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「連載版」「地味で退屈な女」と婚約破棄されたので、鍵束と管理簿だけ置いて静かに去りました。……禁書庫が開かないのは私のせいではございません  作者: 夢見叶
第2章 氷の公爵、迎えに来る

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第11話 帰還要請、最初の一通

 扉を叩く音が、3回だった。

 バルトロメオが小声で「王宮からの使者でございます」と言った瞬間、応接間の空気が変わった。ヴィクトルは書類から目を上げず、ただ一言「通せ」と言っただけで、その声がいつもより1音低かったことに私は気づいた。


使者は若い男だった。礼を崩さない。封蝋は王宮の印章で、蜜蝋の赤が扉から射し込む朝の光に溶けていた。書簡は私に向けて差し出された。


「セレスティーヌ・リーデルハイト殿へ。謹んでお届けいたします」


 受け取った瞬間、指先が冷えた。王宮の封蝋を触るのは5年ぶりだった。


 使者が退出し、バルトロメオが静かに扉を閉める。

 応接間に私とヴィクトルだけが残った。


「……読んでも」

「あなたの書簡です」


 それだけ言って、彼は視線を窓の外へ向けた。許可でも命令でもない。ただ事実を述べる声音だった。


 封を切ると、薄い紙が2枚入っていた。


 書き出しはこうだった。――「この度は永年の労をお慰め申し上げ……」


 丁寧だった。非常に丁寧だった。すべての語尾が整っている。段落の変わり目にも揃った間隔が入っている。まるで何度も読み返して、どこにも傷がつかないように磨き上げたかのような文章だった。


 最後の一行まで読み終えたとき、私は紙を膝の上に置いた。


「……帰って来い、と」


 声に出してから、自分の口調が何かを間違えていると気づいた。でも直せなかった。


 ヴィクトルが振り返った。眼鏡の奥の灰色の目が私の顔を一度だけ見て、それから紙へ落ちた。受け取っても構いませんか、とも言わずに手を伸ばした。私は渡した。


 彼は黙って読んだ。表情は変わらない。2枚目をめくり、最後まで目を通してから、書簡を机の上に伏せた。


「これはお願いではありません。……形を変えただけです」


 私が思っていたことを、彼がそのまま言った。


 感情の山が、胸の中で崩れる音がした。言葉にならないまま積み上げていたものが、誰かに先に整理されてしまった。罪悪感と安堵と、もう少し別の何かが同時に流れ込んできて、私はうまく息ができなかった。


「……気づいておりました」


「知っているだろうと思っていた」


 ヴィクトルは伏せた書簡の端を指一本で押さえたまま、続けた。


「外交の話をします。王宮が私を通さずに直接あなたへ送状するなら、これは国家間の手続きを踏んでいない。帝国の招聘下にある者への圧は、そのまま外交問題になる」


「……つまり」


「手が出せない、ということです」


 淡々と言い切って、彼は窓に視線を戻した。守る、という言葉は一度も使わなかった。事実の整理だけがある。でもその整理の仕方が、声の低さが、書簡を私から受け取った手の速さが、全部同じ方向を向いていた。


 私はそれを見て、何かを言おうとして、何も言えなかった。


 罪悪感が残った。王宮を出ると決めたのは私だ。置いてきた人たちが今どうしているかを、私は知っている。でも帰る理由にはならない。5年間、私の上申書を赤い字で「不要」と潰してきた場所に、戻る理由はない。


 そのことを頭では分かっている。でも心はもっと遅い。


「……あなたは、もう王宮の鍵ではない」


 静かな声だった。責めてもいなければ、慰めてもいない。ただ、現在地を告げるだけの声。


 でも私の胸に刺さった。鍵ではない、と言われたことが。5年間その言葉がほしくて、一度も来なかったそれが、こんな形で来た。


 泣くわけにはいかなかった。


 そのとき扉が遠慮がちに開いて、バルトロメオが入ってきた。銀盆の上に茶器が2セットある。


「……あの、閣下。当家にはダルゼル産の茶葉とカレン産がございまして、帝国のお客様にはどちらが……その、お好みを伺えれば」


 完璧な間だった。空気の重さをまるで知らないように、家令はどこまでも真剣な顔で公爵を見ていた。


 ヴィクトルが眉をわずかに上げる。


「どちらでも構いません」


「では両方お持ちしましょうか」


「……それは多い」


 私は笑いそうになって、必死でこらえた。目の端が少し熱かった。


 茶が来て、湯気が立ち上る。バルトロメオが静かに退出する。応接間が少し、普通の温度に戻った。


 私は膝の上の手をゆっくり握った。書簡はまだ机に伏せてある。あの中の言い回しは、どこかで見た型に似ていた。段落の変え方、敬語の積み方。5年間で何百通も読んできた王宮文書の、どれかと。でも今すぐには特定できない。


 考えを保留して、私は茶を一口飲んだ。ダルゼル産は少し渋い。それがかえってよかった。


 ヴィクトルは何も言わなかった。向かいの椅子で自分の書類に視線を戻している。書簡を伏せたまま、それ以上の言葉はない。


 守るという言葉を使わずに、守ろうとしている人間の沈黙が、応接間を満たしていた。


 私はその沈黙を、どう受け取るべきか分からなかった。


夕刻、バルトロメオが改めて報告を持ってきた。私は自室で招聘状の条文の2回目の確認をしていたところで、彼が何かを言いにくそうに目を伏せているのに気づいた。


「実は……使者が参りましたのは、今回が初めてではございません」


「……え」


「昨日も、一昨日も、別の者が参っておりました。私がお伝えしていなかったのは、受け取る前に帰したためでございますが」


私は羽根ペンを置いた。


「3日で3通」


「はい。それも……到着が、この館へ閣下がいらっしゃるとほぼ同刻でございました」


居場所が、早すぎる速度で伝わっている。


読んでいただき、ありがとうございます。


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