89
「グルゥァァァァァァッ!!」
巨大な熊の吠えが、凍りの森の空気を震わせた。
その振動だけで、周囲の樹の氷が砕け散り、鋭い氷のカケラが俺たちに襲いかかる。
「エルザ、防御を維持してくれ! フィン、魔力分析を急げ!」
俺は『絆雷』を構え、黄金の羽を羽ばたかせて冷気の波を回避した。
視界の端では、ライラが氷を双剣で叩き落としながら、獣の死角へと回り込もうとしている。
「コウイチさん、分かりました! あいつの氷の鎧は、周囲の熱を常に吸収して修復されています! 普通に斬ってもすぐに再生してしまいますよ!」
再生するのか。
厄介だな。
フィンの叫び通り、ライラが放った風の刃が熊の腕を削っても、瞬時に周囲の雪が凍りつき、傷跡を修復してしまった。
「熱を奪うなら、奪い返せないほどの熱量を叩き込むまでだよ!」
リズが神槌を地面に叩きつけ、地響きと共に亀裂を走らせた。
「コウイチ、あんたの『熱感知』で一番熱が凝縮されてる一点を見抜きな! そこが奴の生命線であり、この森を凍らせている呪いの核だ!」
俺はリズの言葉に応え、精神を極限まで集中させた。
吹き荒れる吹雪、凍りついた木々、そして目の前の巨大な熊。
すべてが青白い色の世界の中で、熊の胸の奥深い、心臓のすぐ隣に、ドクドクと脈打つ真っ赤な核が見えた。
「見つけた。あそこだ!」
だが、そこへ辿り着くには、熊が吐き出す絶対零度のブレスを突破しなければならない。
熊が大きく口を開け、大気中の魔力を一点に収束させ始めた。
周囲の空間が歪み、光さえも凍りつくようである。
「来ます! 最大級の凍結ブレスです!」
エルザが杖を両手で握り締め、必死に障壁を展開するが、その顔は恐怖で青ざめていた。
「シロ、プニ、俺を支えてくれ!」
「わふんっ!!」
「プニィィッ!」
シロが俺の足元で力強く踏ん張り、『不屈の絆』の魔力を俺へと注ぎ込む。
プニは俺の腕に巻き付き、身体を激しく振動させて、俺を包む空気の層を熱の層へと変えた。
「水鏡の盾!!」
俺はブレスが放たれた瞬間に、聖獣から受け継いだ盾を前方に展開した。
真っ白な冷気の流れが、水の盾に激突する。
ギィィィィン、という耳を裂くような音が響き、盾の表面がみるみるうちに白く凍りついていく。
「くっ重い! 押し潰される!」
足の骨が折れそうなほどの圧力が俺を襲った。
俺の背後に、俺を信じて背中を預けてくれる仲間たちがいる。
「跳ね返せぇぇぇっ!!」
俺は全身の魔力を一気に盾へと流し込んだ。
水鏡の盾が光を放ち、ブレスの冷気をそのままの勢いで、熊の顔面へと反射した。
「これでどうだ!」
「グガァッ!?」
自らの冷気を浴びて怯む巨大な獣。
その拍子に、胸元の氷の鎧に一筋の亀裂が入った。
「今よ、コウイチ! 道は私が作るわ!」
ライラが跳躍し、双剣を十字に交差させた。
「疾風・大旋風破!!」
彼女の放った巨大な竜巻が、熊の周囲に停滞していた冷気を強引に吹き飛ばし、一瞬だけ視界が開けた。
「黄金の羽、最大出力!!」
俺は光の翼を広げ、氷の欠片が舞う空中を、一直線の閃光となって駆け抜けた。
背後でリズの神槌が熊の足を叩いてその巨体をさらに崩す。
「これで、終わりだ!!」
俺は『絆雷』の剣先に、マリアンヌさんから預かった短剣の「冷気吸収」の特性を共鳴させた。
剣が周囲の冷気を吸い込み、青白い雷光で激しく震動する。
熊の胸元の亀裂に、俺は最大の力で剣を突き立てた。
「剛力・一点突破――雷鳴爆砕!!」
ドォォォォォォン!!
熊の体内にある熱の核に、雷の衝撃が直撃した。
内側から膨れ上がった魔力が氷の鎧を粉砕し、巨大な魔物は消えていった。
熊が消えた瞬間、森を支配していた不気味な静寂と、異常なまでの寒気がふっと和らいだ。
「はぁ。終わったの、かな」
ライラがその場に座り込み、大きく肩を揺らした。
エルザが駆け寄り、一人一人の体調を確認していく。
「皆さん、怪我はありませんか? あ、見てください、空が」
エルザが指差した先。
分厚い雲の切れ間から、ほんの僅かに王都の方角から届く光が差し込んでいた。
凍りついていた樹氷がパラパラと落ち、森の本来の姿が少しだけ戻ってくる。
「やるじゃないか、コウイチ」
リズが神槌を担ぎ直し笑った。
「あの反射は完璧だったよ。聖獣の力も、あんたの技術も、少しずつ北の地に適応してきてるね」
「リズのおかげだよ。あの核の位置を教えてもらわなきゃ、今頃俺たちは氷漬けだった」
「わふん!」
シロが誇らしげに俺の膝に頭を擦り付けてくる。
プニもまた、プルプルと元の柔らかさに戻って、俺の頭の上で満足そうに跳ねた。
「プニもシロも良くやった」
だが、フィンが手元の魔導書をめくりながら、厳しい表情で前方を見つめた。
「コウイチさん、喜ぶのはまだ早いです。今の熊は、あくまでこの森を維持するための『端末』に過ぎません。本当の冷気の源、四天王が打ち込んだ『第一のクサビ』は、この森のさらに奥にあります」
フィンの指差す先、森の最深部には、巨大な氷の結晶がそびえ立っていた。
そこからは、今倒した熊の比ではないほどの、魔力が伝わってくる。
「あそこが世界の凍結を始めている心臓部か」
俺は改めて自分の剣を強く握り直した。
王都を出発して最初の試練。
俺たちは辛くも勝利を収めたが、これはまだ長い旅路の序章に過ぎないのだな。
だが、俺の中にあった「不安」は、この戦いを通じて確信に変わっていた。
どれほど世界が凍りつこうとも、この仲間の温もりがあれば、俺たちは何度でも立ち上がれる。
冷たい風が吹くが、俺の胸の奥にある火は、王都を出た時よりも激しく燃え上がっていた。
「さあ、みんな。一休みしたら出発だ」
俺の言葉に、仲間たちが力強く頷く。
「当然よ! こんなところで立ち止まってたら、ライラ様の足が凍っちゃうわ!」
「はい。この森に再び春を連れてくるまで、歩みは止めません」
「ふん、さっさとあのデカい氷の塊を叩き割りに行こうじゃないか。私の槌が言っているよ」
「あわわ、僕も全力でサポートしますよー!」
俺たちは、少しずつ明るさを増していく森の小道を、第一のクサビを目指して歩き始めた。
背後には、俺たちを信じて送り出してくれた王都の人々の想いがある。
前には、運命の北の氷冠の女王エレノアが待っている。
一歩、また一歩進もう。




