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「よし、今日は決戦前のトレーニングだ。森の奥までひと走りするぞ!」
俺の掛け声に、みんなが元気に返事をした。
王都の近くにある広大な森は、朝の光に包まれていて気持ちがいい。
シロは尻尾を激しく振って、俺の先を走っている。
「わふん! わふん!」
「シロ、そんなに急がなくても魔物は逃げないわよ」
ライラが笑いながら、軽い足取りでシロを追い越していく。
エルザとフィンも、準備運動をしながら後に続いた。
森の深い場所にある、奇妙な色をしたキノコの群生林に入った時だった。
なんだあれ、キノコ?
「あわわわっ! 何ですか、この虹色のキノコは!」
フィンが足を滑らせて、巨大なキノコの上に尻もちをついた。
パフッ、という音と共に、細かい虹色の胞子が辺りに立ち込める。
「ゲホッ、ゲホッ! 何だこれ、変な匂いがするぞ」
凄い匂い!
俺は手で煙を払った。
シロもその胞子をたっぷり浴びて、何度もくしゃみをしている。
「大丈夫? フィン、怪我はない?」
エルザが駆け寄った。
「はい、大丈夫です。でも、なんだか耳の奥がムズムズします」
俺も同じ感覚だった。
ムズムズが止まらないな。
耳の奥が熱くなり、頭の中に直接誰かの声が流れ込んでくるような感覚。
「変な感覚だな」
「私も」
「全く、世話が焼けるな。もっと足元を見て歩けと言っただろう」
「えっ? 今、誰が喋った?」
俺は周囲を見渡した。
ライラもエルザも、驚いた顔をして固まっている。
「何だ、コウイチ。そんなにマヌケな顔をして。俺だ、シロだ」
声の主を探して視線を落とすと、そこにはいつものように首を傾げているシロがいた。
でも、シロの口は動いていない。
頭の中に、渋くて深みのある、大人の男性のような声が響いてくる。
「し、シロ? お前、喋ってるのか?」
嘘だろ?
シロは今まで会話したことはないが。
「俺の頭がおかしくなったのかな」
「喋っているのではない。そのキノコの胞子のせいで、俺の思念がコウイチたちに伝わっているだけだ」
シロ(の声)は、呆れたようにため息をついた(ように聞こえた)。
「うそ。シロの声、こんなにダンディだったの!?」
ライラが目を丸くしてシロを凝視した。
「もっと可愛い声を想像していました。ギャップがすごいです」
エルザも衝撃を受けている。
「あわわわ! ワンちゃんなのに、私より落ち着いた喋り方ですー!」
フィンがパニックになっている中、シロは悠々と歩き出した。
「騒ぐな。効き目は一日だけだろう。それよりコウイチ、さっきからその歩き方はなんだ。もっと胸を張れ」
「えっ、俺の歩き方?」
「そうだ。リーダーが猫背でどうする。カースとの決戦を前に、そんな弱気な背中を見せるな」
「は、はい! すみません!」
俺は思わず直立不動で返事をしてしまった。
まさか愛犬にダメ出しされる日が来るとは思わなかった。
シロの指導は、それからさらに熱を帯びていった。
「ライラは踏み込みが少し浅い。左足の重心を意識しろ」
「えっ、あ、はい、なんで私まで敬語になってるのよ!」
「エルザの魔法は優しいが、少し迷いがある。もっと自分を信じろ」
「はい、シロ先生! 肝に銘じます!」
「フィンは、とりあえず、転ぶ回数を半分に減らせ。見ていてヒヤヒヤする」
「努力目標にします!」
森の中でのトレーニングは、いつのまにか「シロ様による特別軍事演習」に変わっていた。
お昼休みになり、俺たちは持ってきたお弁当を広げた。
厳しいな。
シロは案外と厳しいな。
「おいコウイチ。今日の晩飯は肉がいいぞ。それも、あの市場の角にある店の、厚切りのステーキだ」
シロが俺の膝の上に顎を乗せて、念じ込んできた。
「わかったよ。一番高いやつを買ってやるから」
「うむ。話が分かるな。あとエルザ、ブラッシングはもっと右だ。そこが痒いんだ」
「はいはい、右ですね。シロさん、ここですか?」
エルザが丁寧にブラシをかけると、シロは「ふぅ」と満足そうな声を漏らした。
見た目はいつもの可愛いシロなのに、声がダンディなせいで、まるで大物俳優を接待している気分だ。
ずっとこれだと俺たちが迷惑もある。
「でも、シロ。お前、いつもこんなこと考えてたのか?」
俺が尋ねると、シロは少しだけ遠い目をした。
「当たり前だ。俺はコウイチの仲間であり、守護者だからな」
シロはゆっくりと立ち上がり、俺たち一人一人の顔をじっと見つめた。
「コウイチは時々、自分に自信がなさそうにする。ブラック企業とかいう場所の記憶が、お前を縛っているのか?」
俺は心臓が跳ねるのを感じた。
シロには、俺の心の奥まで見透かされているみたいだ。
「だがな、コウイチが連れてきたこの仲間たちを見ろ。コウイチの『絆』が、どれだけの奇跡を起こしてきたか」
シロの声が、優しく響いた。
「俺はな、コウイチに拾われたあの日から、一度も後悔したことはない」
「シロ」
「ライラも、エルザも、フィンも。みんなコウイチが大好きだ。だから、もっと自分に誇りを持っていい。俺たちの自慢のリーダーなんだ」
シロが鼻先で俺の手をツンと突いた。
俺の視界が、急にじわっと熱くなった。
「シロありがとう。お前にそんな風に思ってもらえてたなんて」
「ふん、湿っぽいのは柄じゃない。おい、ライラ。何を泣いている」
「泣いてないわよ! ちょっと目に胞子が入っただけよ、バカ!」
ライラが真っ赤な顔をして、ゴシゴシと目を擦っている。
エルザは静かに涙を流して微笑み、フィンは「うぇぇぇん、シロさーん!」とシロの首元に抱きついた。
「フィン、苦しい。鼻水を俺の毛に付けるなと言っているだろう」
夕暮れ時。
森を出る頃には、虹色の胞子の効果が薄れてきたのか、シロの声が少しずつ遠くなっていった。
「そろそろ、時間のようだな」
シロが最後に、俺の目を見てはっきりと告げた。
「カースとの戦い、俺が必ずみんなを守る。だから、安心して背中を預けろ。相棒」
「ああ。頼りにしてるよ、シロ」
その言葉を最後に、頭の中の声は消え、いつもの「わふん!」という可愛い鳴き声に戻った。
いつものシロに戻ったな。
シロはいつものように、尻尾を千切れんばかりに振って俺の周りを走り回っている。
でも、俺にはもう分かる。
言葉がなくても、シロの瞳の中にどれだけ深い愛情と信頼があるのかが。
「よし、帰ろう! 晩飯は約束通り、最高級のステーキだ!」
「わふんっ!!」
それでいいのだろ。
シロの嬉しそうな声が、夕焼け空に響き渡った。
宿屋に帰る道すがら、俺はシロの頭を何度も撫でた。
「コウイチ、シロがなんて言ってたか、こっそり教えてよ」
ライラが少し照れながら聞いてきた。
「内緒だよ。シロが恥ずかしがるからな」
俺がそう言うと、シロは「ワン!」と短く返事をして、俺の顔をぺろりと舐めた。
最高の相棒。最高の家族。
俺たちは、明日へ向かう力を、また一つシロからもらったんだ。




