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迷宮(めいきゅう)のシャーロット  作者: 有馬 泉貴
持たざる者たちの狼煙

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19/25

ープロローグー

王立見習い騎士団――その宿舎の片隅で重ねられた木箱に座り、よれよれの服を着た少年が大柄な体躯を縮こまらせて泥だらけのブーツを磨いていた。手に持ったブーツはどれも華美な装飾が施されており、相当な家柄の持ち主だと分かる。細かなパーツはどれも汚れを拭うのが至難の業だ。鍛えられて筋張った手と太い指先では、一つひとつのパーツを綺麗にするのも一苦労で、少年の顔に汗が浮かぶ。


「よぉ、のろま!」


そこへ威圧的な声がかかり、少年がビクリと肩をすくませる。ただでさえ丸まっていた背中が、委縮してさらに一回り小さくなった。立派な体躯に似合わず、引っ込み思案な性格らしい。


「な、なに…?」


少年がおどおどした様子で、声の主を見上げる。そこには、シャープな顎に切れ長の瞳が特長的な線の細い男が後ろに四、五人の取り巻きを引き連れてニヤニヤしながら立っていた。その顔には、娯楽を楽しむような残酷な笑みが浮かんでいる。


「俺たちのブーツ、まだ綺麗にならないのかと思ってね。様子を見に来てやったんだよ。……指先をほんの少し湿らせるだけの攻撃力もない無能が、ずいぶんと手際が悪いじゃないか」


「ま、まだだよ...。さっき頼まれたばっかりだし、訓練もあったから...」


少年がたどたどしい口調で答える。その瞬間、


「あぁ?!なに口答えしてたんだよ!ほんっとうに、お前は騎士団のお荷物だな...!」


「いたっ…!」


線の細い男の手から目にも留まらぬ風の刃が放たれ、少年の耳を掠める。それはすぐ背後に生えていた木に当たり、幹を容赦なく抉り飛ばした。そしてギギギっと軋む音がして、木が横向きに力なく倒れていく。


「や、止めてよ...」


少年は両手で自分の頭を守るように縮こまった。先ほど攻撃が掠めた耳の上の方が小さく抉れ、そこからたらりと血が頬を伝う。少年の全身は恐怖でガタガタと震え、掲げた両手の隙間から相手を怯えた目で伺っていた。その様子を見て、男の後ろにいた集団が一気にゲラゲラと笑い声を上げる。


「や、止めてよ...、だってさ。ひー、おかしい!」


「さっきも訓練中に足引っかけてやったら、顔から地面に豪快にダーイブ!鼻血を流してて、面白かったわ~」


「本当にだっさ。これだから、貧乏庶民にはなりたくないわ~」


口々に少年をあざける声を背に線の細い男が満足そうに頷く。そして少年の髪を容赦なくひっつかみ、ぐいと持ち上げると、無惨に抉り飛ばされた大木の残骸へ無理やり顔を向けさせた。


「これ以上、俺たちを怒らせるなよ。――次はお前の胴体に、あの風穴を開けてやる」


「ごめんなさい...!ごめんなさい...!」


穴を見て少年の顔が真っ青に染まる。恐怖で目から涙が溢れた。男が頭から手を離すと、力の抜けた人形のように地面に崩れ落ちる。男たちはすかさず、少年を方々から蹴り始めた。


「ごめんなさい...!ごめんなさい...!」


「ごめんなさい...しか言わないの面白いな」


「庶民だから学も無いんだろ。ほんっとうに惨めだわ」


「こんな人生しか生きれないなら、俺だったら自殺しちゃうね~」


四方八方から下俗な嘲笑と、容赦のない言葉の暴力とともに蹴りが飛んでくる。


「ごめんなさい...!ごめんなさい...!」


少年は頭を両手で守り、体を丸めて必死に許しを請うしか方法がなかった。やがて少年の服は靴の跡でいっぱいになる。まるで最初からそうデザインされていたかのようだ。ただでさえサイズの合っていないよれよれの服がさらにボロボロになっている。


「もー、蹴るのも疲れたし帰ろうぜ」


「サンジェルさん! 今日は、政府高官であらせられる御父上から、特別な褒美が届くらしいですよ」


「ふん、当然だろう。俺は常に完璧だからな。お前たちにも少しは分けてやってもいいぞ」


「本当ですか?!あー、俺サンジェルさんの家臣でよかったー!庶民なんかに生まれていたら、自殺もんでしたよ!」


「違いねぇ!」


「あはははは!」


品の欠片もない笑い声とともに集団が去っていく。その後ろ姿が建物の影に消えるまで、


「ごめんなさい...!ごめんなさい...!」


地面に伏した少年の謝罪は続いた。



夜。


消灯後、静まり返った宿舎で少年は支給された白いタオルケットにくるまりながら、ベッドの上で身を縮こませていた。有難いことに、この訓練所では狭いながらも一人に一部屋が与えられる。辛い日々を送る少年にとって、ここが唯一の安息所だった。ベッドの上で寝返りを打つと、月明かりに照らされて耳に貼られた絆創膏や全身に刻まれた傷の数々が露になる。訓練だけでは到底つくはずもない、おびただしい数の傷が少年の日々の過酷さを物語っていた。


「さぁ、もう寝よう...」


少年は自身の体を手で摩り、一日の疲れを少しでもとろうと目を瞑ろうとした。しかし、次の瞬間ハッとしたように目を見開いた。パッと上体をベッドから起こし、なにかを探しているかのようにキョロキョロと左右を見回す。やがてその顔にゾッとするほどの満面の笑みを浮かべると、格子のはめられた窓際へとにじり寄った。青白い月光のなか、大きな手をゆっくりと組み合わせ、天に祈るかのように、静かに片膝を折る。


周りの部屋からは呑気ないびきや寝言が漏れており、その暗く沈んだ怨嗟に気づく者は誰もいない。静まり返った闇の奥、少年はただ、狂おしい熱を孕んだ声で、呪詛のように呟き続けた。


「――我らが父、大いなる真理の先駆者よ。盲目の魔導に、盗まれた火と理の裁きを……」

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