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「連載版」「地味で退屈な女」と婚約破棄されたので、鍵束と管理簿だけ置いて静かに去りました。……禁書庫が開かないのは私のせいではございません  作者: 夢見叶
第4章 刻印模倣——鍵が狙われる

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第25話 文面が似ている——「声」が似ている

 その文書を最初に開いたとき、私は思わず指を止めた。


 王国から届いた帰還要請書。文面は整然として、一語も乱れていない。だが——読み進めるほど、奇妙な冷気が指先から上ってくる。


「……泣いていない」


 呟いた声は誰にも聞こえない。応接間には私しかいなかった。


 王国の要請文というのは、大抵どこかにお願いが滲む。故郷の温度が文字の隙間から漏れ出て、「戻っておいで」という熱がある。だがこの一枚には、それが一切なかった。整いすぎている。まるで、誰かが丁寧に熱を抜いたような——そんな文だった。


 私は封蝋の割れた跡を指で辿り、もう一度、書き出しの敬語を目で押さえた。


「……この言い回しは」


 知っている。知っているが、ここで見るべきものではない。




 監査室は昼過ぎでも薄暗い。イリヤ・クロイツ監査官は許可書の束を横に積みながら、検査札を指先で弾く癖をいつものように繰り返していた。


「王国の要請文を持ってきました」


 私が書類を机に置くと、彼の目が動いた。素早く、だが乱れなく。


「……照合しますか」


「お願いします。帝国側の許可書式と——語尾の型を並べてみてください」


 沈黙が落ちた。


 イリヤ監査官は許可書式の束を一枚引き抜き、王国の要請文を隣に置いた。指が止まる。私も止まっていた。


「……文末の余白の、整え方が」


「一致しています」


 私が先に言った。彼が顎を引く。


「帝国の定型書式に、王国の文が引っ張られているとは考えにくい。では——」


「内側が、手を貸した可能性があります」


 言葉にした途端、胸の奥で何かが沈んだ。重い音を立てて、ゆっくりと。


 王国の圧力だと思っていた。外からの手が、帰還という形を借りて伸びてくるのだと。だが違う。この要請文に帝国の書式が滲んでいるなら——作ったのは、帝国の内側にいる誰かだ。


「文書官長殿」


 イリヤ監査官が静かに言った。目が、珍しく曇っている。


「触れた痕は残る。残った方から辿ります」


「……はい」


 私は写しを取るために封蝋炉を取り出しながら、指が微かに震えているのに気づいた。気づいて、止めた。




 廊下に出たのは、書類の整理が一段落した夕刻近くだった。


 角を曲がったところで、ヴィクトルと鉢合わせた。軍服の直線が廊下の薄明かりに映えて、銀縁眼鏡の奥の目が一瞬だけ細くなる。


「——報告の途中か」


「終わりました。今日の分は」


 そう答えながら、私は自分が半歩後ろへ引いていることに気がついた。無意識に、距離を取っていた。


 ヴィクトルの目が、その動きを見ていた。見て、何も言わなかった。


「内通の可能性が、一段濃くなりました。王国側ではなく——帝国の内部から、手が出ている可能性です」


「……聞いた。イリヤから先に」


「速いですね」


「彼の仕事はそういうものだ」


 短い沈黙。


 ヴィクトルが眼鏡に触れた。フレームの端を、そっと押さえるだけの動作。何かを言いかけて、飲んだ。私にはわかった。わかったから、続きを待った。


「……警護の範囲を、また見直す必要がある」


「承知いたしました」


 返した言葉は平らだった。平らすぎて、自分でも少し怖かった。


 ヴィクトルの目に、何かが過ぎる。だが彼は頷いただけで、廊下を歩き始めた。私はその背中を見送りながら、胸の中で言葉を転がしていた。


(——守られるのが、怖いのではない)


 怖いのは別のことだ。でも、まだ言葉の形になっていない。




 書庫の作業台に戻ったのは、窓の外が橙に染まりかけた時分だった。


 王国の要請文を改めて広げ、封蝋の割れ方を光に透かす。蝋の断面は、一方向に綺麗すぎた。普通、封蝋を割る指は多少ぶれる。だがこれは——道具を使った跡に似ていた。


 私は王国時代に見た書類の割れ方を思い出す。急いで開封したときの、雑な断面。送り主の焦りが封蝋にも移る——そう教えてくれた先輩文官の声が甦る。


 この一枚には、焦りがない。


 計算が、ある。


「この文は」


 声に出してみた。誰もいない書庫に、自分の声が吸い込まれる。


「泣いているふりが上手すぎます」


 帰還を願う言葉が並んでいるのに、どこにも切実さがない。上手い。上手すぎて、逆に見える。


 私は写しを取り終えた要請文を封蝋で閉じた。封蝋を押す前に、一度だけ息を止めた。




 館の入口に差しかかったのは、定刻の鐘が鳴り終わってからだった。


 ヴィクトルが、石畳の手前に立っていた。


 いつもより少し早い。フェリクスが腕に書類の山を抱え、なぜかその山がいつもの3倍ほどある。ヴィクトルが書類を無言で引き取るたびに山が移動し、それでも机は消えない——そういう光景が続いているのだろうと、遠目でもわかった。


 私が近づくと、ヴィクトルが振り向いた。


 口を開く。


 開きかけて、止まった。


 眼鏡のフレームに指が触れる、あの動作。言いかけて飲む、あの沈黙。


 私も何も言えなかった。


 ただ並んで歩き始めると、フェリクスがすかさず一歩下がった。書類の山が揺れる。


「閣下、帰り道に少し——」


「黙れ」


「……今は、黙ります」


 静かになった夕刻の石畳を、私たちは3人で歩いた。


 ヴィクトルが「警護の見直し」と言ったとき、私が半歩引いた——その意味を、彼がどう受け取ったか。聞けなかった。


 聞けなかったまま、翌朝がくる。


 そして翌朝、彼が差し出すであろう「守るため」の提案が、私の目にどう映るのか——それだけが、胸の奥に引っかかったまま、消えなかった。


読んでいただき、ありがとうございます。


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