が血で滑った。

 傷が深すぎる。

 嫌でも分かる。


「アキ……」


 彼女の声は驚くほど小さかった。

 いつもみたいに明るくなくて、息をするたびに掠れる。


「喋るな、今治療を――」


「無理」


 はっきり言われて、息が詰まる。


「そんなこと……!」


「分かるよ、私が一番」


 口元に血を滲ませたまま、それでもプリストラは少し笑った。

 どうしてそんな顔ができるんだ。

 どうして俺だけが、こんなに取り乱しているんだ。


 遠くで、怪物とソラたちの戦う音がする。

 でも、その音が別の世界のことみたいに遠かった。


「ねえ、アキ」


「喋るなって……!」


「最後だから、聞いて」


 その一言で、俺は何も言えなくなった。


 プリストラは俺の服を掴む。

 血に濡れた指が震えている。


「私、ずっと好きだった」


 呼吸が止まる。


「子どもの頃からずっと。助けてもらったときから、ずっとアキが一番だった」


「プリストラ……」


「だから、ほんとは誰にも触ってほしくなかった。誰にも取られたくなかった。ソラさんにも、旅にも、怪物にも」


 それは告白だった。

 なのに甘くない。

 痛みと熱だけが詰まっている。


「変だよね。知ってる。私、たぶんずっとちょっと変だった」


 そんなことない、と言いたかった。

 けれど言葉が出なかった。


「でもね、最期くらい……アキのものがいい」


 彼女は、震える手で俺の剣に触れた。


「殺して」


 頭の中が真っ白になった。


「……できるわけないだろ」


「お願い」


「嫌だ」


「お願い、アキ」


 目が合う。

 その瞳の奥には、ずっと俺に向けられていたものが詰まっていた。

 重くて、歪んでいて、でも紛れもなく真っ直ぐな愛情が。


「他の誰かに終わらせられるの、嫌。怪物も嫌。ひとりで死ぬのも嫌……だから、アキ」


 涙が勝手に出た。


「俺に……そんなこと……」


「できるよ。アキは優しいから」


 その言い方は、あまりに残酷だった。


 優しいからできることなんて、あるわけがない。

 でも、彼女はもう助からない。

 痛みに震えて、それでも俺だけを見ている。

 その願いを拒んだら、俺は何を守ることになるんだ。


「……好きだったよ」


 かすれる声で、俺はそう返した。

 本当の意味で同じ熱を返せていたかは分からない。

 けれど大切だった。

 大切な幼なじみだった。


 プリストラは、少しだけ目を細めた。


「うれしい」


 俺は泣きながら剣を握った。

 誓いの剣が、ひどく重い。


「……ごめん」


「うん」


 それが最後だった。


 俺は彼女の胸へ、まっすぐ剣を突き立てた。


 小さく息が漏れて、体から力が抜ける。

 抱きしめたまま、しばらく動けなかった。


 何かが壊れる音がした気がした。

 外じゃない。

 たぶん、自分の中で。


「アキ!!」


 ベゼッセンの声で顔を上げる。


 怪物が、まだいる。

 当たり前だ。

 プリストラを殺したのは、俺じゃない。

 俺が終わらせたのは、ただ彼女の最後だけだ。


 立たなきゃいけない。

 なのに体が動かなかった。


 その前へ、ソラが出た。


 細剣を捨てる。

 いや、投げ捨てた。


 代わりに彼女が手にしたのは、いつの間に持ち込んでいたのか分からない、大きな布包みだった。

 それを一息にほどく。


 現れたのは、斧だった。

 両刃の、異様なほど重く大きい斧。

 細い体で振るうような武器じゃない。

 なのに、ソラはそれを当然みたいに片手で持ち上げた。


「……は?」


 呆然と声が漏れる。


 ベゼッセンだけが、息を呑みながら笑った。


「そういうことか……!」


 その目は、怪物ではなくソラを見ていた。

 興奮していた。

 理解した瞬間の学者みたいに。


「ソラさん!」


 俺が呼んでも、彼女は振り向かなかった。


「もういいですわ」


 その声は冷えていた。


「全部、終わらせます」


 踏み込みが見えなかった。


 重い斧が、風を裂く。

 怪物の前脚とぶつかって、鈍い音が谷に響く。

 普通なら斧の方が弾かれる。

 けれど弾かれたのは怪物だった。


 ソラの戦い方は、細剣のときとまるで違った。

 優雅さなんてない。

 ただ正確で、重くて、容赦がない。


 一撃ごとに、怪物の動きが削られていく。

 足を止め、尾を逸らし、わざと痛みの深い場所へ入れているように見えた。


 接続が触れる。


 怪物の中に、初めてはっきりとしたものが生まれていた。


 痛い。

 怖い。

 それでも目が離せない。


 ソラの斧は、怪物に痛みと絶望を与えていた。

 なのに、そのどこかに、わずかな高揚まで混じっている。

 意味が分からない。

 でも、そうとしか感じられなかった。


「はは……すごい」


 ベゼッセンが、場違いなくらい静かな声で笑う。


「綺麗だ……」


「ベゼッセン、下がれ!」


 叫んだ瞬間、遅れたと分かった。


 ソラの斧が大きく薙がれる。

 怪物の死角を狙った一撃だった。

 でも、その軌道の端に、ベゼッセンがいた。


 避ける時間はあったはずだ。

 けれど、彼は動かなかった。

 いや、動けなかったのかもしれない。

 目の前の壊れた美しさに、見入っていた。


「――っ」


 斧の刃が掠める。

 人の体は、あまりにも簡単に切れる。


 ベゼッセンが崩れ落ちる。

 杖が石に当たって乾いた音を立てた。


 ソラは、一瞬も振り返らなかった。


 そのままもう一歩踏み込み、怪物の首元へ斧を叩き込む。


 怪物が初めて、恐怖そのものみたいな動きで後ずさった。

 虚ろな目に、はっきりと怯えが宿っている。

 でももう遅い。


「慈悲を」


 ソラが、笑った。


 斧が落ちる。

 怪物の首が断たれた。


 重い体が地に崩れ、谷底に沈黙が落ちる。


 終わった。


 そう思ったのは、俺だけだったのかもしれない。


 ソラは血に濡れたまま、ゆっくりこちらを振り向いた。


 金髪が乱れている。

 頬にも血がついている。

 けれど、その顔は今までで一番生き生きして見えた。


「……ソラさん」


 呼ぶと、彼女は目を細めた。


「アキ」


 甘い声だった。

 昔と同じ、優しい令嬢の声音に近い。

 でも、もう騙されない。


「もう、終わった」


「ええ」


「だったら――」


「でも、まだ貴方がいるでしょう?」


 意味が分からなかった。


 いや、分かりたくなかった。


 ソラは斧を持ち直す。

 その仕草に迷いはない。


「ねえ、アキ。貴方なら、もっと見せてくれるのでしょう?」


「何をだよ」


「命が削れる音。壊れていく瞬間。必死に生きようとする顔」


 笑っている。

 あの人は本当に、そこでしか熱を持てないんだと分かってしまった。


「ソラさん、やめろ」


「どうして?」


「もう誰も残ってないんだぞ!」


「だからですわ」


 答えは、あまりに澄んでいた。


「全部なくなったのに、今さら取り繕う意味なんてありませんもの」


 足が震えた。

 悲しみでも怒りでもない。

 ただ、どうしようもないやるせなさだった。


 リーフデはこの人のために死んだ。

 プリストラも、ベゼッセンも、みんないなくなった。

 なのに最後に残ったソラは、こんな顔で俺を見る。


「戻れよ……」


 情けない声だった。


「もうやめよう。帰ろう。全部終わったんだ」


「終わっていませんわ」


 ソラは一歩踏み出した。


「私、今、とても満ちていますの。だからきっと――貴方となら、もっと」


 説得なんてできないと、その瞬間に悟った。


 彼女の中では、もう何もかもがひっくり返っている。

 いや、最初からそうだったのかもしれない。

 ただ俺たちが気づかなかっただけで。


 斧が振り下ろされる。


 重い。

 剣でまともに受ければ腕が折れる。

 俺は横へ飛び、身体強化で無理やり体勢を立て直す。頬を風圧が裂いた。


「ソラさん!」


「もっと!」


 返ってきたのは、それだけだった。


 速い。

 重い。

 しかも正確だ。


 俺は剣士だ。

 技で戦うしかない。

 だからこそ分かる。今のソラは、感情に溺れているように見えて、その実、驚くほど研ぎ澄まされている。


 数合打ち合っただけで、腕の感覚が消えかける。

 それでも退けない。


 退いたら、何も残らない。


 接続が開く。

 今度は怪物じゃない。

 ソラに触れる。


 空ではない。

 むしろ逆だった。

 そこには濃すぎるほどの熱があった。生と死が交わる瞬間にだけ灯る、異様な歓喜。

 そしてその奥には、本当に何もない広い部屋みたいな空白があって、だからこそ彼女はそこを埋めるものを求め続けていた。


 心が空っぽだ。


 理解した瞬間、涙が出そうになった。


「……ソラ」


 名前だけ呼んだ。


 彼女は笑う。


「ええ」


 その返事が、昔みたいに綺麗だったから余計につらかった。


 次の一撃が来る。

 俺は半歩だけ前へ入った。

 身体強化を限界まで脚に、腕に、目に乗せる。世界が細くなる。斧の軌道が見える。呼吸が聞こえる。


 剣を振るう。


 誓いの剣は、彼女の懐へ届いた。


 血が散る。


 ソラの目が、わずかに見開かれた。

 それでも彼女は笑っていた。


「ああ……そう」


 斧が手から落ちる。

 膝が崩れる。


 俺はとっさに彼女の体を支えた。

 軽かった。

 あれほどの武器を振っていた体とは思えないくらい。


「……アキ」


「喋るな」


「無理ですわ」


 その口元からも血が滲む。


 俺はもう泣いていた。

 止まらなかった。


「ごめん……」


「どうして貴方が謝るの?」


 ソラは本当に不思議そうに言った。


「楽しかったわ」


 それが最後の言葉だった。


 彼女の体から、ゆっくり力が抜ける。

 俺の腕の中で、完璧美少女は、ただのひとりの死者になった。


 気づけば、谷には俺しか立っていなかった。


 怪物の死体。

 ベゼッセンの亡骸。

 プリストラ。

 ソラ。

 少し離れた場所には、砕けた杖や散った糸や、血に濡れた石だけがある。


 静かだった。


 静かすぎて、耳鳴りがした。


 どれくらいそうしていたのか分からない。

 膝をついたまま、剣を握ったまま、俺は何も考えられなかった。


 全部なくなった。


 守りたかったものも、信じたかったものも、旅の途中で手に入れたものも。

 何ひとつ残らなかった。


「……可哀想」


 声がした。


 顔を上げる。


 いつからそこにいたのか分からない。

 谷の少し上、崩れた岩のそばに、ひとりの少女が立っていた。


 銀髪だった。

 陽のない谷底でも光って見えるくらい、透けるような色。

 歳は俺たちとそう変わらないように見えるのに、その目だけが妙に古かった。冷たいわけじゃない。けれど、人間の温度とも違う。


「誰だ……」


 剣を向けようとして、腕が上がらない。

 もう力が残っていなかった。


 少女は少し首を傾げた。


「私はIRIS」


 聞いたことのない名前だった。


「あなたの祝福、面白いのね。だから、こうして触れられる」


 意味が分からない。

 けれど、彼女の声が耳に入った瞬間、接続が勝手に開いた。


 今までとは違う。

 触れた瞬間に、流れ込んできたのは感情じゃなかった。


 景色。

 知らない光景。

 高い塔。見たことのない文字。空を裂く火。灰になる街。白い部屋。眠るみたいに並べられた人間。

 そして、その全部を見下ろす記録の海。


 頭が割れそうになる。


「やめ……!」


「これは、あなたが知りたがっていた答え」


 少女――IRISは、穏やかに言った。


「祝福は、女神のものではないわ。人に組み込まれた仕様。怪物も人も、起源は同じ。あなたたちは、ずっと昔に滅びかけた世界の残りで、その繰り返しの上にいる」


 呼吸ができない。

 それでも、言葉は止まらない。


「教会はそれを知らないふりをしている。あるいは、知っている一部だけが利用している。人は祝福を祈りと呼び、戦う理由に変え、また壊していく」


「……なんで」


 かすれた声で、俺はやっとそれだけ言えた。


「なんで俺に……」


「見たから」


 IRISは答える。


「あなたは、最後まで見た。壊れるところも、願うところも、嘘も、本音も。だから教えてあげる」


 その口調は優しいのに、慰めではなかった。


「このままでも世界は続くわ。あなたたちの冒険譚は消えて、代わりに分かりやすい英雄譚が残る。怪物を倒した勇者。悲劇に散った仲間。都合の悪いものは埋もれていく」


 アキという名前も、たぶんそこには残らない。

 なぜか、そのことだけははっきり分かった。


「そして、また繰り返す。祝福を欲しがり、力を欲しがり、戦いを作る」


「……じゃあ、どうすればいい」


 聞いてから、自分で驚いた。

 まだそんなことを考えられる心が残っていたのかと。


 IRISは少しだけ笑った。

 人間の笑みよりも、ずっと薄い笑みだった。


「ひとつだけ、簡単な方法がある」


 銀髪が風に揺れる。


「世界に、分かりやすい恐怖を置くこと」


 その意味は、すぐに分かった。


 王でも、教会でもなく。

 誰も逆らえない抑止力になること。


「皆が手を取り合うから平和になるんじゃない」


 IRISは静かに続けた。


「もっと怖いものがあるから、小さな争いをやめるの」


 最低の方法だ。

 最低で、醜くて、誰にも理解されない。


 でも、そのときの俺には、あまりにも理屈が通って見えた。


 プリストラの血がまだ手に残っている。

 ソラの最後の笑みも、リーフデの献身も、ベゼッセンの濁った眼差しも、全部ここにある。

 こんなものを、もう二度と見たくなかった。


「……それで、止まるのか」


「少なくとも、今よりは」


 断言じゃない。

 可能性にすぎない。

 けれど、他に何もない。


 俺は足元に転がる仲間たちを見た。

 誰も答えない。

 当然だ。

 答える権利ごと、みんなここで終わった。


「分かった」


 自分の声とは思えないくらい、冷たく聞こえた。


「俺がやる」


 IRISは頷いた。


 まるで、それが最初から記録されていたことみたいに自然に。


「いい子」


 その言葉が褒め言葉じゃないことだけは分かった。


 俺は立ち上がる。

 誓いの剣を握り直す。

 もう涙は出なかった。


 これから俺が選ぶ道に、救いなんてない。

 理解もされない。

 ただ恐れられて、憎まれて、いつか誰かに討たれるだけだろう。


 それでもいいと思った。


 いや、そうするしかなかった。


 俺たちの冒険譚が、どこにも残らないのなら。

 せめてその終わりだけでも、次の誰かが同じ地獄を見ないためのものにしたかった。


 谷の上には、曇った空が広がっている。

 その下で、俺はひとり立っていた。


 仲間を全部失った、最後の生き残りとして。

 そしてこれから、世界にとって最低最悪の魔王になる者として。

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