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迷宮(めいきゅう)のシャーロット  作者: 有馬 泉貴
持たざる者たちの狼煙

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第十六話:蔓延する呪い

ルイとシャーロットは馬車に揺られていた。舗装された土の道の上を走っており、馬の蹄がトフトフとこもった柔らかい足音を響かせる。馬車全体が上下左右に大きくユサユサと揺れるが、土が衝撃を吸収してくれるため乗り心地は悪くない。ルイは捜査で馬車に乗ることもあったため平気な様子だが、向かいに座っているシャーロットの顔は青ざめていた。今にも吐きそうなのを必死でこらえているらしく、眉は八の字、口を真一文字に結び、黙って目を閉じている。身に纏っているぶ厚い防護服も暑そうで、気持ち悪さに拍車をかけていそうだ。


「シャーロットさん、ヘルメットだけでなく防護服も脱いじゃったらどうですか?まだ騎士団の訓練所に着くまでは時間がかかりますし…」


ルイが心配そうに声をかけるが、シャーロットが黙って首を横に振る。


「いや、いい…。さっき飲んだトウトウの酔い止めが効いてきた...。このまま、なんとかなりそうだ」


「う~ん、分かりました。本当に無理そうでしたら言ってくださいね?途中休憩もできるんで」


「うー。ありがとう」


シャーロットが素直にお礼を口にするなんて、本当に具合が悪そうだ。ただ、それを口に出すと確実にぶっ飛ばされるだろう。短い付き合いのなかでそれを学習したルイは、余計な追撃を避けるべく口を噤(つぐ)んだ。そして傍らのジプシエールからカサリと紙の束を取り出す。上部に金属製の頑丈なフレームが付いた革製の横長ポーチで、中が潰れにくく腰から下げられるためルイが愛用している品だ。紙の束は捜査依頼を受けた王立見習い騎士団(ロイヤル・スクワイアズ)のなかで起こった数々の怪奇事件をまとめたもので、それぞれ同じ形式で事件の詳細が書かれているため大変分かりやすい。


ひとり、頷きながら読み込んでいると、


「それは捜査資料か?」


シャーロットが顔をやや上に向け、薄目でこちらを見ながら問いかけてきた。


「はい。そこを運営する教育長の書いたものらしくて...。流石、王都の中枢で騎士団を務められただけの方ですね。とても分かりやすくまとめられています」


「私も知りたい…。読んでくれ」


「えぇ?!読む?」


ルイは少し躊躇した。なにせ、資料はそこそこのボリュームがある。読み上げるのはなかなかに面倒だ。


「はやく」


乗り物酔いのせいもあるのか、シャーロットに苛立った声で急かされる。いや、いつもと変わらない態度のような気もしてきた。どちらにせよ、惚れた弱みを抜きにしても、心優しく押しに弱いルイに拒否権などないのだ。


「はい...分かりました」


泣く泣く承諾し、馬車のなかで長い朗読会が始まることになってしまった。


「まず、今回向かっている『王立見習い騎士団』ですが、どのような所かシャーロットさんはご存じですか?」


「知っている。表向きは将来王都を守る有能な騎士団を育成するための機関と謳っておきながら、その実態はただの貴族や金持ちたちのご子息が通う行儀見習い教室だろ」


シャーロットの言葉にルイが困ったように苦笑する。


「相変わらず、上流階級に手厳しいですね…。事実、そういった面があるのも確かです。しかし、有能な騎士団を育てるための育成所で間違いはありません。貧民や庶民からも素質のある若者を広く募っては入所させているそうです」


「よく、貴族のご子息様と庶民を一緒の場に入れられるな。高貴なるお方である親は、反発しないのか?」


「そこは、教育長である―――レイナード・バウアー氏のご活躍の賜物ですね。長年、王都の主要区間を守ってきた彼は多くの貴族と面識があるようです。その公明正大で高潔なお人柄に多くの人から信頼を寄せられています。彼の元で学べるのであれば、彼の方針ならば何か考えがあるに違いない、とご子息たちの扱いを一任されているようです」


「それは...すごいな。よほどの人格者と見える」


シャーロットは目を瞑りながら、素直に感嘆の声を漏らした。大事な跡継ぎに平民と一緒に教育を受けさせるなど、貴族は拒否反応を示すのが通常だ。それを甘んじて受け入れてもいいと考えを曲げさせるなど、普通の元・騎士団長にできる芸当ではない。よほどの功績と立派な人となりに違いない。ルイもシャーロットの言葉に手元の資料を軽く叩きながら深く同意した。


「そうなんです。そんな彼が騎士団を引退後、教育長に就任したのがこの『王立見習い騎士団』なんです。昔は貴族や豪商の息子がただ棒切れを持って遊んでいる程度だった場所をたった五年で王都屈指の剣士たちを輩出する機関に変えてしまったというのですから、その手腕は見事なものですよね」


「うむ」


「そして、今回の捜査ですが…」


そこでルイは声のトーンを一段階落とし、まるで怖いものを見たかのようなヒソヒソ声で、シャーロットへ顔を寄せた。


「そんな『王立見習い騎士団』で怪奇現象が多発してしまったようです。霊媒師などを呼んだものの魔力の痕跡も見つからず、有力な血筋の方も多いので呪詛返しもしてみたようですが一向に効果がないらしく...」


「そうか。で、それで警察の出番なのは分かった。お前たちは国家の犬だからな。ちょっとした騒ぎでも国家中枢の貴族様の大切な跡継ぎが危険に晒されているとなれば駆り出されるだろう。だが...」


シャーロットはそこでいったん言葉を切り、不満そうに鼻を鳴らした。


「なぜ、私まで一緒なんだ?」


ルイが「えへへ...」と締まりのない笑みを浮かべながら、頭を掻いた。


「その...。今までの経験でこういったことはシャーロットさんが得意かなぁ、なんて...。あっ、痛い、痛い!脛を蹴らないでください!」


ルイが小さく悲鳴を上げながら、慌てて足を引き上げた。座席に置くのではなく、腹筋の力でそのまま浮かせているため辛そうだ。足とお腹がぷるぷると震えている。その様子をシャーロットが向かいからじっと見つめていた。


「いつまで保つかな…?」


「許してください!エアやメルの事件に続き、先日の幽霊屋敷での騒動のせいで『こういった魔法で説明がつかない不思議な事件はルイの管轄』という空気が署内で出来上がってしまっているんですよ!おかげで僕は強制的に捜査員に任命されてしまいましたし……。僕の頭じゃ、事件解決なんてムリですよ~」


「わかった、わかった。だか、そのヘンテコな泣き顔を見せるのは止めろ。面白いだろ」


「面白いって酷いです!」


ルイは胸元から、丁寧に洗濯された白く清潔なハンカチを取り出し、目尻に浮かんだ涙をそっと拭った。


「というわけで、事件解決のためにシャーロットさんにも協力していただきたく...」


「まったく、給料が上乗せされていなければ断っていたところだ」


ぷいとシャーロットが窓の外に顔を向けて、風に当たる。今日は雲一つない快晴で、眼下に広がるのどかな田舎の風景が心と少し残る吐き気を和ませた。田んぼのなかでは、百姓たちが一生懸命に苗の状態を屈んで確認している。


「で、その怪奇現象というのは...?」


「それがですね。いくつか発生しているのですが、不思議なことにどれも被害の訴え手がほぼ同じ人たちなんですよ」


「ふむ...?」


「怪奇現象に遭ったのは、有名貴族のご子息たちらしく。しかも、いつも徒党を組んで行動しているグループのメンバーだけが災難に見舞われているようです。これが原因で、周囲が呪詛を疑い始めたわけなんです」


「まぁ、貴族なんて庶民から恨みを買ってなんぼのものだからな」


「こら!シャーロットさん、今はいいですけど騎士団でそのような不用意な発言は控えてくださいね。どこから有力な親たちの耳に入るか分からないんですから」


「分かってるよ。今だけさ」


「もう...」


ルイは優しくシャーロットを窘めつつ、手にした資料をカサリと捲った。そこには、厳格そうな角ばった字で発生日時や被害状況の克明な記録、怯える生徒たちの生々しい供述、そして現場の様子を精緻に模写したイラストが敷き詰められていた。


「まず最初に怪奇現象が確認されたのは先月、生徒のひとりが何者かが部屋を激しく叩く異音で目を覚ましたようです。ただ、扉を開いても誰もいない。おかしいと思ってベッドに戻ると、またドンドンと扉をノックする音が聞こえたと言います。それでもう一度、扉を開けてみるとやはり誰もいない。扉の先は廊下と窓で、左右に続く廊下には何も物が置かれていないため隠れる場所はなかったそうです」


「じゃあ、隣の部屋のやつが犯人じゃないのか?」


「そう思い、その生徒は両隣の部屋の生徒を起こしたそうです。ただ、二人とも演技とは思えないほど寝ぼけていたそうで。仕方なくベッドに戻ったところ、今度はコンコンと壁の奥から足音が聞こえてきて、恐怖のあまり朝までベッドの上で震え上がるしかなかったといいます」


「ふ~ん…」


シャーロットは目を閉じたまま、馬車の揺れに身を任せて気怠げに相槌を打った。


「また、そのなかには『幽霊を見た』と言う者も出てきているらしく。何やら夜中に息苦しさを感じて目を覚ますと、幽霊が見えたとか。その生徒は激しい頭痛も訴えたため、病院で検査したものの異常がありませんでした」


「…なるほど。ほかには?」


『幽霊』という言葉に一瞬シャーロットの顔がピクリと反応するが、何事もなかったかのような平坦な声で続きを促す。どうしても、怖がっていることをルイには知られたくないらしい。


「あとは、夜中に少々やんちゃな団員たちが宿舎を抜け出して、離れの小屋でトランプゲームに興じようとしたところ、狐火が出たという話です」


「狐火?どんな見た目だ?」


「彼らの証言によると、ランタンを灯そうとした矢先に、何もない空間からボフッと青白い炎が沸き上がったそうで。髪や眉が焦げて、大騒ぎになったみたいですよ。ちょうど、学校を頑張っているご褒美に親御さんから狐の装身具をもらった者もいたため、狐の呪いだとパニックになってしまったようですね」


「大げさなことだな」


「まぁ、本人たちも恨まれるような身分であることを自覚しているということですよ。生徒の何人かはいまだに心霊現象に怯えているそうで。部屋を変えても、毎夜のように足音やノックの音が響くせいで、すっかりノイローゼになってしまっているんですよ。流石にいったん実家に帰る話まで持ち上がっているようで、レイナード・バウアー氏から迅速な原因究明をお願いされています」


「なるほど。私としては、その『呪い』の正体をもう少し特等席で観察していたいところだがね」


「シャーロットさん!」


「貴族の子息なんて、碌なもんじゃないだろう」


シャーロットの言葉にルイが悲しそうに眉根を寄せる。


「…分かりませんよ。なかには、善良な人間だっているかもしれないじゃないですか」


「どうだかな」


そう話している二人の外から聞こえる馬の足音がカツカツと硬いものに変わった。噂の騎士団育成所に続く石畳の道に差し掛かったのだ。馬車は激しくバウンドし、ゴトゴトゴトと脳髄を震わせるような微振動と騒音が襲ってくる。車内に吊るされたランタンが大きく揺れ、シャーロットは慌てて口元を押さえて座席にへたり込んだ。


「もうすぐ着きますね!」


お互いの話し声も聞こえないほどの爆音に負けないようルイが叫ぶ。やがて馬車はゆっくりと速度を落とすと、ある建物の前で止まった。それは分厚く灰色の渋い石壁で囲まれた、かつての小規模な城砦を教育用に改装した施設だった。屋根の上からは騎士団のシンボルが描かれた大きな旗がいくつもはためいており、貴族のご子息も通うためか、窓枠には美しいステンドグラスが嵌(は)め込まれ、外壁を彩る女神の彫刻が、その堅牢さのなかに確かな優美さを添えていた。質実剛健でありながら、どこか「エリートの学び舎」としての気品が漂う外観だ。


馬車の前には太いオークの木材に鉄板を打ち付けた、頑丈な「双子塔の城門(ゲートハウス)」が立ちはだかっていた。門の上部には、有事の際に敵を攻撃するための狭間があり、以前の役割を果たすこともできる。門の左右には全身甲冑をまとい、長柄の斧槍(ハルバード)を手にした門番がニ人一組で立っており、馬車に鋭い視線を向けている。一人がさっと機敏な足取りで馬車の窓に近寄った。


「魔導治安維持局のルイ・ジェイです。レイナード・バウアー氏の紹介で参りました」


門番はルイが窓から突き出した教育長からの手紙をさっと読むと、拳を胸に当てて騎士の礼をする。そして門の袂(たもと)へ戻ると、トン・トトン・トトトトンと決まったリズムで門を叩く。すると、内側の覗き窓がスライドし、中にいた番兵が外の男と無言の目くばせを交わした。そしてパタンと覗き窓が閉められ、ややして門がギギギ……と音を立てて開き始めた。馬車がゆっくりと中へ歩みを進め始めると、計四人の門番たちがハルバードを地面にドン!と突き立てて直立不動の姿勢をとり、その後ろ姿を見送った。


中に入ると中央には砂が敷き詰められた練兵場があり、今も生徒たちが剣の稽古に励んでいた。それを取り囲むように三方に建物があり、どこからでも訓練の様子が確認できる。事前にもらった地図によると、北側には教育長の部屋や講義棟、東側には生徒たちの宿舎、西側には食堂、浴場、武具庫、厩舎が集まっているらしい。馬車は訓練場の外側をぐるりと一周すると、北側にある石造りのひと際大きな建物の正面玄関に止まった。


二人が馬車から降りると、重厚な正面玄関の扉が開き、一人の長身で気品ある高齢の男性が姿を現した。深いネイビーの厚手で上質なウール地の上着の上からでも、鍛え上げられた幅広な体躯がはっきりと窺(うかが)える。その胸元には騎士団の紋章が銀糸で細かく刺繍されており、上品な銀製のボタンが首元まできっちりと閉められていた。下半身には動きやすいタイトな乗馬ズボンと、膝上まである黒い本革の乗馬ブーツを纏(まと)っている。彼が石畳を力強く踏みしめるたびに硬い足音がコツコツと響き、その風体はいかにも軍人上がりといった威厳に満ちていた。その後ろから、同じ軍服をベースにしながらも、よりデザインの違う服装の細身の男が付き従うように出てきた。教育長の秘書、あるいは側近だろうか。上着には短めで活動的なジャケットを選び、袖口は汚れにくいようにタイトに絞られてダークブラウンのレザーで補強されている。腰に巻いた幅広の頑丈なレザーベルトには、手袋や短剣、そしてムチが整然と収められていた。青年を過ぎたばかりの、まだ中年に差し掛かってもいない年齢と見受けられるが、その挙動は極めてキビキビと無駄がない。教育長が「重厚な大樹」なら、その従者は「研ぎ澄まされた細剣(レイピア)」のような佇まいだった。


先に歩み出てきた男は、ゆっくりとルイに近づくと白い手袋に包まれたがっしりとした大きな手をルイに差し出した。


「『王立見習い騎士団(ロイヤル・スクワイアズ)』の教育長――レイナード・バウアーです。こちらは私の秘書のジュリアン・フェロー。以後、お見知りおきを」


「ジュリアン・フェローです。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします。魔導治安維持局のルイ・ジェイです。本案件の捜査に当たります。よろしくお願いいたします」


ルイがバウアーの手を掴んだ瞬間、ぐぐぐっと力強く手を握られる。ルイがバウアーの顔を見るも、彼はニコニコとルイの顔を見つめていた。これは肉体の力量を試されているとルイは咄嗟に気づいた。ルイも負けじと手に力を込めると、バウアーがさらに強い力で握り返す、それにルイもさらに手に力を込めた...。


『このお爺さん、まるで悠久の時を生きた大樹みたいだ...!』


手を握りながらもルイの顔に汗が滲む。握った手の感触の先から、彼の重心が地面にしっかりと根を張って動かないような、圧倒的な質量に圧倒されていた。どこまで根を下ろしているのか底が見えない、恐ろしい力だ。しかし、負ける訳にはいかない。ルイの細い手首から前腕にかけて、鍛え上げられた強靱な腱(けん)が青く浮き上がる。治安維持局という、筋骨隆々の肉体主義者たちに囲まれて日々泥に塗れてきたルイには、痛いほど分かっていた。ここで諦めたり撤退すれば、この手の人間からは一気に信用を失ってしまう。ここで引いてはいけない。


そうして無言のまま水面下で静かな争いをしていると、


「なにをやっているんだ?」


呆れた声が背後から聞こえてきた。シャーロットだった。まだ少し体がふらついているものの、頭にはヘルメットを被り、全身は防護服に覆われ、背中にはタンクを背負ったいつもの奇妙な姿だ。バウアーがシャーロットの声を機に、ルイからパッと手を離す。そして、ルイの肩を励ますように力強くバンバンと叩いた。


「もっと鍛えたまえよ、青年。君は将来有望だ」


「は、はい...」


息も絶え絶えなルイとは反対にバウアーは余裕そうだ。はっはっはっはと笑いながらシャーロットにも手を差し出す。


「初めまして。レイナード・バウアーです。」


「…シャーロットだ」


シャーロットは少し躊躇したのち、その手を握る。バウアーが握った手にぐっと力を入れるのが傍目からでも分かった。しかし、二人の手が重なった次の瞬間、白い手袋の隙間からバチリと青白い火花が爆ぜた。


「っ……!」


小さく呻き声を漏らし、バウアーがバッと手を引き剥がした。そのまま目を見開き、自身の掌を驚いたように見つめる。


「ちょっと微弱な電流を流しただけ。一瞬だけピリッとするけど、悪影響はないよ。じゃあ、怪奇現象が起きた現場へ連れていってくれる?」


シャーロットが挑発するように手のひらをヒラヒラと振って見せる。それを見て、バウアーが怒るのではないかとルイは肝が冷えた。しかし、予想に反して彼は喜色満面の笑みを浮かべる。


「いやはや、これは一本取られた!確かに、あなた方に力試しを仕掛けた私が悪かったですな。行こう、ジュリアン。まずは幽霊騒動の起きた宿舎にお二方を案内しよう」


「はっ!」


ジュリアンが無駄のない動きで三人の先頭に立つ。


「こちらです」


こうして足を踏み入れた先は、将来の騎士団候補生たちが寝食をともにする宿舎だった。白い石造りの四角い建物のなか、頑丈なオークの木床が鏡のようにピカピカに磨き上げられている。窓枠の隅ひとつにさえ塵(ちり)の一片すら見当たらず、訓練生たちによって毎日徹底的に掃除されていることが窺えた。ちょうど掃除当番の訓練生たちが階段の手すりを布で必死にこすって磨き上げているところだった。すっと通った鼻筋に丸くて優美な瞳が輝いており、一目で高貴な血統のご子息たちだと知れる。訓練生たちはバウアーとジュリアン、そしてその後ろに立つ客人たちの姿を認めると、その場でピシっと背筋を伸ばして立ち、心臓の前に拳をドンっと当てて敬礼をした。


「王立見習い騎士団(ロイヤル・スクワイアズ)にようこそ!」


「王立見習い騎士団(ロイヤル・スクワイアズ)にようこそ!」


その礼に、バウアーとジュリアンも拳を心臓に当てて敬礼を返す。貴族だからと言って掃除当番から外す、なんてことはないらしい。噂で聞いていた通り、すべての人間に分け隔てなく接する人だとルイは感心した。シャーロットも同じことを思ったのか、満足そうにふんっと鼻を鳴らしている。


そうしたのち、バウアーとジュリアンの案内で廊下を進む。長い廊下の片側に並ぶ宿舎のドアは、すべて無骨なオーク材で作られており、部屋番号が刻まれているだけの簡素な佇まいだった。


「私は有名な血筋のご子息だろうが、平民の子だろうが扱いを変えません。全員平等です。等しい大きさの部屋で眠り、鍛え、学び、騎士団を目指すのです」


「それはご立派ですね…。しかし、入学させる親御さんから反対に合わなかったのですか?」


ルイからの質問にはっはっはっと笑い、バウアーが事も無げに答える。


「そうした相手の入学は拒否してきましたのでな。なんせここは騎士団の育成所。私が担うのは、将来国を守れる騎士を輩出すること。それに納得できないような人間は要りません」


「そうでしたか」


「ですが...」


そこでバウアーが宿舎の窓からちらっと外を見やる。視線の先には、実戦には不向きな華美な装飾を施した剣を帯び、特注のブーツを履いた派手な一団が、ゆるい足取りで訓練所までの道を歩いている。


「ああいった親御さんからの仕送りはなかなか制限できなくてね。。支給品の剣やブーツではなく、もっと良いものを子供には使わせたいと。寄付も受けている手前、すべてをお断りするのも難しいのが現状でしてな」


バウアーはおもむろに傍らの窓を開けると、かつての戦場を思わせる凄まじい大声で一喝した。


「何をしておる!訓練の時間が迫っているのだぞ!キビキビ歩かんか!」


少年たちはバっと窓を見上げてバツの悪そうな顔をすると、その場から逃げるように早足で歩き始めた。その様子にバウアーがため息を漏らした。


「あれが例の怪奇現象に遭ったというグループですな。どれだけ厳しくしても訓練に身が入っていないようで...。今回のことも実家に逃げ帰るための、くだらん虚言ではないかと疑っておるのです。かといって調査せぬわけにもいかず、このような郊外の僻地まで足を運んでもらう羽目になってしまいましたな」


「規律正しいバウアーさんの下でもあそこまでのんびりできるのもすごいですね」


「彼らは地方宰相の息と富豪、大公爵の末子たちでしてな。何もしなくても将来が約束されているようなものです。目の前の厳しい訓練に身が入らないのも当然でしょう」


やがて三人は怪奇現象が起きたという部屋の前に立った。それは他の部屋と変わらない佇まいに見えたが、シャーロットはさっそく調査を始めたいのか、ドアをコンコンとノックをして耳を当て、音の響きを聞いている。そして扉を開けると、なかは悪趣味なほど煌びやかなしつらえになっていた。元は簡素な一室だったのだろうが、親からの仕送りや私物によって過剰なほど飾り立てられている。ベッドも元に敷いてあった支給品のマットレスは壁にかけられ、代わりに置かれた天蓋付きのふかふかのベッドには、一つの頭部に対して幾つ必要だというのか、高級なシルクの枕が幾重にも積み上げられていた。壁やそこかしこに装飾品が並べられ、勉強机の上にはカードゲームで使ったと思しきカードの残骸とお菓子が散らばっている。


ルイは背後から、肌を刺すような静かな殺気を感じた。バウアーが怒りに身を焦がしているのは明白だった。隣に立つジュリアンからも、表情を変えないまま凄まじい威圧感が放たれている。勉学や修行に身が入っていない凄惨な現状を目の当たりにし、二人して内心で激怒しているに違いないと、ルイは身を縮こまらせた。そんな雰囲気には我関せず、シャーロットはドアを数回、蝶番(ちょうつがい)の軋む音を確かめるように開閉させて調べたあと、ぺたりと地面に伏せた。そして、おもむろにヘルメットを脱ぎ捨てると、耳をぺたりと地面に付ける。そして、そのまま何かを辿っていくように腹ばいで前進し始めたのだった。


「いたっ!」


しかし、途中に置かれたベッドに気づかず、頭をぶつけてしまう。痛そうにしつつ、そのままベッドの下に潜り込もうとするも、今度はぶ厚い防護服が詰まってしまった。出るに出られなくなったのか、カメのように短い手足をバタバタと動かしてもがいていた。その様子がおかしくて可愛らしく、ルイは思わず


「ぐっ...!」


と唸りながら下唇を噛んで必死に笑いそうになるのをこらえた。よく見ると、他の二人も声に出さずに笑っている。バウアーはこらえようとして口をすぼめてタコのような顔になっているし、ジュリアンは顔を横にそむけて上品に口元を手のひらで覆って隠している。ややして、髪がぐちゃぐちゃになって不機嫌そうになったシャーロットがベッドの下から出てきた。そして待っていた三人をぎろりと見まわすと、


「ルイ、ケツバット」


有無を言わさぬ冷徹な宣言とともに、掃除機を最大吸引力モードで起動させる。ギィイイイイイン!という凄まじい駆動音とともに、ルイのお尻を制服の上から容赦なく吸引し始めた。


「なんで僕だけなんですか!ほかの二人も笑ってましたって!」


「わしは笑っていない。なぁ、ジュリアン」


「はい、私も笑っておりません」


「裏切者ぉおおーーー!」


やけにきりっとした顔で二人とも返答した。すぐに顔を繕えるのはやはり年の功か。そう思いながら、ルイはシャーロットの気が済むまで全身を掃除機で蹂躙される羽目になった。


「もう、お婿に行けない...」


「御託は良い。私はベッドの下を調べたいんだ。ルイ、どかしてくれ」


「はいはい。どうせ僕には拒否権が無いんだ…」


ルイはそう言うとベッドの脇に手をかける。ジュリアンが手伝おうとするが、手で制した。これくらいの重量なら、わざわざ肉体強化魔法を使わずとも、自前の筋力だけで軽々と持ち上げられる。ルイが細身の上着の袖を腕まくりすると、そこには治安維持局の訓練で培われた、硬質で実戦仕様の筋肉が美しく盛り上がっていた。


「よいしょおおおおお!」


豪快な掛け声とともに、ルイは巨大なベッドをまるごと浮かせ、狭い間取りの邪魔にならない位置へと軽々と移動させてみせた。どかされたベッドの下は小さな楽園が広がっていた。――男特有の。半裸の女性が表紙を占める雑誌が多数積まれている。それを見てルイは恥ずかしさで頬を染め、バウアーは怒りで顔面を蒼白にさせ、ジュリアンはシャーロットから隠そうとさっと前に出ようとした。しかし、当の本人はまったく気にしていなかった。


「邪魔」


と言い、雑誌の束を乱暴に脇へ押しやってスライディングさせる。そして再び耳を床へ付けると、ベッドがあった下をそのままぐるぐると回った。しばらくすると満足したように起き上がり


「よし、他の部屋も見よう」


と言い、怪奇現象が起きたというほかの部屋でも同じことを繰り返した。すべての部屋が終わった時にはルイはへとへとだった。さすがに五回もベッドの運搬をさせられたのはたまったもんじゃない。汗だくで壁に背を預けて座っていると、ジュリアンが冷えたお茶を水筒に持ってきてくれた。それを一気に煽ると、心地よい清涼感が喉を通り、全身を内側から冷やす。なんとも爽快だ。


「あぁー、疲れた」


ルイがジュリアンとともに休憩しているうちにシャーロットはバウアーを連れて、宿舎の外側の捜査に行った。やがて戻ってきた二人は対照的な顔をしていた。シャーロットは楽しそうな笑みを浮かべ、バウアーの顔は青ざめている。ルイが二人になにがあったのか聞こうとした矢先、


「じゃあ、次は狐火が出たという小屋に行こうか」


シャーロットの提案を受け、四人は引き続き捜査を続行した。件の小屋は、武具庫として使われている建物だった。宿舎から少し離れた林の近くに、木製の小屋がぽつんと佇んでいる。頑丈な太い丸太で組まれており、屋根は雨風に強い黒い瓦で葺かれ、入り口の扉には鉄板の補強が施されている。大人の頭よりはるか上、天井に近い高所に横長の細い窓がいくつか並んでおり、そこから明るい自然光が差し込んでいた。扉を開けると、高い窓から斜めに差し込む光の筋が、空気中に舞う無数の埃や油の粒子をキラキラと照らし出していた。一歩足を踏み入れれば、武具の手入れに使う油の匂いと、特有の埃っぽさが鼻腔を突く。いかにも武器庫ならではの光景だった。


「事件後から封鎖しておりましたからな。いつもより油の粒子が滞留しているかもしれません。喉に入らぬようお気を付けくだされ」


小屋の中を覗き込み、バウアーが眉をひそめながら注意を促した。たしかに、薄暗い室内には細かい粒子が充満しており、まるで妖精が舞踏会を開いた後のようにキラキラと輝いていた。普段から徹底的に清掃をさせているバウアーにとっては、この不潔ともとれる倉庫の状態は我慢がならないのだろう。シャーロットは再びヘルメットを被ると、迷わず小屋の中へ足を踏み入れた。全員が中に入ると、パタンと扉を閉める。途端に外界の光が遮断され、室内は一気に薄暗くなった。しかし、昼間の強い太陽光は、木壁のわずかな隙間や通気口から細い矢のように差し込んでいた。それが、まるで部屋のどこに空気の通り道があるかを、逆光のように鮮明に浮かび上がらせる。シャーロットは、その穴の一つひとつに指を差し入れ、何かを掬い取るように丹念に撫でて回った。そうして何度か指先を擦(こす)り合わせ、何事かを納得したように小屋の外へと出てきた。


シャーロットがパチンッと、指を鳴らす。


「謎は片付いた(チェック・アウト)」


――それは全ての謎が解け、真相へ向かう準備のできた合図だった。


「解けたんですね、シャーロットさん」


ルイが喜びの声を上げ、その場の空気が和んだ、まさにその刹那だった。背後から、地響きを伴うドォオオオオオオン!という不気味な衝撃音が響き渡り、遅れて、鼓膜を突き破るような悲鳴が訓練所から木霊する。


「ぎゃああああああああ!」


「誰か落ちたぞ! 早く医官を呼べ!」


静寂を切り裂くような怒号と悲鳴。バウアーとジュリアンが、軍人上がりの凄まじい反射速度で真っ先に動いた。ルイたちが声をかける暇もなく、二人の背中は訓練所へとまっすぐに駆け抜けていく。


「ルイ、行くぞ!」


「はい!」


ルイとシャーロットも、地を蹴って現場へと急行した。人だかりを掻き分けた先に広がっていたのは、凄惨な光景だった。地面に広がる毒々しい血溜まり。その中央に、手足を不自然な方向へ折り曲げ、白目を剥いて微動だにしない青年の肉体が転がっていた。豪華な刺繍が入った衣服が、赤黒く染まっていく。先ほど窓の外をのんびり歩いていた、あの貴族の息子だった。


「……即死です」


すぐ傍らに屈み込み、頸椎(けいつい)に触れていたジュリアンが、苦渋の表情で黙って首を振った。


「呪いだ、やっぱり呪いが蔓延したんだ……!」


血の海の中心で横たわる死体を見つめ、取り巻きの訓練生の一人が、呆然と腰を抜かしながら呟いた。その絶望の言葉に、シャーロットがふんと不満そうに鼻を鳴らした。

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