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俺は、宿屋の食堂でくつろいでいたライラたちに話した。
「悪いが、みんな。少しの間、マリアンヌさんと二人だけで話をさせてくれ」
刺客クロムを倒し、スタミナ飯で英気を養い、鏡の騒動で絆を再確認した。
だが、俺の胸の中に沈殿している「正体不明の不安」だけは、どうしてもぬぐい去ることができなかった。
シロが心配そうに俺を見上げたが、俺はその頭を一度だけ撫でる。
ギルドの最上階にあるマリアンヌさんの執務室へと向かった。
扉を叩くと、中から「入りな」という、低く重みのある声が響いた。
室内には書類が山積みになっていたが、マリアンヌさんはそれらを脇に避け、一本の古びた地図を広げていた。
「コウイチ、あんたが来るのは分かってたよ。刺客クロムの件。あれはただの小競り合いじゃない。奴ら、いよいよ『最終段階』に入ってやがる」
「最終段階?」
彼女の瞳には、いつもの快活な豪快さはなく、軍師のような鋭い光だ。
俺は彼女の向かい側に座り、単刀直入に問いかけた。
「四天王。特に北の女王が何を企んでいるのか、教えてください。クロムの強さは異常でした。あんなのが何人もいる四天王の陣営が、ただ山に引きこもっているとは思えないんです」
マリアンヌさんは溜息をつき、地図の北端の永久に閉ざされた山脈の先を指差した。
「あんたは、なぜ北の地が数百年もの間、死の領域とされてきたか知ってるかい? 単に寒いからじゃない。あそこは世界の『魔力の循環』が最後に行き着く、吹き溜まりなんだよ」
彼女は羽ペンを走らせ、大陸全土に広がる魔力の流れを簡易的に描き出した。
「北の四天王、氷冠の女王エレノア。彼女の目的は、単なる国の侵略や人類の抹殺じゃない。彼女が狙っているのは、この世界の『季節』そのものを終わらせることだ」
「季節を終わらせる? どういうことかな」
俺の背筋に、クロムの冷気とはまた違う、本能的な恐怖が走った。
寒気がする。
「四天王は今、北の霊峰に眠る古代遺構『極夜の揺り籠』を再起動させようとしている。そこは、星の熱を吸い取り、冷気に変換する巨大な魔力炉だ。奴らの計画名は『大いなる凍結』。これが発動すれば、王都どころか、この大陸全土から『明日』が消える」
マリアンヌさんの指が、地図上の王都をなぞった。
「大いなる凍結」
その言葉を聞いて、言葉が出ない。
「まず、空が厚い雲に覆われ、太陽の光が完全に遮断される。気温は一昼夜でマイナス百度を下回り、魔力の循環は完全に停止する。人間も、魔物も、そして草木の一本に至るまで、この世界のすべてが、生きたまま永遠の氷像になるのさ。争いも、飢えも、悲しみもない。ただ、静寂だけが支配する氷の墓場だよ」
俺は絶句した。
王都が滅ぶどころの話じゃない。
生態系そのものが、そして「時間」という概念さえもが凍りつき、文明が根絶やしにされる。
刺客クロムが使った『万物停止』の魔法は、その広域壊滅計画の、ほんの僅かな断片に過ぎなかったのだ。
「そんな馬鹿げたことが、本当に可能なのか?」
「可能だ。今のあんたなら分かるだろ? リズが打った剣、シロとの絆、そして聖獣から授かった力。それらの『奇跡』が実在するように、四天王が持つ『神話級の絶望』もまた、紛れもない現実なんだ」
マリアンヌさんは、地図の上に小さな石を置いた。
「奴らはすでに、王都の地下を流れる地脈の結節点に、冷気のクサビを打ち込み始めている。あんたたちがサウナで遭遇した魔法陣の暴走。あれも、実は四天王の冷気が地底から干渉し、地熱とのバランスが崩れたことで起きた可能性が高い」
あの時のパニックが、単なるフィンのミスではなく、世界規模の破滅の前兆だったことに、俺は戦慄した。
敵は俺たちが想像していたよりも、遥かに巨大で、そして冷酷に歩みを進めていた。
「マリアンヌさん。俺たちに、止めるチャンスはあるのか」
俺の声は、自分でも驚くほど震えていた。
肉の味を競い、鏡で本音を晒し合い、温泉で笑い合う。
そんな、どうしようもなく愛おしい「今」を、氷の墓場にするわけにはいかないよな。
マリアンヌさんは俺の目を見据え、力強く頷いた。
「一つだけある。奴らが『極夜の揺り籠』を完全に同期させる前に、北の山脈にある三つの『冷気の心臓』を破壊することだ。クロム級の化け物が守る陣地を、正面から突破しなきゃならない」
話を聞き終えた俺の掌には、じっとりと冷たい汗が滲んでいた。
北の山脈は、もはや単なる「冒険の目的地」ではない。
世界の終わりのタイマーが刻まれている、巨大な処刑場なのだ。
マリアンヌさんは机の引き出しから、一振りの古い短剣を取り出した。
「これは私がかつて冒険者だった頃の守り刀だ。コウイチ、あんたに預ける。これは冷気を吸い取って魔力に変える特殊な鉱石でできている。北の最奥で、きっとあんたを助けるはずだ」
俺は重みのある短剣を受け取り、自分の腰に差した『絆雷』の隣に収めた。
「マリアンヌさん。俺、正直に言うと、めちゃくちゃ怖いです」
「がはは! それでいいんだよ。怖さを知らない勇者なんて、ただの無鉄砲な自殺志願者だ。死にたくないと思うからこそ、人は最高の力を発揮できるんだからね」
マリアンヌさんは席を立ち、窓の外に広がる王都の夕景を眺めた。
「この景色を、氷漬けになんてさせやしないよ。あんたたちなら、できるはずだ。絆の勇者って名前、飾りじゃないんだろ?」
「はい。やります」
俺は深く、深く息を吸い込んだ。
恐怖は消えない。
だが、それを上回る「守りたいもの」の重さが、俺の心の支えだな。
執務室を出ると、廊下の角でシロが待っていた。
「わふん?」
心配そうに首を傾げる相棒に、俺は無理やり笑顔を作って見せた。
「大丈夫だ、シロ。さあ、みんなのところへ行こう。俺たちは世界を救うために出発するんだ」
食堂に戻ると、ライラが新しい剣を磨き、エルザが予備の聖水を調合し、フィンが地図を広げ、リズが神槌を磨いていた。
誰もが、自分にできる最大限の準備をしていた。
俺は彼らの顔を一人一人見つめ、確信した。
四天王の女王エレノアの計画がどれほど絶望的だろうと、この絆がある限り、俺たちが凍りつくことはない。
「みんな、聞いてくれ」
俺はマリアンヌから聞いた「世界の終わり」の計画を、隠さずすべて話した。
最初は沈黙が支配したが、やがてライラが不敵に笑い、双剣を鞘に収めた。
「いいじゃない。世界を凍らせようなんて生意気な奴、私の風で粉々に砕いてやるわよ」
「はい。神の温もりを奪う冷気など、私が許しません」
エルザの瞳にも、静かな怒りの炎がある。
リズは自分の神槌を力強く叩き、火花を散らせた。
「ふん。氷の心臓だろうが何だろうが、私の槌で叩き潰してやる。コウイチ、あんたの剣、もう一度だけ研ぎ直してやるよ。最果ての冷気を切り裂くためにね」
王都の夜が更けていく。
窓の外では、静かに雪が降り始めていた。
それは四天王の計画の予兆かもしれないが、今の俺たちには、それが明日の勝利の祝福だと思いたい。
俺はシロを抱き寄せ、暖炉の火を見つめた。
絶望が切り裂いて、温かな季節がなくなるのは止めたい。




