第27話 地味な証拠で、黙らせる
会議室に入った瞬間、空気の重さが変わった。
長テーブルの上座に、帝国魔法局監査課の腕章を着けたイリヤ・クロイツ監査官が座っている。その両側に文官が3名。右端の席に、爪だけが妙に綺麗なオスカー・ブローム上席文官。全員の視線が私に向いた瞬間、その目が言っていた。「若い女官が、何を言いに来たのか」と。
私は書類の束を脇に抱えたまま、指定された椅子には座らなかった。
「先に1点だけ確認させてください」
全員の動作が止まる。その隙に、台帳を1枚、テーブルの中央に置いた。
「帝国文書管理規程・第14条3項。刻印に関する不一致が発生した場合、文書官長は監査要請権を持つ。——現行の規定で、間違いありませんね」
イリヤ監査官の目が細くなった。ブローム上席文官の爪が、椅子の肘掛けを静かに叩いた。
沈黙が3秒続いた。
「……間違いありません」
ブローム上席文官の声は丁寧だった。中身は空だった。
「では、要請します」
私は椅子を引いて、今度こそ座った。
会議は1時間かかった。
監査範囲の提案を出すたびに「前例がございません」か「手続きの確認が必要です」が返ってきた。私はそのたびに、規定の該当条文を読み上げた。準備してきた許可書式は8枚で、うち4枚に文言の不備があったので、その場で赤入れをした。
4枚目に差し掛かったとき、イリヤ監査官が青ざめた。
止めようとした気配はあったが、左隣のヴィクトル・ノヴァルティス公爵閣下が一切動かなかったので、誰も声を出せなかった。閣下は何も言っていない。ただ座っているだけだった。それだけで会議室の温度が数度下がっていた。
「地味で退屈な書類仕事」が、今日だけは武器になった。
会議が終わり廊下へ出ると、背後からブローム上席文官の声がかかった。
「文書官長殿」
振り返ると、廊下の角に彼が一人で立っていた。他の文官の姿はない。
「監査は結構ですが、一点だけ。刻印の件は……お立場をお忘れなく」
お立場。
その布を被せる感触を、私は知っている。王国でも何度か似た声を聞いた。「鍵らしくしていれば良い」と言い換えた声で。今の言葉も同じ型をしていた。「騒げば場が汚れる。黙れば守られる。それが女官の立場だ」という、見えない括弧つきで。
私は微笑んだ。
「私の立場は、文書官長です。今しがた、規定どおりに要請しました」
ブローム上席文官の爪が、微かに動いた。
「それだけです」
踵を返すとき、廊下の先にヴィクトル閣下の姿が見えた。こちらを向いていた。眼鏡の奥の目が何か言いかけて、止まった。そのまま、閣下は一歩だけ脇へ退いた。廊下を開けるように。
私は、その横を通った。
執務室の机に戻り、証拠を並べた。
台帳7冊。許可札の控え23枚。封蝋の写し5点。
許可札を1枚ずつ指先で撫でて、折り癖の位置を確かめる。右上角、同じ方向、同じ圧。23枚全部に、同じ手の痕がある。封蝋の写しを光にかざすと、同じ歪みが出た。押す角度が、一致している。
そこに、目録の空白ページを並べる。
欠けた番号が3つある。どこにも記録がない3ページ分。
私は携帯封蝋炉を取り出して蝋を溶かし、小型の監査印を整えた。それから、欠けた目録の余白に、正規の監査印を1つずつ押した。押すたびに息を止める。圧が均一になるように、角が飛ばないように。
これで3ページは「監査済」として記録に残る。後で誰かが何かを操作しようとしたとき、この空白が証拠になる。
次に、王国からの帰還要請文の写しを、今日付けで正式書庫に保管した。あの文の「声」が、この館の内部書類と重なることを、今は私だけが知っている。知っているうちに記録に落とす。証拠は、書いた瞬間だけが一番強い。
文書は都合で殺さない。
それが私の仕事の、ただ一つの軸だ。
夕刻、入口まで戻ると、ヴィクトル閣下がいた。
また定時の鐘より少し早く来ていた。フェリクス補佐が何か言いかけて、閣下の一言で静かになっていた。その様子が見えたので、私は少し笑いそうになった。
閣下がこちらに気づいて、近づいてきた。いつもなら私が一歩引く。今日は違った。
「……今日の会議。手順は完璧だった」
短い言葉だった。称賛でも評価でもなく、ただ見ていた、と言っているような声だった。
「ありがとうございます」
返してから、もう一言が出た。気づいたときには、もう言っていた。
「閣下が座っていてくださったから、動けました」
後悔するかと思った。しなかった。
閣下は黙っていた。眼鏡の縁に指が触れた。何か言いかけて——
「閣下」
フェリクス補佐が小走りで近づいてきた。書類を片手に、息を少し乱して。
「取調の続報です。ラウル・ケンプが……言いかけた言葉があります。取調の途中で飲み込んだ言葉が」
補佐が封筒を差し出しながら、その目が一瞬だけ私に向いた。
「神殿と、言いかけたきり黙った、と」
閣下の手が、眼鏡から離れた。指先が、止まった。
私の胸の中で何かが軋んだ。神殿。その名前が持つ重さは、文書管理の仕事をしていれば分かる。禁術検査を束ねる場所。証拠を手続き上処理できる場所。
捕まえたはずの糸が、今、別の方向に繋がっている。
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