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「連載版」「地味で退屈な女」と婚約破棄されたので、鍵束と管理簿だけ置いて静かに去りました。……禁書庫が開かないのは私のせいではございません  作者: 夢見叶
第3章 改革初日、敵は内側に

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第22話  偶然なら、なぜ形が揃う?

 机の上に空白が並んだとき、最初に思ったのは「美しい」だった。


 整然と抜き出した28枚の控え。それぞれに番号と分類記号、収蔵棚の位置を書き込み、一直線に横へ広げていく。窓の外では日が傾き始めていた。


「……F棚が、17。H棚が、11」


 声に出すと現実になる。28枚のうち、28枚全てが2つの棚に集中していた。偶然なら散る。確率は私が試算するまでもない。


「F棚とH棚の共通点を」


 背後から声がした。ヴィクトルだ。いつ入ってきたのか、私は気づかなかった。


「……共通点は、分類記号の頭文字がいずれも『条約関連』です。F棚は旧条約原本の副本群。H棚は――」


「外交交渉の一次記録」


 私の言葉を引き取り、ヴィクトルは無言で控えを取り上げた。手早く写しを作り、取り出した封蝋を迷わず押す。一枚、また一枚。私が次を差し出せば、彼はそれを封じる。説明もない。許可を求めることもない。ただ、残す。


 その速度に、胸の奥が少し痛くなった。


 痛い、と気づいた時にはもう、私は控えの次の一枚を差し出していた。



 書架列へ向かったのは日が完全に落ちる前だった。灯架に火を入れ、F棚から順に確認していく。


「ここ」


 私が指さすより先に、ヴィクトルが棚板の角を指先でなぞっていた。


 微細な擦れがある。棚札の下縁の、ほんの2ミリほど。H棚でも同じ位置に、同じ幅の擦れが残っていた。


「同じ人間が、同じ道具を使った」


 私は声を落とした。そうとしか言いようがなかった。棚札を貼り直すとき、剥がした際の負荷が一定の方向にかかっていた。左利きの、慣れた動作。昨夜確認した糊の匂いが指先に蘇る。


「控えに写します」


「先に写真を――いや、ここでは無理か」


 ヴィクトルが一拍置いて、自分の手帳に寸法を書き留めた。私も同じことをした。二人で同じ数字を記録する。誰かが一方を潰しても、もう一方が残る。


 それが怖かった。


 「潰される」という可能性を、私は当たり前のように計算している。帝国文書館に来て、まだ数日しか経っていないのに。



 主任文官のカリッテに声をかけたのは事務卓に戻る途中だった。


「空白棚について、お聞きしたいことが」


「ああ、あの件ですね」


 カリッテは微笑んだ。穏やかな、崩れようのない笑顔だ。45年この館で働いてきたという自信と、それと全く同じ形の壁が、その笑顔の裏にある。


「偶然でしょう。条約関連は異動の多い分類ですから、欠けも出やすい。棚札の貼り直しも、年次の整備作業で」


「整備作業の記録はありますか」


「……記録は。まあ、口頭指示でしたので」


「口頭」


 私はただ繰り返した。それだけでカリッテの笑顔の縁が、ごくわずかに引き攣った。


「では、整備を担当された方のお名前は」


「それは……確認してみないと」


「承知しました。確認の際には、私宛に書面でお知らせいただければ」


 カリッテが答える前に、私は軽く会釈をして踵を返した。


 廊下に出てから、ヴィクトルが私の隣に並んだ。


「言わなくていいのか」


「何を」


「偶然ではないと」


 私は少し考えた。


「偶然なら、ばらけます。――揃うのは手です」


 ヴィクトルは何も言わなかった。ただ眼鏡のフレームに軽く触れて、視線を前に戻した。



 休憩室で台帳を広げたのは、閉館の鐘が鳴ってからだった。


 19話の会議のあと、私は資料の角に奇妙な折れを見つけていた。四分の一ほど折り返した、必要性のない折り目。その折り目を、今日の空白リストの控えと並べた。


 同じだった。


 折る角度が、折り返しの幅が、紙の繊維の潰れ方が。


 会議資料を作ったのはカリッテの部下だとされているが――この折り癖は、誰かが確認済みの証拠として折る癖があることを意味する。条約関連の空白に、会議に、同じ手が触れている。


 呼吸が止まった、と自分で気づいた。止まった息を、静かに押し出した。


「……セレスティーヌ」


 ヴィクトルが私の名を呼んだ。その声音が普段と違った。


「顔色が悪い」


「悪くない、と思います」


「悪い」


 断言された。反論が喉の先で止まる。


「敵は外にいる方が、まだ楽でしたね」


 声に出してから、少しだけ後悔した。弱音だと思ったからではない。言ってしまえば本当になる、と思ったからだ。


 ヴィクトルは何も言わなかった。ただ新しい封蝋を取り出し、折り癖を写した控えの端を静かに押さえた。


「……仕事の速度で愛情を示さないでください」


 気づいたら声に出ていた。ヴィクトルの手が止まった。私も止まった。


 数秒の沈黙の後、ヴィクトルは何事もなかったように封蝋を押した。私も何事もなかったように控えを整えた。耳が熱かった。



 夜の廊下は静かだった。


 最終確認のため書架列を通ったのは私の習慣だ。昨日貼り直された棚札が今日はどうなっているか、それだけを確かめるつもりだった。


 灯りをかざした瞬間、足が止まった。


 F棚の錠前に、見覚えのない刻印が残っていた。


 金属表面に浅く刻まれた、小さな紋様。帝国文書館の公印ではない。私が帝都に来て以来使った刻印でもない。


 今夜、誰かがここを開けた。


 開けようとして、自分の刻印を押しつけて――失敗した跡だ。


 私はその刻印を手帳に写した。手が震えていないことを確認しながら、一画ずつ正確に。


 廊下の向こうから足音がする。ヴィクトルがこちらへ歩いてくる。


 私は手帳を閉じ、錠前から目を離さなかった。


読んでいただき、ありがとうございます。


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