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「連載版」「地味で退屈な女」と婚約破棄されたので、鍵束と管理簿だけ置いて静かに去りました。……禁書庫が開かないのは私のせいではございません  作者: 夢見叶
第3章 改革初日、敵は内側に

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第19話 誰が変えるなと言ったのか

 目録室の扉を開けた瞬間、私の手に折りたたまれた紙が押しつけられた。


「……これは」

「黙って」


 小声で言い残した文官は、すでに背を向けて廊下へ消えていた。昨日、改革案に向かって最も鋭い目を向けていた男だ。前例がないと私を三度遮り、規定の写しを机に叩きつけた、あの。


 手の中の紙を広げると、几帳面な筆致で写し取られた目録の一欄があった。空白の棚番号が、整然と並んでいる。昨日私が自分で控えた番号と、完全に一致していた。


 胸の内で静かに何かが軋む。敵意だと思っていたものが、そうでなかった可能性を、今朝の朝一番で突きつけられた。


 私は紙を台帳の間に挟み、封蝋を切らないまま鞄の底に落とした。まず、今日の仕事をする。




 午前の会議は、始まる前から空気が固まっていた。


 長卓の上座に主任文官のデルマン氏が座り、両脇に文書館付きの文官が三名。私は末席に、改革案の写しを一部ずつ配った。昨夜のうちに追記した修正版で、規定の条文を根拠として書き込んである。


「セレスティーヌ文書官長、このたびの改革案ですが」


 デルマン氏の声は穏やかだった。礼儀正しい、この上なく礼儀正しい声で、彼は続ける。


「前例が、ございません」


 私は頷いた。


「はい。ですから提案しております」


「手順としては、まず帝国文書管理局への申請が——」


「4条2項に基づき、文書官長の権限内で実施できる改革については、事後届け出が可能です。写しをご確認ください」


 長卓の空気が、薄く冷えた。


 私には分かった。この部屋が、議題が乗った瞬間に冷えるのを、昨日から何度も見ていたから。反対は言葉ではない。温度だ。空気の固まり方だ。声ではなく、沈黙の向けられ方だ。


「……規定、ですか」


 デルマン氏が細く息を吐いた。


「ならば」と、彼は少し間を置いた。「申請の形式について、改めて確認する必要が」


「承知いたしました」


 私は台帳の端に日付と出席者名を記した。真横に座っていた文官の一人が、ほんの僅かに眉を上げる。


「——止めた方の名前ごと、残します」


 静かに言うと、長卓全体が一度、固まった。




 会議が散会したのは正午前だった。


 玄関脇の柱のそばで、ヴィクトルが壁に背を預けて待っていた。私の顔を見るなり口を開く前に、眼鏡の端に触れて一拍置いた。それだけで、彼がすでに何か察していると分かった。


「どうだった」


 報告するつもりで来たわけではなかった。けれど私は、目録室で広げた紙のことと、会議の空気を、短く告げた。


 ヴィクトルは黙って聞いた。途中で口を挟まず、眉一つ動かさず、ただ聞いた。


「……名前を記録した」


 私が最後にそう言うと、彼はわずかに目を細めた。


「それで十分だ」


「命令で通す気はないのですか」


 素直に聞いてしまってから、少し後悔した。しかしヴィクトルは不快そうでもなく、ただ真顔のまま答えた。


「命令で通す改革は、次の命令で潰れる」


 私が自分の会議で言ったのと、ほとんど同じ言葉だった。


 思わず黙ると、彼はもう一度眼鏡に触れた。今度は外しかけて、止めた。


「あなたが記録で積む方が、後が残る」


 それだけ言って、彼は踵を返した。見送りには来ていない、と今さら気づいた。昼の巡察の通り道だったのかもしれない。あるいは、違うのかもしれない。どちらでも、今の私には関係のないことだった。




 午後の目録室に戻ると、私は再び空白の番号と向き合った。


 昨日拾った棚の欠けと、今朝受け取った写し。二つを並べると、空白の棚番号に整然とした法則が見えてくる気がした。気がする、ではまだ足りない。


 台帳を引き出して、今日の会議資料の角を見た。


 資料は、開会前にデルマン氏が自ら配った。その一枚の、右上の角が、ほんの少し内側へ折れていた。几帳面な折り方で、癖のある折り方だった。


 私は手を止めた。


 会議のたびに渡される資料。昨日の棚の写し。今朝私の手に押しつけられた目録の控え。角の癖は、昨日受け取った写しにも、同じ向きで折れていた。


 昨日の写しを渡したのは、ヴィクトルの傍らの伝令付きの文官だったはずで——いや、違う。デルマン氏の配布した資料のはずだ。


 私は紙の角に指を当てたまま、しばらく動けなかった。


 前例がないと言いながら、空白の写しを持っている人間がいる。


 その人間が折った書類の角が、今朝私の手に届いた控えと重なる。


 偶然なら、ばらける。


 揃うのは、手だ。




 定時の鐘が鳴るころ、私は控えに一行だけ書き足した。


 今夜中に、空白の棚番号と台帳の記載とを照合する。明日の朝、この目録室に残っている空白の写しが、昨夜と同じ形であれば、それは偶然ではない。


 そして、昨夜まで私に反対していた文官が今朝の写しを届けてきたなら、彼は何かを知っていて、それを声にできない理由がある。


 私が控えを封蝋で閉じたとき、廊下の向こうから足音が近づいてきた。


 軽い足音ではなかった。複数で、急いでいる。


 目録室の扉が、ためらいなく開いた。


 顔を上げると、今朝私に写しを押しつけた文官が青い顔で立っていた。


「——空白の棚、今夜閉館後に封鎖されます」


 私は立ち上がった。封蝋を押し終えた控えを手に持ったまま。


「誰の権限で」


 文官は唇を一度引き結んだ。それから小声で、一つの名前を言った。


 私が今日の会議で記録した名前の、その一つ上の名前だった。


読んでいただき、ありがとうございます。


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