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夜が更けるにつれ、ミナモ村を包む空気はしっとりと冷え込んだ。
湖から流れてくる霧が松明の炎を白くする。
宴の賑わいは続いていたが、村人たちの笑顔の裏には、どこか追い詰められたような切実な祈りが張り付いている。
彼らにとって、台座の上で干し肉を噛みしめるシロは、単なる動物ではなく、絶望の中で掴んだ唯一の希望なのだ。
俺は広場の柱に背を預け、シロの様子をじっと伺っていた。
「わふん」
シロがふと顔を上げ、西の湖の方角を凝視した。
その瞳には、昼間の俺お たのではなく、かつて俺と一緒に数々の魔物を退けてきた戦士の鋭い光がある。
「変化はあったかな?」
「コウイチさん、来ます。湖の底から、粘りつくような負の魔力が溢れ出しています」
エルザが杖を握りしめ、俺の隣で低く言う。
「ああ。空間把握でも捉えた。一匹じゃないな。無数の小さな影が、霧に紛れて村を包囲しようとしている」
俺が『空間把握』で捉えたのは、半透明で不定形の、泥のような魔物の集団だった。
「ライラ、リズ、準備はいいか。宴を楽しんでる村人たちに被害が出る前に叩くぞ」
「言われなくても。あんなドロドロの連中に、私の新しい防具を汚されたくないわ」
ライラが双剣を持つと、風の魔力を足元に集中させる。
「ちっ、せっかくの酒が不味くなるね。コウイチ、あんたの剣で一気に霧を払え。湿気で槌のノリが悪くなるのは嫌だよ」
リズも巨大な神槌を肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべた。
その時、湖の方から「ビチャリ」という、重い泥が鳴るような音が響いた。
霧の中から現れたのは、かつてこの村の水源を守っていたはずの魚や水鳥。
それが、どす黒い魔力によって異形へと変えられた成れの果てだった。
空間把握でそれが、『穢れし泥霊』と判明した。
「穢れし泥霊だ」
「アンデッドみたいです」
すると村の人が、
「ひっ、化け物だ! 聖獣様、お助けください!」
村人たちがパニックに陥り、シロの座る台座へと群がる。
シロは一瞬、俺の方をチラリと見た。
その目は「まだ怒ってるけど、仕事は別だもんね」と言っているようだった。
「わふぅぅぅん!!」
シロが台座から飛び出し、村の入り口で大きく吠えた。
『剛勇の咆哮』。
その衝撃波が先頭の泥霊たちを吹き飛ばし、村人たちを守る見えない防壁となる。
「シロ、ごめんな! あとは俺たちがやる!」
俺は『絆雷』を引き抜き、一気に最前線へと躍り出た。
「光輝・絆連斬!」
銀色の刀身が闇を切り裂き、泥霊たちの核を正確に貫いていく。
だが、倒しても倒しても、湖からは際限なく黒い泥が湧き出してくる。
多いぞ!
どんどん出てくるな。
「コウイチさん! 湖の奥に、この汚染を撒き散らしている本体がいます! あれを叩かない限り、霧は晴れません!」
フィンの叫び声に、俺は視線を湖の中央へと向けた。
そこには、巨大な骨の魚のような姿をした魔物が、湖の水面から出てこようとしていた。
「あれが、本当の聖獣を飲み込んだ元凶か」
俺は歯を食いしばり、シロに駆け寄った。
「シロ、もう一度俺を信じてくれ。喧嘩は後でいくらでも謝る。今は、あの村の子供たちの笑顔を守らせてくれ!」
俺が手を差し出すと、シロは少しだけ迷うような仕草を見せた。
だが、背後で怯える子供たちの泣き声が聞こえた瞬間、シロは力強く俺の手に鼻先を押し当てた。
ドクン、と胸の奥で絆の回路が繋ぎ直される。
これまで以上の、熱く、太い魔力の流れが全身を駆け巡った。
「シロ」
『スキル:絆の共鳴』発動。
俺の全身が黄金の光に包まれ、シロの体もまた、白銀の雷光で巨大化した。
「ライラ、リズ、道を空けてくれ! 一撃で沈める!」
「任せたわよ! 疾風・大旋回!」
ライラが巨大な竜巻を巻き起こし、湖へと続く道を作った。
「打ち砕け! 熱線爆砕!!」
リズが槌を叩きつけ、地面を走る衝撃波で泥霊の群れを一掃する。
「行くぞ、シロ!」
俺とシロは、ライラが作った風の道を弾丸のように駆け抜けた。
『剛力・一点突破』と『素材共鳴』を同時に発動させる。
剣の振動を骨の魚の装甲が最も弱まる周波数に固定し、そこにシロの雷光を上乗せする。
「おおおおおっ!!」
湖の中央で、俺の剣と巨大な魔物が衝突した。
耳を突き刺すような金属音と、闇を焼き払うほどの閃光。
魔物の骨の鎧が内側から崩壊し、中からどす黒い霧が散っていく。
「倒したぞ、でも何かいるな」
魔物が消え去った後、静まり返った湖面に、一匹の小さな、透き通ったのが浮いていた。
「なにあれ?」
「何かいます。精霊のようです」
「コウイチ、精霊がいますよ。生きていたようです」
「幼い龍だな」
魔物が消え去った後、静まり返った湖面に、一匹の透き通った水の精霊がふわりと浮かび上がった。
それは、この村が古くから守り続けてきた本当の聖獣――水の幼龍だった。
幼龍はどこか心細げに周囲を見渡していたが、俺とシロが歩み寄ると、その澄んだ瞳をじっとこちらに向けた。
「怖かったな。もう大丈夫だ。湖は綺麗になったぞ」
俺が手を差し伸べると、幼龍はシロの顔を一度見つめ、確信を得たように俺の指先にその小さな鼻先を触れさせた。
その瞬間、温かくも清烈な魔力の流れが、俺の胸の奥にある『絆結び』の回路へと流れ込んできた。
回路が心地よいハミングを鳴らし、シロの絆とはまた異なる、清らかな力が魂に刻まれていく。
『スキル:絆結び(コネクション)』が発動しました。
『対象:ミナモ村の聖獣』との絆を確認。
新規スキルを獲得します。
『スキル:水鏡の盾』。
『スキル:洗浄』。
「これが、聖獣の力か」
俺は自分の掌を見つめた。
『水鏡の盾』は、受けた攻撃をそのまま光の反射のように減衰させて跳ね返す防御魔法だ。
そして『洗浄』は、あらゆる汚れや軽微な呪いさえも一瞬で洗い流す浄化の力。
幼龍は満足げに「キュイッ」と鳴くと、俺の周りを一周し、そのまま湖の底へと帰っていった。
湖面は本来の清らかな輝きを取り戻し、朝日を反射してキラキラと揺れている。
「コウイチさん、聖獣様と心が通じ合ったのですね」
エルザが感動したように手を合わせ、村人たちもその神聖な光景に静かに涙を流していた。
「龍の精霊かよ。コウイチもついにここまで来たか」
ライラも驚いている様子。
俺の足元では、シロが少しだけ複雑そうな顔をして、俺の服の裾をグイッと引っ張った。
「わふん!」
「分かってるよ、シロ。お前が連れてきてくれた縁だ。ありがとう」
俺はシロを抱き上げ、新しく得た絆の温かさを噛み締めた。
喧嘩から始まった家出騒動だったが、結果として俺たちは村を救い、北の過酷な戦いに必要な「盾」と「浄化」の力を手に入れた。
夜明けの光が村を照らし、パニックになっていた村人たちにも本当の安らぎが戻っていくようだ。
「わふん!」
腰の『絆雷』が、新しく加わった聖獣の魔力に共鳴する
聖獣の小さな龍は俺とシロに向かって静かに会釈すると、そのまま湖の底へと帰り、水面を本来の清らかな色へと戻していった。
「終わったな」
俺は膝をつき、大きく息を吐いた。
シロは元の小さな姿に戻り、トコトコと歩み寄ってくると、俺に顔を埋めた。
「わふん」
「ああ。ありがとう、シロ」
夜明けの光が村を照らす頃、俺たちは村人たちからの感謝の嵐の中にいた。
「聖獣様が戻った、ありがとうございます!」
「ありがとう!」
「戻って良かったです」
「聖獣様、いえ、聖獣様の相棒殿。本当にありがとうございました」
「力になれて良かったです」
村長が涙を流して感謝を述べ、子供たちはシロを囲んでお別れをしている。
シロは、昨日までの家出の面影はなく、少し誇らしげに、でもどこか寂しそうに俺の足元に戻ってきた。
「さあ、王都へ帰ろう。心配したぞ」
「わふん!」
王都への帰り道。
村似合った肉をアイテムボックスから出す。
一切れだけ持ってきていたのを渡す。
「シロ、これ。昨日のお詫びと、今日頑張ってくれたお礼だ」
シロは肉を受け取ると食べた。
嬉しそうに尻尾を振り、俺の横を並んで歩き始めた。
喧嘩をして、離れて、それでも再び手を取り合ったことで、俺たちの絆は以前よりも強固なものになった気がする。
「絆の勇者」なんて大層な名前を背負っているけれど、結局のところ、俺はこいつの笑顔に一番救われているんだな。
俺たちは王都の門を目指し、一歩一歩、確かな足取りで進んでいった。




