第43話 弁明が増えるほど、真実が薄くなる
「慣例です」という言葉が、また聞こえた。
今日で何度目か、もう数えていない。証言者が入れ替わるたびに同じ声色が戻ってくる。「知りませんでした」「当時の担当ではない」「慣例にそって処理しました」。評議会の空気が、繰り返しによってじわじわと水で薄められていくのを、私は証拠卓のすぐそばで聞いていた。
弁明が増えるほど、真実が薄くなる。
それが今日の争点だった。
3番目の証言者が席に着いたとき、評議長ヴァルター閣下が「短く」と書かれた札を一枚、机の端に立てた。その動作に迷いは一切なかった。
「要点だけでいい」
証言者は、一拍固まってから、急に早口になった。傍聴席のどこかで小さな笑いが漏れたが、すぐに消えた。議事録を書くミレイユが、ペンの速度をわずかに上げた。
私は手元の紙を揃えながら、呼吸を整えた。
今日持ち込んだのは3枚だ。二重封蝋の控え、議事録の本文、それから――検査札の番号が書き込まれた欄外写し。順番を変えるつもりはない。
「発言を」
評議長から許可が出た。私は立ち、証拠卓へ進んだ。
控えを最初に置いた。紙音は小さかったが、空気が一瞬変わった。傍聴席の視線がこちらへ集まる感触を、首の後ろで感じた。
「先日の提出における封蝋の押し跡と、本日提出の控えを照合します。押し跡の形状に差異がございます」
「証拠連鎖の話なら、もう先週に――」
「先週は手順の欠落をお示ししました。本日は連鎖の順序を申し上げます」
王国使節アドリアンが口を閉じた。指が書簡の端を握った。
次に議事録を重ねた。
「控えが差し替えられた時点と、議事録の記録時刻を比べますと、21分の空白がございます。この21分、原本室への入室記録は残っていません」
神殿代表のセルガ司祭が、祈りの形に手を組んだ。
「当時の手順では、そのような細かい記録は不要であったはず――」
「記録が不要とされた判断そのものが、本日の争点でございます」
短く返した。セルガ司祭の手が、一瞬だけ止まった。
3枚目を置いた。検査札の番号だった。
「欄外に書き込まれた番号は、2つございます。片方は帝国文書官の検査番号。もう片方は、書式が異なります。同じ手で書かれていますが、発行元が違う」
評議会席がざわついた。アドリアンがアドリアンの隣の補佐官に小声で何かを言い、補佐官がすぐに小さく首を振った。
「……慣例的に、複数機関が番号を共有する場合もある」
「共有の記録はどこにありますか」
答えは返らなかった。
私は発言を続けなかった。証拠を並べたまま、一歩下がった。説明を足せば、逆に弱くなる。穴は穴のまま、そこに置いておくだけでいい。
評議長が低く唸った。
「矛盾点だけ整理しろ、ということか」
「はい。判断は評議会に委ねます」
ヴァルター閣下が眉一本動かさずに頷いた。その横で、ミレイユが手袋を1枚替えた。机の隅に積まれた手袋が、また一枚増えた。
休廷の合図が出る直前だった。
傍聴席のセルガ司祭の机の下から、冊子の背が覗いた。薄い紙表紙。版元の印が見えた。
寄進者印。
視線だけで確認して、すぐ前に戻した。
気づいたのは私だけだったと思う。
司祭は何も言わなかった。ただ、右手で冊子の端をそっと机の下に押し込んだ。その手が、いつもの祈りの形とは少しだけ違った。
奇跡は売り物でも、証拠は売り物ではありません。
声には出さなかった。出す必要はない。見えていた。それで十分だった。
休廷の声が掛かり、廊下へ移動した。
少し遅れて、足音が追いついてきた。
「リーデルハイト」
ヴィクトルの声だった。呼ばれ方はいつも職名か姓だ。廊下に他の者がいれば、なおさら変わらない。
振り返ると、眼鏡の位置に指先が触れていた。
「3枚で十分だったか」
「はい。4枚目は不要でした」
短い沈黙があった。廊下の窓から、外廊の光が差してくる。
「……見えたか」
私は頷いた。聞かれた意味は分かった。冊子のことだ。
「見えました。ただ……」
「拾うな」
静かな声だった。命令というより、確認に近い響きだった。
「明日、終わらせる」
それだけで、ヴィクトルは踵を返した。眼鏡に添えた指が離れ、廊下の奥へ消えていく背中に影が落ちる。
私は足を動かせなかった。
明日。
評議会の判決は明朝だ。弁明はもう出尽くした。控えは揃っている。連鎖は繋がっている。
それでも、私の中でひとつだけ、まだ宙に浮いている言葉がある。
誰にも言っていない言葉。
言うべき一言を封じて得をするのは、誰だろうと、私は廊下の石畳を見つめながら思った。
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