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「連載版」「地味で退屈な女」と婚約破棄されたので、鍵束と管理簿だけ置いて静かに去りました。……禁書庫が開かないのは私のせいではございません  作者: 夢見叶
第3章 改革初日、敵は内側に

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第18話  初日の棚が語る欠け

 棚札が、多すぎる。


 それが、帝国宮廷文書館に踏み込んだ最初の感想だった。棚の前に立って一列を見渡した瞬間、指先に微かな違和感が走る。飾りではない。実用品のはずの棚札が、まるで磨いたように白くて、角が揃っていた。


 ——新品に近い白さ。でも、棚は古い。


 私は意識的に呼吸を緩めた。初日だ。まず手順を踏む。


「文書官長殿の机は……こちらでございます」


 案内役の文官――エドガーと名乗った若い男性――が、石畳の廊下を小走りで先行しながら振り返った。廊下の奥の扉を示して、次の瞬間また歩き出す。数歩後、今度は左の棚を指して再び「文書官長殿の机は……」と言いかけ、自分で止まった。


「こちら……に、確認を取りまして。はい」


「エドガーさん、落ち着いてください」


 私が小声で言うと、彼は耳まで赤くして一礼した。


 入館手続きは滞りなく済んだ。官印と名札を受け取り、着任記録に署名する。インクの乾きを待ちながら、受付卓の上にある管理台帳の厚みを横目で確認した。分冊が7冊。背表紙の傷み具合がばらついている――中央の2冊だけ、明らかに使い込まれていた。


 午前の仕事は目録の確認と割り当てた。


 目録室に入ると、主任文官のペトラ女史がすでに待っていた。50代前半、背筋が鉄の定規のように真っすぐな人だ。机の上には目録札が整然と重ねてある。


「ご着任をお祝い申し上げます、文書官長殿。ご不明な点は何でもお聞きください」


 笑顔だった。礼儀正しく、丁寧で、どこにも引っかかりがない。


 私は目録札の束を手に取り、順に並べ始めた。棚の番号順に並べながら数える。1番、2番、3番――


 7番。11番。


 12番の次が、17番だった。


「……ペトラ女史」


 私は手を止めずに言った。


「13番から16番の目録札はどちらにありますか」


 一瞬の沈黙。ほんの0.5秒ほど。


「ああ、その番号帯は……前任の時代に再編成がございまして。新しい番号に統合されております」


 声は穏やかだった。説明も滑らかだ。


「統合後の番号を教えていただけますか」


「少々お待ちください、確認してまいります」


 彼女が部屋を出た後、私は目録札を並べ終えた。1番から50番まで一直線に展開すると、抜けが9箇所あった。13〜16、22、31〜33、47番。


 バラバラに飛んでいる。再編成の統合なら、連続番号の削除になるはずだ。


 書架列へ向かった。


 13番の棚を探す。文書館の東棟、奥から3列目。棚板は古く、端に細かな傷が散っている。けれど棚札は――


 止まった。


 棚札だけが、異様に白い。


 指先でそっと端を触れる。糊のわずかな盛り上がり。貼り直された痕だ。そして棚の中は、空だった。棚板に積もるほどの埃ではないが、物が置かれていた痕跡――微かな圧痕――だけが残っている。


 16番も、同じだった。22番も。31番から33番も。


 整然とした棚札の下に、何もない。


 ——整理した瞬間、空白が増えた。


 正確には違う。空白は最初からそこにあったのだ。ただ私が目録を並べることで、初めて欠けの形が見えた。整えたのではなく、欠けを可視化した。


 事務卓に戻ると、ペトラ女史が先に席についていた。


「統合後の番号ですが、確認に少々お時間が必要でして。前任の記録整理が途上でございますので」


 私は台帳を引き寄せ、開いた。


「前任の記録は、どちらに保管されておりますか」


「……管理倉庫に。ただ、整理が」


「途上、ですか」


 私は顔を上げて、笑顔で問い返した。


「この棚札、誰が磨いたのですか」


 ペトラ女史の表情が、一瞬だけ止まった。一瞬だけだ。すぐに微笑みが戻る。


「さあ、清掃担当が気を遣ってくれたのではないでしょうか。新任の文書官長殿をお迎えするにあたって」


「なるほど。ありがとうございます」


 私は返事をして、視線を台帳に戻した。これ以上聞いても、今日は出てこない。


 昼の鐘が鳴った後、目録室を出た廊下で、私は懐から控え紙を取り出した。小さな手帳型で、常に持ち歩くものだ。棚番号の抜けを書き写す。9箇所。棚札の貼り直し痕あり。中身なし。


 書き終えてから、封蝋を押した。


 癖だ。重要な観察を書いたときは必ず封をする。紐で閉じるより早く、開封の跡がわかる。王宮にいた頃から続けている習慣で、誰に教わったわけでもない。文書は都合で変えられてはいけない。記録も同じだ。


 廊下の窓から、午後の光が差し込んでいた。


 空白は、偶然の顔をしない。


 9箇所がバラバラに飛んでいて、棚札だけ白くて、中身がなくて、前任の記録が「途上」のまま放置されている。これが偶然の積み重ねだとしたら、どれほど不器用な偶然だろう。


 封蝋の押された控えを、上着の内側に滑り込ませた。


 その夜、帰り支度を整えて文書館の正門を出たとき、ヴィクトルが石柱の脇に立っていた。帝国式の軍服、銀縁眼鏡、当然の顔。昨日も、一昨日もそこにいた人が、今日もそこにいる。


「報告は」


「初日の所感をまとめます。今夜中に」


「急がなくていい」


「急ぎます」


 石畳を歩き出しながら、私は今日見た9箇所の空白を頭の中で繰り返した。棚番号の飛び方。棚札の白さ。中身のなさ。


 変えるなと言ったのは、誰の権限だろう。


読んでいただき、ありがとうございます。


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