94
「向こうに村ですかね?」
「村だ。こんな最果ての地に、まだ人が住んでいるのか」
俺は、猛吹雪の合間に見えた、小さな村を指差した。
二つ目の『冷気の心臓』を破壊し、魔導スノーモービルという最強の足を失った俺たちは、それから丸一日、腰まで埋まる雪原を歩き続けていた。
リズの防具がなければ、とうに身体は凍りついていただろう。
急に現れたのは、厚い氷の層に覆われた石造りの小さな家々が並ぶ、ひっそりとした村だった。
「あわわわ、助かりました。もう魔力が枯渇して、一歩も動けないところでしたよ」
フィンが眼鏡を凍りつかせたまま、震える声で溜息を漏らす。
村の入り口に辿り着くと、そこには奇妙な緊張感が漂っていた。
家々の窓は固く閉ざされ、物音一つしない。
「歓迎されてる雰囲気じゃないわね」
ライラが双剣の柄に手をかける。
俺たちが村の中央へ進むと、一軒の家の扉が細く開き、一人の老人が怯えたような瞳でこちらを覗き込んだ。
「こんにちは」
「旅人か? それとも、女王エレノア様の使いか?」
「違います。俺たちは、女王エレノアの野望を止めるために王都から来た者です。敵じゃありません」
俺がなるべく穏やかな声でそう告げると、老人は驚いたように目を見開き、急いで手招きをした。
「王都から!? 馬鹿な、この吹雪を越えてくる者がいるとは。さあ、早く中へ! 外に長くいては、女王の耳に捕らえられる!」
案内された家の中は、暖炉の火が細々と燃えていて、微かな暖かさに包まれていた。
俺たちは勧められるままにテーブルを囲み、差し出された温かい飲み物を口にした。
それは北の地に自生する薬草を煎じた、少し苦いが身体の芯から解きほぐしてくれるような不思議な茶だった。
「生き返るわ。ありがとうございます」
エルザがカップを両手で包み、凍えていた頬に当てる。
老人は名を『バレン』と名乗り、この村がかつては「北の聖域」として守られていたこと、そして今は女王の恐怖政治に怯えながら、ただ凍りつくのを待つだけの日々であることを語った。
「あんたたち本気なのか? 『大いなる凍結』を止めるなどと」
バレンの問いに、俺は力強く頷いた。
「既に二つの『冷気の心臓』を破壊しました。残るは、この先にある最後の一つだけです」
その言葉を聞いた瞬間、バレンの手からカップが滑り落ちそうになった。
「なんと。既に二つを。だが、若者よ。最後の心臓は、これまでの二つとは訳が違うぞ」
バレンの表情が、深い絶望と警告の色に変わる。
「最後の一つは、女王の住まう城の目と鼻の先にある『鏡像の谷』に鎮座している。そこには兵はいない。だが、代わりに置かれているのは『断絶の鏡』と呼ばれる呪われた大鏡だ」
「断絶の鏡?」
俺は王都の骨董品市で暴走したあの鏡のことを思い出し、嫌な予感が背筋を走った。
「その鏡の前に立つ者は、自分の内側にある『最も深い闇』と戦わねばならん。鏡は、お前さんの姿、能力、そして弱さを完全にコピーした『偽物の自分』を実体化させる。自分自身に勝てぬ者は、そのまま氷の像に変えられ、最後には心臓の糧となるのだ」
バレンの話によれば、これまで多くの戦士がその鏡に挑み、己の迷いに打ち勝てず、冷たい彫刻と化したという。
「自分の弱さと、戦うのか」
俺は自分の掌を見つめた。
勇者として持ち上げられ、仲間たちの絆に支えられてここまで来た。
でも、俺の心の奥底には、まだ「本当に俺でいいのか?」という不安や、独りになることへの恐怖が隠れている。
それと戦うのが、最後の心臓を破壊するための条件なのだ。
「コウイチ、顔が強張ってるわよ。あんた一人で戦わせるわけないでしょ?」
ライラが俺の肩を強く叩いた。
「そうです。鏡が偽物を作るというなら、私たちはその偽物を上回る絆で、コウイチの背中を支えます」
エルザの優しい瞳が、俺の不安を弱くしてくれる。
「ふん、偽物だろうが何だろうが、本物の方が強いってことを証明してやりゃいいんだよ。私の打った剣を持ってるのは、あんたなんだからさ」
リズも神槌をカチリと鳴らし、いつものように笑う。
「あわわ僕も、解析魔法で鏡の術式を乱してみせます!」
フィンも気合を入れ直し、シロは「わふん!」と力強く吠えた。
プニも俺にはいる。
「ありがとう、みんな。そうだな、俺はもう一人じゃない」
俺はバレンに向き直り、立ち上がった。
「最後の心臓、必ず壊してきます。そうすれば、この村にもまた太陽が戻るはずだ」
バレンは震える手で俺の腕を掴み、涙を浮かべて頷いた。
「頼む。どうか、この世界に春を戻してくれ。これを、持っていきなさい。村に伝わる『不消の火種』だ。絶望に飲み込まれそうになった時、これが道標となるだろう」
俺は小さなランタンを受け取り、仲間たちと共に、吹雪が吹き荒れる村の外へと一歩を踏み出した。
やがて辿り着いた『鏡像の谷』は、異様なほどに静まり返っていた。
谷の最奥、巨大な氷の結晶柱の前に、人の背丈の数倍はある巨大な銀の鏡が置かれていた。
それが、最後の『冷気の心臓』を守る呪いの鏡だった。
俺がその前に立つと、鏡面が波打ち、ドロリとした闇が溢れ出した。
「来たか、偽善者の勇者よ」
鏡の中から現れたのは、俺と全く同じ姿をした「黒いコウイチ」だった。
その瞳には、俺が心の奥底に封じ込めていた「諦め」と「不信」が感じられる。
「お前には何もできない。誰かを守る力なんて、本当は持っていないんだ。一人になれば、お前はただの無能な男に戻る」
黒い俺が『絆雷』の偽物を抜き放ち、鋭い斬撃を放ってきた。
俺は反射的に防いだが、その力は俺と全く互角、いや、迷いがない分だけ偽物の方が鋭い。
「ぐっお前に、何がわかる!」
「全部わかるさ。俺はお前自身なのだから。お前はただ、仲間という盾に隠れて、勇者のふりをしているだけだ!」
黒い俺の言葉が、鋭い刃となって俺の心をえぐる。
確かに、俺は一人ではここまで来られなかった。
仲間に頼り、支えられ、時には甘えてきた。
視界が暗くなり、足元の感覚が消えそうになる。
俺は、やっぱり、勇者の器じゃないのか。
膝をつきかけたその時、背後から温かな魔力が流れ込んできた。
「コウイチ!! 耳を貸しちゃダメ!!」
ライラの叫び声が、闇を切り裂いた。
「あんたが一人で強くなる必要なんてない! 私たちがいることが、あんたの本当の強さでしょ!?」
「そうです、コウイチさん! 弱さを持っているからこそ、あなたは人を信じ、絆を紡げたんです!」
エルザの光が俺を包み込み、偽物の俺が放つ闇を押し返していく。
「そうか。俺の弱さは、みんなを必要とするための欠片だったんだな」
俺はゆっくりと立ち上がった。
黒い俺が目を見開き、言ってきた。
「黙れ! そんなものは依存だ! 馴れ合いだ!」
「違う。これこそが、お前には決して真似できない、俺たちの『絆』だ!!」
俺は『絆雷』を高く掲げ、仲間たちから注がれるすべての魔力を一点に集約させた。
リズの熱、ライラの風、エルザの光、フィンの英知、プニも。
そしてシロの咆哮が、俺の心に眠る最後の迷いを打ち砕いた。
「絆雷・極点突破――『真実の共鳴』!!」
黄金の光が俺の剣から溢れ出し、黒い闇を一瞬で飲み込んだ。
黒い俺は悲鳴を上げる暇もなく光の中に消え、背後にある巨大な鏡が、粉々に砕け散った。
鏡が割れると同時に、最後の『冷気の心臓』もまた、内側から弾け飛び、光となっていった。
「終わった、のか?」
俺がそう言うと、谷を支配していた不気味な魔力が消え、空には今までで一番明るい陽の光が差し込んできた。
三つの心臓がすべて破壊されたってことだな。
これで『大いなる凍結』の歯車は止まったはずだ。
「やった! やったわよ、コウイチ!」
「勝った!!!」
「負けたら許さないところだったぞ」
シロも駆けつけてきて、俺の足に触れる。
プニは飛んできて、肩に乗った。
ライラが俺に飛びつき、全員が歓喜の声を上げる。
俺は砕けた鏡の破片の向こう側に、そびえ立つ女王の城のシルエットを見る。
最後の心臓を失い、その城から立ち上る魔力が明らかに乱れている。
俺たちは、村の人の助けも借りて、鏡像の谷を後にした。
自分の弱さを認め、それを仲間と共に乗り越えた俺に、もう迷いはない。
「三つの冷気の心臓は壊した」
「これからが本番ですよ」
「さあ、行こう。女王エレノアとの決戦だ」
俺の言葉に、仲間たちはかつてないほど力強い足取りで応えた。
王都を出発した時から続いた、冷気の心臓を巡る旅。
今、すべての準備が整い、俺たちは本当の最終決戦へと向かって歩み始めた。




