偏愛
リーフデの葬送は、町の教会でひっそりと行われた。
大きな式にはならなかった。旅の途中で落とした命だ。故郷から誰かが駆けつけるわけでもなく、縁者が集まるわけでもない。
それでも教会は丁寧に場所を整えてくれて、白い布をかけた棺のそばには花が供えられた。
その棺が、やけに小さく見えた。
生きていたときのリーフデは、あんなに大きくて、強くて、存在感のある人だったのに。
拳ひとつで怪物を怯ませて、誰よりも前へ出て、最後の最後までソラを守ろうとした。
そんな人が、静かに目を閉じているだけで、こんなにも“終わって”見えるなんて思わなかった。
俺は棺の前で、何も言えなかった。
悔しい、という言葉では足りない。
悲しい、でも足りない。
あのとき自分がもっと早く動けていたらとか、もっと強ければとか、そんなことばかりが頭に浮かんでは消える。
「アキ」
後ろから呼ばれて振り返ると、プリストラが立っていた。
いつもの元気な顔じゃない。目元には疲れが滲んでいて、それでも無理に笑おうとしているのが分かる。
「ちょっと休んだ方がいいよ」
「平気だ」
「平気じゃない顔してる」
そう言われて、否定できなかった。
怪我は浅く済んだ。体は動く。けれど心の方が、ずっと重かった。
俺だけじゃない。みんなそうだ。なのに、自分だけがこの場に立ち尽くしているのが情けなくて、かえって動けなくなる。
プリストラは小さく息をついて、俺の袖を引いた。
「外、行こ」
「でも」
「今ここでずっと見てても、リーフデさんは戻らないよ」
その言葉が少しきつく聞こえて、俺は思わず顔を上げた。
けれどプリストラは目を逸らさなかった。
「……ごめん。でも、アキが倒れそうなの、やだ」
その一言で、怒る気はなくなった。
教会の外へ出ると、空は曇っていた。昼だというのに光が薄い。石段に腰を下ろすと、ようやく自分がずっと肩に力を入れていたことに気づいた。
「リーフデさん、強かったよな」
俺がぽつりと言うと、プリストラも隣に座った。
「うん。すごかった」
「俺たちの誰より前に出てた」
「ソラさんのために、だろうね」
「……ああ」
その名前が出た途端、空気が少し変わる。
俺は昨日のことを思い出していた。
リーフデが死ぬ瞬間。
ソラの顔。
あの言葉。
今、どんな気分?
何度考えても、意味が分からない。
優しいはずの人が、どうしてあんなふうに聞けるんだ。
悲しみで、おかしくなってしまったんだろうか。そう思おうとしても、胸のどこかがそれを拒んだ。
「……ソラさん、どうしたんだろうな」
呟くと、プリストラは少し黙ってから答えた。
「たぶん、最初から少し変だったんじゃない?」
「え?」
「なんとなく、だけど」
その言い方は曖昧だった。
決めつけているようで、そうでもない。
でも、プリストラは前から何かを感じていたのかもしれない。
「私、嫌いじゃなかったよ。ああいう、誰にでも優しくできる人」
「……うん」
「でも、誰にでも優しい人って、たまに誰のこともちゃんと見てない時ある」
その言葉は、妙に胸に刺さった。
反論したかった。
ソラは優しかった。実際に助けてもらった人だってたくさんいた。俺だって何度もそう思った。
けれど、リーフデの死を前にしたあの反応を見てしまったあとでは、強く否定できない。
教会の扉が開く音がして、ベゼッセンが出てきた。
俺たちを見ると、少し迷ったように近づいてくる。
「……ここにいたんだ」
「ベゼッセン」
「ソラさんは?」
「まだ中」
そう答えると、ベゼッセンは教会の扉を振り返った。
その横顔は、疲れているようにも見えるし、妙に冴えているようにも見えた。
「君、昨日のソラさん、どう思った?」
唐突だった。
しかも聞き方が、感想を求めるみたいに軽い。
「どうって……」
「普通じゃなかったよね」
あまりに真っ直ぐ言われて、言葉が詰まる。
プリストラが小さく睨むような目を向けた。
「今それ聞く?」
「今だから聞くんだよ。誰も口にしないまま進む方が危ない」
確かに、それはそうかもしれない。
でも、ベゼッセンの声には少しだけ、別の熱が混じっていた。
「僕、正直に言うと驚いたんだ」
「驚いたっていうか、普通は驚くだろ」
「うん。でも、同時に……ああ、ようやく見えたって思った」
ぞくりとした。
ベゼッセンは、教会の白い壁にもたれながら続ける。
「ずっと綺麗すぎたんだよ。振る舞いも、言葉も、表情も。完璧すぎて、逆に変だった。でも昨日、あの一瞬だけ崩れた」
「……お前、それを面白がってるのか」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
ベゼッセンは否定しなかった。
「少しは」
「ベゼッセン!」
プリストラが声を荒げる。
けれど彼は肩をすくめるだけだった。
「だって見たことないだろ。あんな壊れ方」
その目を見て、初めて分かった。
この人は人を観察するのが好きなんじゃない。もっと深いところで、人が崩れる瞬間に惹かれている。
今までのベゼッセンの有能さや冷静さは、そういう性質の上に立っていたのかもしれない。
そう思うと、急に距離の測り方が分からなくなった。
「俺は、面白くなんかない」
そう言うと、ベゼッセンは少しだけ目を伏せた。
「……知ってるよ」
そのとき、教会の扉が開いた。
ソラだった。
喪服に近い黒の外套を羽織り、いつも通り背筋を伸ばしている。表情も落ち着いていて、町の人間が見たら昨日の異変なんて想像もしないだろう。
でも、俺たちは全員、もう知ってしまっている。
「皆さん、ここにいらしたのですね」
声はやわらかい。
けれど、そのやわらかさの表面が薄くなった気がした。
「ソラさん……」
俺が呼ぶと、彼女は一瞬だけこちらを見た。
「昨日は、お見苦しいところをお見せしました」
謝罪の言葉。
でも、そこに本当の意味での後悔があるのか、俺には分からない。
「リーフデを失って、少し取り乱してしまいましたの」
そう言って微笑む。
その笑みが、前までのように自然に見えない。
プリストラは何も言わなかった。
ベゼッセンはじっとソラを見ていた。
俺は、何を返せばいいのか分からなかった。
「……明日、怪物を追うそうです」
ソラが静かに続ける。
「町の討伐役だけでは不安だと。私たちにも同行を求められています」
「そんなの、行くしかないだろ」
反射みたいに言葉が出た。
リーフデを殺した相手だ。放っておけるはずがない。
けれどソラは、その言葉に少し不思議そうな顔をしたあとで、小さく笑った。
「ええ。私もそう思いますわ」
その微笑みの奥に、昨日見たものの残滓がある気がした。
怒りなのか、執着なのか、それとも別の何かなのか。
分からない。ただ、以前のソラとは何かが違う。
夜、宿に戻ってからも眠れなかった。
ベッドに横になって目を閉じると、昨日の戦いばかりが浮かぶ。リーフデの拳。怪物の虚ろな目。ソラの声。
隣の部屋からは、誰かが行き来する足音が時々聞こえた。たぶん、みんな同じように眠れていない。
扉を叩く音がしたのは、ずいぶん遅い時間だった。
「アキ、起きてる?」
プリストラだった。
扉を開けると、彼女は毛布を抱えて立っていた。
「どうした?」
「ちょっとだけ、一緒にいていい?」
断る理由はなかった。
部屋に入ると、プリストラは椅子に座るでもなく、しばらく立ったまま俺を見ていた。暗い部屋の中で、その視線だけが妙にはっきりしている。
「明日、たぶんもっと危ないよね」
「ああ」
「だから、先に言っとく」
彼女は毛布を抱きしめる手に力を入れた。
「私、アキが死ぬのだけは絶対に嫌」
胸が詰まった。
言葉そのものは、ただの仲間の心配にも聞こえる。
でも、その言い方は少し違った。
「誰が死ぬのも嫌だよ」
「うん。でも、私はアキが一番嫌」
まっすぐすぎる言葉だった。
子どもの頃からの付き合いだ。大事な相手だと思ってくれているのは分かる。
けれど今のそれは、少しだけ重い。
俺が何か言う前に、プリストラは自分でも言い過ぎたと思ったのか、ふっと笑って誤魔化した。
「変な意味じゃないよ。幼なじみだし」
「……分かってる」
「ほんとに?」
「ほんとに」
そう答えると、彼女はようやく椅子に座った。
その横顔は疲れていて、傷ついていて、それでもどこか張り詰めていた。
俺たちはしばらく、ほとんど言葉を交わさなかった。
ただ同じ部屋にいて、灯りもつけずに夜の音を聞いていた。
明日、怪物と決着をつける。
それができるのかどうか、自信なんてない。
でも、行かなければ何も終わらない。
リーフデの死を抱えたまま、怪物がどこかでまた誰かを殺すのを待つなんてできない。
たとえ今の俺たちが、もう前みたいな五人じゃなくなっていたとしても。
朝が来れば、また剣を取る。
そのはずなのに、胸の奥では別の不安が広がっていた。
怪物が怖いんじゃない。
もちろんそれもある。
けれど今の俺が本当に怖かったのは、隣にいるはずの仲間たちが、少しずつ知らない場所へ行ってしまっていることだった。
そして俺だけが、まだそれを引き止められると思っていることだった。




