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「連載版」「地味で退屈な女」と婚約破棄されたので、鍵束と管理簿だけ置いて静かに去りました。……禁書庫が開かないのは私のせいではございません  作者: 夢見叶
第7章 眼鏡を外した瞬間

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第48話 今夜だけ、言葉にする

 お願いの形をした命令の声が、帝国の書類に混じっていた。


 審議が終わったあとも、その事実が頭の中から離れなかった。判決前の最終確認まで残り一刻。証拠卓に空白目録を広げながら、私はその声の出所をもう一度だけ辿っていた。


 帝国文書館の受付簿。3週間前の日付。弁明原稿の言い回しと、アクセス記録の署名欄。同じ筆圧で書かれた「お願いの形の命令文」が、受付欄にも走っている。弁明した側と、帝国側の記録をつないだ手が、同じだ。


 つまり――「お願い」の声は、外から来たのではない。


 内側から、帝国の書類に書き込まれていた。


 指先が止まる。今まで「折り跡」として追っていたものが、「声」という別の軸で繋がった。折り目は手の癖。声は文面の癖。2本の線が、今この瞬間に一点で交わった。


 棚番号に目をやった。受付簿のアクセス記録に記されている棚番号が、空白目録の欠落箇所と、完全に重なっている。


 欠け方に偏りがある。消えた原本のある棚だけ、アクセス記録の間隔が不自然に詰まっている。毎日確認していた形跡。あるいは、毎日少しずつ運び出していた形跡。どちらに読んでも、意図的な操作の跡だ。


 空白目録を、アクセス記録の横に並べた。説明はいらない。並べれば見える。


 これが、改竄の刃だ。



 廊下を渡って小控室へ向かったのは、ヴィクトル閣下を探してではなかった。空白目録の提出順について、監査官の補佐に確認を取る必要があったからだ。


 扉の前に差し掛かったとき、中から閣下の声が聞こえた。


「提出順の変更を認めない、ということか」


 低い声だった。交渉の時の声だ。柔らかくもなく鋭くもなく、ただ圧が均一にかかっている。


「規定では——」


「規定は知っている。だから今、例外規定の根拠を聞いている」


 短い沈黙の後、書類の動く音がした。公爵印が押される、あの特有の音だ。


 私は扉の前で止まった。


 閣下は今、制度を使っている。交渉ではなく、書類で。印を使って、提出順を確保している。それは、私が今夜この空白目録を並べる場所を、先に整えているということだ。


 知らないうちに、守られていた。


 廊下が、急に遠くなった気がした。


 守られることへの恐怖はある。今もある。でも閣下の守り方は、私を一か所に閉じ込める種類ではない。私が動ける場所を、あらかじめ制度で確保しておく種類だ。


 私は鍵じゃない、と言いかけて——飲み込んだ。


 今は違う。今夜の私は、書類を並べる人間だ。並べる場所が要る。その場所を今、閣下が書類で作っている。それは私を道具にしているのではなく、私の仕事を仕事として成立させようとしている。


 言葉にしなければ、この区別は自分の中で腐る。



 作業机に戻ったのは、閣下より先だった。


 空白目録とアクセス記録を横に並べ、欠落の偏りを示す照合メモを書き加えた。注釈は最小限に留める。書き過ぎると、書いた人間の解釈が入る。事実だけを並べ、結論は読む側に委ねる。それが文書の誠実さだ。


 扉の音がして、閣下が入ってきた。


 視線が照合メモに落ちた。一瞬だけ止まる。


「空白目録か」


「棚番号の欠落とアクセス記録が、重なっています。並べれば見える形にしました」


 閣下は机の前に立ち、照合メモを手に取った。眼鏡の奥の目が横に動く。読んでいる。


 そのとき、ノックもなく扉が少し開いて、若い書記が顔だけ入れてきた。盆の上に茶碗が2つ乗っている。夜食の差し入れだ。書記は室内の空気を読んで、一言も言わず、盆を卓の端に置いて出ていった。


 閣下が礼を言いそびれた。


「……ありがとうございます」


 私だけ小声で言ったが、扉はもう閉まっていた。閣下は一拍置いて、茶碗の方を見て、何も言わなかった。


 静かになった室内で、私は呼吸を一つ整えた。


 言葉にするなら、今だ。


「――今夜だけ、言葉にします」


 閣下が照合メモから目を上げた。


「私を便利で終わらせないために、今ここで言います。怖いのです。制度で守られることも、一緒に戦うことも、両方怖い。でも黙っていることの方が、もっと怖くなりました」


 声は平坦だったと思う。感情を込めたわけではない。ただ事実として、言葉にした。


 閣下は眼鏡の縁に指をかけかけ——かけたまま、止めた。外さなかった。でも今夜の閣下の「外さない」は、遠ざかる意味ではない。聞いている、という重さがあった。


「なら聞く。君の言葉も、証拠として残す」


 低く、静かな声だった。


 私は顔を上げた。残す、という言葉が、何かを解いた。言葉は証拠になる。証拠は消えない。消えない言葉を、今夜ここに置いた。


 扉の向こうで、靴音が近づいてきた。護衛だ。


「文書官長。提出まで残り一刻です」


 声が、壁越しに聞こえた。


 一刻。閣下が照合メモを卓に戻し、立ち上がった。


 私も立ち上がる。茶には、まだ手をつけていない。


 言えない一言が、まだ胸の中にある。でも今夜の締切は、この一刻だけではない気がした。提出の締切が来るまでに——もう一つの言葉にも、期限が迫っている。


読んでいただき、ありがとうございます。


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