後日談③ 失ってから気付いたもの
エレノアとレオンハルトの結婚式から半年後。
王都の社交界では、ある話題が定着していた。
――グレイソン侯爵家の嫡男は、自ら最高の縁談を捨てた。
誰も口には出さない。
だが誰もがそう思っていた。
◇◇◇
アーネストは侯爵家の執務室で書類に目を通していた。
以前とは違う。
遊び歩くこともなくなった。
仕事を覚え。
領地経営を学び。
次期侯爵としての責務を果たそうとしている。
だが。
ふとした瞬間に思い出す。
あの日のことを。
「アーネスト様」
執事が声を掛ける。
「本日の予定です」
「ああ」
書類を受け取りながら頷く。
視線を落とした瞬間。
ある名前が目に入った。
王宮主催慈善事業。
主催者。
エレノア・アルディオン。
手が止まる。
◇◇◇
その日の午後。
王都中央広場では大規模な慈善市が開かれていた。
孤児院支援。
貧民街支援。
戦災孤児保護。
エレノアが中心となって進めている事業だ。
「こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
笑顔で応対するエレノア。
その隣にはレオンハルトがいる。
二人はよく似合っていた。
誰が見ても。
幸せそうだった。
◇◇◇
少し離れた場所から見ていたアーネストは、自嘲気味に笑った。
「本当に変わらないな」
昔からそうだった。
困っている人を放っておけない。
見返りを求めない。
誰かのために動く。
婚約していた頃は当たり前だと思っていた。
だが違った。
あれは当たり前ではなかった。
貴重なものだったのだ。
◇◇◇
「アーネスト様?」
声を掛けられる。
振り返るとセシリアだった。
以前のような派手さはない。
婚約後しばらくして、二人の関係は終わっていた。
理由は単純だった。
恋ではなかったから。
ただ周囲が見えなくなっていただけだった。
「久しぶりですね」
「ああ」
穏やかな会話だった。
もう昔のような感情はない。
「お元気そうで何よりです」
「君も」
二人は少しだけ笑った。
それだけだった。
◇◇◇
再び視線を向ける。
エレノアが笑っている。
その隣でレオンハルトも微笑んでいる。
不思議だった。
胸は痛む。
だが。
嫉妬はなかった。
ただ。
後悔だけがあった。
◇◇◇
「失ったんだな」
ぽつりと呟く。
地位ではない。
王家との縁でもない。
もっと大切なもの。
どんな時も味方でいてくれた人。
自分を信じてくれた人。
未来を共に歩いてくれた人。
それを自分の手で捨てた。
今さら取り戻せるはずもない。
◇◇◇
その時だった。
広場の向こうでエレノアがこちらに気付く。
一瞬だけ目が合う。
昔なら駆け寄ってきてくれただろう。
けれど今は違う。
エレノアは微笑み。
小さく会釈した。
それだけ。
それ以上でもそれ以下でもない。
過去の知人への礼儀。
そして。
完全な決別。
◇◇◇
アーネストも静かに頭を下げた。
もう十分だった。
謝罪はした。
許してもらった。
だからこれ以上を望んではいけない。
彼女には彼女の人生がある。
自分には自分の人生がある。
それでいい。
◇◇◇
帰り道。
アーネストは空を見上げた。
春の青空が広がっている。
「幸せになれよ」
その言葉は風に消えた。
誰にも届かない。
けれど。
不思議と心は軽かった。
後悔は消えないだろう。
一生抱えていくのだと思う。
それでも。
前を向いて歩くことはできる。
失敗したからこそ。
愚かだったからこそ。
今度こそ誰かを大切にできる人間になろう。
そう思えた。
◇◇◇
一方その頃。
「何を見ていたのですか?」
レオンハルトが尋ねる。
エレノアは小さく微笑んだ。
「少し昔を思い出していただけです」
「そうですか」
それ以上は聞かない。
彼らしい気遣いだった。
エレノアはそっと夫の腕に触れる。
レオンハルトも自然に手を重ねた。
温かい。
大切な人の温もり。
「帰りましょうか」
「はい」
二人は並んで歩き出す。
その先には家族が待っている。
祖父がいて。
王妃がいて。
叔父たちがいて。
養父と養母がいて。
たくさんの愛情がある。
婚約破棄されたあの日には想像もできなかった未来。
けれど。
だからこそ。
今の幸せは何よりも尊かった。
【後日談③ 完】
――婚約破棄された翌日、王家の紋章が私の腕に現れました 完結―




