79
俺は、ぐちゃぐちゃになった宿屋の部屋の真ん中で、頭を抱えていた。
これだからな。
ペットのしつけじゃないけど、俺の教育が悪いのかな。
「シロ、それは流石にやりすぎだぞ」
そこには、俺がリズと相談して苦労して書き上げた「北の山脈攻略メモ」が、無残にもシュレッダーにかけられたような姿で散乱していた。
シロは、口に紙の破片をつけたまま、悪びれる様子もなく「わふん!」と胸を張っている。
どうやら、最近リズの防具改修やフィンとの魔法陣の研究にかかりきりで、構ってあげられなかったのが不満だったらしい。
「遊んでほしいのは分かるけど、これは大切な作戦会議の資料なんだ。少しは我慢してくれなきゃ困る」
俺が少し強い口調で言うと、シロの耳がピタリと伏せられた。
「わふぅ」
「そんな悲しそうな顔をしても駄目だ。今日は反省して、そこでじっとしてろ」
俺は散らばった紙を拾い集めるのに必死だった。
もう、面倒だな。
シロの瞳はちょっと寂しさに気もするが。
シロは一度、俺の背中を悲しげに見つめると、開いていた窓から音もなく外へと飛び出していった。
「おい、シロ。どこへ」
数分後、部屋の片付けを終えて顔を上げた時、そこにはもう白い毛のシロの姿はなかった。
「シロ? どこに行ったんだ?」
返事はない。
いつもなら俺が呼べば、どんなに離れていても「わふん!」と返ってくるはずなのに。
俺は慌てて廊下へ飛び出し、同じ宿に泊まっているライラたちの部屋を叩いた。
「コウイチ、不安な顔しているね?」
「大変だ、シロがいなくなった!」
「ええっ!? シロちゃんが家出?」
フィンが驚いて魔導書を落とし、ライラが呆れたように腰に手を当てた。
「あんたねぇ、シロがあんなに寂しそうにしてたのに、気づかなかったの? 絆の勇者のはずなのに」
「そうなんだが、とにかく探さないと。シロは人懐っこいから、変な奴に捕まらなきゃいいけど」
俺たちは宿を飛び出し、王都の街中を手分けして探し始めた。
だが、サウナブームで活気づく王都の人混みの中では、小さな白い犬を一匹見つけるのは至難の業だった。
「コウイチさん、落ち着いて『嗅覚強化』の逆。いえ、『魔力感知』を使ってください!」
エルザに言われ、俺は深く息を吸って集中した。
シロと俺は『絆結び』で繋がっている。
その微かな魔力の残りを辿れば、居場所が分かるはずだ。
あっちだ。王都の西門へ向かってる。
俺たちは門番に聞き込みをしながら、街の外へと続く草原の街道を走った。
「白い犬なら、ついさっき凄い勢いで走っていったぞ。なんだか、村の子供たちに追いかけられていたようだったが」
門番の言葉を聞いて、俺の胸に嫌な予感がよぎった。
「シロは街の外へ行ったらしい」
「早く追いかけましょう」
「まだ間に合う」
西門を出てしばらく走ると、王都の喧騒が嘘のように穏やかな草原地帯が広がっていた。
そこには「ミナモ村」という、小さな湖のほとりに作られた静かな集落がある。
「村ですね」
「小さな村だな。ここにシロが来ていると反応している」
俺たちが村の入り口に辿り着くと、そこには異様な光景が広がっていた。
「おお! 戻ってこられた! ついに聖獣様が、姿を変えてお戻りになられたぞ!」
村人たちが地面で、広場の中央に向かって熱心に祈りを捧げている。
何をしている?
「ちょっと、あれ何?」
ライラが指差した先を見て、俺は思わず絶句した。
村の広場にある、立派な台座の上に、真っ白な絹のクッションが敷かれている。
その上に座っているのは、金色の首輪を巻かれ、山盛りの高級な肉や果物を前にした、紛れもないシロだった。
「シロだよなあれ」
「どうなってんだ?」
「わ、わふふ」
シロはどこか戸惑っている。
目の前に差し出された特大の干し肉を、村の子供たちに「どうぞ、聖獣様!」と献上されている。
「聖獣様、どうか私たちの村を干ばつからお守りください!」
「また美味しいお肉を持ってきますから、どこへも行かないでくださいね!」
大変なことになっている。
「ねえライラ。様子をみてくれないか」
「おい、シロ!」
ライラが駆け寄ろうとすると、槍を持った村の若者たちに遮られた。
「待て! 聖獣様に無礼を働く者は何奴だ!」
「いや、あれは私達の相棒の犬で」
「黙れ! このお方は、この村に古くから伝わる『白銀の守護者』の再来なのだ。姿こそ小さくなられたが、この清らかな魔力、そしてこの気品ある姿。間違いあるまい!」
「ええええ!」
どうやら、シロの持つ神聖な魔力が、この村で信仰されている行方不明の聖獣と勘違いされてしまったらしい。
「コウイチさん、下手に手を出さない方がいいです」
フィンが小声で俺の服を引いた。
「古文書によると、この村の聖獣は数日前に突然姿を消し、村はパニックになっていたようです。そこにシロちゃんが現れたものだから、彼らにとってはまさに救いの神なんでしょう」
シロは台座の上で俺と目が合うと、ぷいっと顔を背けた。
まだ怒ってるのか。
それとも、この豪華なもてなしが気に入ったのかな。
どっちにしろ、シロには謝らないとな。
村人たちの熱狂ぶりは凄まじく、強引に連れ戻せば暴動になりかねない雰囲気だった。
「分かった。ひとまず事情を聞こう。俺達のことも話そう。そうすれば理解してくれるかも」
俺は村長と思われる老人の前で、自分たちが王都の冒険者であることを明かした。
「そうか、聖獣様のお知り合いか。ならば歓迎しよう。だがな、聖獣様が戻られるまで、この村は呪いに怯えていたのだ」
村長の話によれば、本物の聖獣がいなくなってから、村の貴重な水源である湖が汚れ始め、不気味な影が目撃されるようになったという。
「不気味な影?」
「気になるな」
「あのお方が戻られたからには、もう安心だ。さあ、今夜は聖獣様の帰還を祝う宴を行うぞ!」
「わふん!」
シロが嬉しそうに吠える。
あいつ、完全に家出を楽しんでやがる。
わざとらしく、そっぽを向いてるしな。
俺は広場の隅で、豪華な食事を楽しむシロを複雑な心境で見つめていた。
喧嘩の仲直りをするつもりで追いかけてきたのに、これではどちらが飼い主か分からない。
「いいじゃない、コウイチ。シロもしばらくここで贅沢させてあげれば? あんたへの仕返しには丁度いいわよ」
ライラがクスクスと笑うが、俺は笑えなかった。
『魔力感知』に引っかかる。
湖の方向からの不穏な気配があるから。
本物の聖獣がいなくなった理由は、単なる迷子ではないような気がしたからだ。
「エルザ、あの湖、何か嫌な予感がしないか?」
「はい。淀んだ魔力が、少しずつ村へ近づいています。シロちゃんは、それを分かっていてここに留まっているのかもしれません」
エルザの言葉に、俺はシロを見た。
シロは肉を食べながらも、耳をピンと立てて西の湖の方を警戒するように見つめていた。
あいつは、単に贅沢をしたくてここにいるわけじゃない。
俺と喧嘩してもなお、この村に迫る危機を放っておけなかったんだ。
それを知らずに俺は、シロの悪口も言ってしまった。
「ごめんな、シロ」
俺の反省は、宴の準備をする村人たちの歓声にかき消された。
その夜、ミナモ村に本当の「試練」がなければいいが。
聖獣の身代わりとなったシロと、それを追いかけてきた俺たち。
俺は腰の『絆雷』を握り直し、月明かりに照らされた不気味な湖面を見た。




