表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「連載版」「地味で退屈な女」と婚約破棄されたので、鍵束と管理簿だけ置いて静かに去りました。……禁書庫が開かないのは私のせいではございません  作者: 夢見叶
第4章 刻印模倣——鍵が狙われる

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/33

第26話 自由を削る提案——受けるべき?

 クロイツ監査官が机の上に並べた書類は、3枚だった。それだけで、私の胸のどこかが重くなった。


「文書官長殿。警護強化案の概要です。具体的には、移動の際は同席者を必ず1名、書庫内の単独行動は禁止、通行証の発行を1日単位の事前申請に変更します」


 声は事務的で、淡々としている。クロイツ監査官の指が検査札の束を弾く癖をぐっと抑えながら、私は書類の文字を追った。


 移動の記録。同席者の署名。事前申請。


(……これは、鎖だ)


 そう思った瞬間、喉の奥で何かが固まった。言葉ではなく、恐怖に近い何かが。


「監査官。この案は、誰が起案しましたか」


「ノヴァルティス公爵閣下の意向を踏まえ、当課で立案しました。手順どおりに」


 手順どおりに。その言葉がひどく正確で、だからこそ逃げ場がなかった。


 私は書類の角を静かに揃えた。ずれていた紙の端が、きっちり重なる。


「……承知いたしました。内容を確認させてください」


 監査室を出て、執務室へ向かうまでの廊下に護衛が2人いた。昨日まで1人だったのが、今朝から2人になっている。通り過ぎるとき、文官が1人深々と頭を下げた。いつもより丁寧な礼だった。廊下の端でも、もう1人が腰を折る。


(みんなが丁寧語になっている)


 護衛が目立つほど、空気が変わる。変わった空気の中心に、私がいる。それがひどく居心地悪かった。


 執務室のドアを開けると、ヴィクトルがいた。書類を広げた机の前に立ち、銀縁眼鏡の奥で静かにこちらを見ている。


「警護案を読みましたか」


「はい。今しがた」


「不服があれば——」


「不服ではありません」


 私は言いかけて、止まった。本当は不服だ。でもその言葉を使うと、何かが崩れる気がした。


「ヴィクトル様。あなたは今、署名を出そうとしていますか」


 彼の手が一瞬止まった。机の上の公爵印のそばに、書きかけの書類があった。見れば分かる。


「……保護誓約の補則だ。法的拘束力を持たせれば、館の内部からの干渉を制限できる」


「制限されるのは、私の方でもあります」


 静かに言った。ヴィクトルの眼鏡の縁に、指先が触れた。言いかけて——止まる。その仕草が、私には痛かった。


「守られるのが怖いのではありません。——鍵に戻るのが怖いのです」


 声は想定より落ち着いていた。感情を飲み込む癖が、こういうときだけ役に立つ。


 ヴィクトルは少しの間、黙っていた。


「鍵ではない。……だが、君を失う可能性だけは、受け入れない」


 その言葉の奥にある何かを、私はまだ受け取り方を知らなかった。


 返答ができないまま、私は執務室を辞した。


 洗面室の前で、ミレイユが青い顔で待っていた。布包みを胸に抱えたまま、声が少し震えている。


「……お嬢様、ブラシが……ありません」


「いつからですか」


「朝の支度のあと、棚に戻したはずなのですが。包み袋ごと、なくなっていて」


 私はミレイユの手から布包みを受け取った。ブラシは既にない。残った袋だけが、空のまま手の中にある。袋の角を指先で確かめる。折り目がついていた。丁寧すぎる折り目。整えすぎた角。


(この折り方は——)


 息を止めた。許可札の端についていた癖と、同じ形だった。同じ手が触れた形だ。


「すぐに新しいものを用意します」


「……ミレイユ、袋はそのまま私が預かります。捨てないで」


 侍女が小さく頷いた。布包みを胸に抱え直す仕草が、不安をそのまま映していた。


 ブラシには私の髪が残る。髪があれば、刻印模倣の「材料」になり得る。


(生活に、手が伸びている)


 その事実が、警護案より先に冷たく落ちた。


 午後、私は書庫の裏通路に回った。護衛を「棚の整理」と称して正面通路に残し、1人で裏側へ入る。手には使用済みの許可札を1枚。角を意図的に折り癖と逆方向にして、棚の奥に挟んだ。


 本物ではない。ただの見せ札だ。ここに誰かが食いつくなら、それが導線の答えになる。


 静かに待つ。書庫の匂いは変わらない。インクと古い紙と、埃の混じった空気。落ち着く匂いだ、と思いながら、私は気配を消して棚の陰に立っていた。


 20分ほど後、物音がした。裏通路の奥から、靴音が来る。


 現れたのは見知った文官の後ろ姿だった。棚を確認し、許可札の位置を目で追っている。見つけた瞬間、その手が伸びる——直前で止まった。


 私と目が合った。


 文官の顔が青ざめた。私は何も言わなかった。ただ、その顔を記憶に収めた。


 夕刻、入口に迎えが来ていた。ヴィクトルが廊下の端に立っている。声をかけるタイミングを、何度か計って、かけ損ねたような立ち方だった。


 私は近づいて、1歩手前で足を止めた。


「……1つだけ確認させてください」


「なんだ」


「今朝の警護案。その内容は、どこか別の場所に先に伝わっていましたか」


 ヴィクトルの目が細くなった。


「……なぜ」


「裏通路に置いた見せ札に、手が伸びました。警護案が変わる前ならば、通る必要のない導線で」


 沈黙が落ちた。重い種類の沈黙だった。


 ヴィクトルが眼鏡の縁に触れる。言葉が出てくる前に、また止まる。それでも今度は続いた。


「……漏れた可能性が、ある」


 私は頷いた。胸の中で、何かがひとつ凪いだ。


 警護が強いほど安全だと思っていた。でも警護案そのものが筒抜けなら、強化は意味を持たない。それどころか、どこに穴があるかを相手に教えることになる。


 内側から、手が出ていた。


「明日、裏通路に来た文官の顔を、クロイツ監査官に伝えます」


「……セレスティーヌ」


 私の名前を呼ぶ声が、珍しく低かった。怒りを整えた後の、静かな声だ。


「今夜は、単独行動を避けてほしい」


 鎖ではなく、それを言った。私はしばらく考えて——頷いた。


「……承知いたしました」


 今夜だけは、その言葉の意味を、守られることとして受け取ろうと思った。


 帰り道、廊下の奥でオスカー・ブローム文官が立ち話をしているのが見えた。相手は知らない顔だった。ブロームの声は聞こえなかった。けれど唇の動きに、聞き慣れない単語が混じった気がした。


「——神殿の、検査が——」


 風が窓を鳴らして、声が消えた。


 私は足を止めなかった。ただ、その単語だけを、頭の隅に静かに留めた。


 ブラシの袋の折り癖が、私を導線まで連れていった。次に、この折り癖はどこへ続くのか。


 それを確かめるのは——まだ、私の番ではない。


 でも、もうすぐそうなる気がしていた。


読んでいただき、ありがとうございます。


よければブックマーク・評価・いいねなどしていただけるととても嬉しく思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ