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迷宮(めいきゅう)のシャーロット  作者: 有馬 泉貴
幽霊屋敷で大パニック?!

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第十四話:ゴースト退治

ガゴンッと固い音がし、屋敷の外壁の傍に地面から斜めに突き出た鉄のハッチが開いた。荷物を搬入するための鋳鉄製の観音開きの扉が内側から押し上げられ、黒いフードの頭が覗く。頭はあたりを警戒するように左右を見渡すと、やっと安心したのか、ぎこちない動きで穴から外へ降り立った。運動神経はあまり良くないらしい。体がもつれるようにして、どてんと地面に転がり落ちる。


「いたたた…。それにしても、さっきはビックリしたなー」


フードの下から気弱そうな声がか細く聞こえる。謎の人物はフードに付いた草を払いながらのろのろと立ち上がり、目の前にそびえたつ館をゆっくりと見上げた。


「今夜こそ、幽霊の正体を突き止めないと…」


覚悟を決めたのか、ローブの裾から見える拳がぎゅっと固く握りしめられる。そして、懐から四角く黒い箱型のモノを取り出すと、館の方に向けながらゆっくりと周囲を歩き始めた。その手に握られているのは魔道具『幽霊探査機(ゴースト・ディテクティブ)』だ。霊媒師でなくても、幽霊の探知ができる便利な代物で不動産業界人に人気の魔道具だ。フードの人物が魔道具に魔力を込めると、箱の上部半分にはめ込まれたガラスの画面に、緑色の数値が冷たく浮かび上がった。館のあちこちにかざしてみるが、表示された数値は「0」から微動だにしない。


「どうして、どうしてなの...?」


フードの奥の声が半泣きになった、その瞬間、


ブゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!


「っ!」


突如、辺りに低く唸るような起動音が響き、目の前で館全体が真っ黒なドーム状のなにかに包まれる。それは全てを飲み込むような漆黒の色をしており、夜の闇の方が明るく見えるくらいだ。明らかに魔法で作られたものだが、誰が何の目的で発動したのかが不明だ。館から少し距離をとっていたので影響はないものの、もう少し近ければどうなっていたかが分からず恐怖だ。


「もう!今日は警察も来るし、なんか屋敷には魔法がかけられているし、どうしてなの……?」


フードの人物の半泣きの叫びが庭に響き渡る。その声を庭に生えた雑草たちと噴水に佇む女神だけが聞いていた。どうしてこうなったのか――話は数十分前に遡る。


「さぁ、二人とも幽霊退治と行こうか」


そういって振り向いたシャーロットの顔は口の端を上げてニヤリと笑い、そのままふらりと前へ倒れ込んだ。冷たい岩盤の床へと体が力なく崩れ落ち、背負ったタンクがガシャンと不吉な金属音を立てて床に転がる。


「シャーロットさん!」


「シャロたそ!」


慌てて二人が駆け寄ると、シャーロットが激しい頭痛に耐えるように額をきつく押さえ、手足の力を失ってもがき苦しんでいる。その呼吸は荒く、ぜぇぜぇと懸命に息をしていた。額には玉のような脂汗がいくつも吹き出ている。


「二人とも…上……へ、はやく...」


「僕がシャーロットさんを運びます!ミヤビさんは周囲の警戒を!」


「オッケ!」


ルイがひょいとシャーロットをタンクごと軽く抱き上げる。


「うっ、ちょっと重い…」


「女の子になんてこと言うのさ!」


「いや、タンクが重いんですってコレ!シャーロットさんのことを言っているわけじゃないですから!」


軽い言い合いをしつつも、二人は急いでワインセラーの出口を目指す。ルイはシャーロットを抱えながら、ミヤビはいつでも『シャドウ・ベール』を打てるように周囲を警戒しながら走っていた。その間も二人のそれぞれの目の端――まったく異なる方向の暗がりのなかで、デーモンが耳まで割けそうなほど口角を吊り上げ、鋭くて不自然なほどに白い歯を剝き出しにして不気味な笑みをたたえながら二人をじっと見つめていた。


使用人専用の裏階段(バック・ステアケース)を登り、1階に戻ったルイとミヤビは中央の踊り場にシャーロットを寝かせた。タンクを背中から外し、床に寝かせられたシャーロットはだいぶ呼吸が安定してきていた。華奢な胸が、ゆっくりと上下している。その顔は苦痛に歪んでいたが、ミヤビがそっとハンカチで額を拭くと安心したのか表情が少し和らいだ。


「よかったー。なんとかなったみたい」


「ここにはデーモンも居ないみたいですしね。でも…」


「うん…分かっているよ、ルイ。それ以上は言うな」


二人は目を合わせ、冷や汗をかきながら同時に心の中で呟いた。


『『幽霊に囲まれている…!』』


三人の周りには人型の姿をした黒い靄のような影がひしめき合っていた。ぐるりと周囲を取り囲み、影たちは口々に「うぅうううう」と呻き声を上げている。その姿にルイとミヤビは強い恐怖を覚え、ぞわぞわとした不快な寒気が全身を撫でまわした。二人の顔から血の気が引き、肌が青白く冷める。ミヤビが気分の悪そうな様子で口元を抑えた。


「うぅ…シャロたそ、早く起きてよぉ。警察のクセしてさぁ、ルイじゃ役に立たないよぉ」


「ちょっと、ミヤビさん!なんてこと言うんですか。僕がさっき決死の覚悟で幽霊からミヤビさんを守ろうとしたのを忘れたんですか。あれだって、かなり勇気を振り絞ったんですからね」


ルイがミヤビの背中を優しくこすりながら、言い返す。


「あれは結局、シャロたそだったじゃん」


「最初はあなたも幽霊だって信じ込んでいたでしょ!・・・まったく、あのときはハッカ油を塗られて痛い目に遭いました…。ツーンと頭の奥まで針金を刺されたみたいに痛く…て…」


そこでルイの言葉が止まった。ハッとした様子でシャーロットのタンクの脇に付けられたポーチを探り始める。そこには、さっき庭で摘んだドーナツの袋に入った毒草や携帯用の食糧など様々なものが一緒くたになって入っていた。シャーロットの雑な性格がよく表れている。そのなかにある『Peppermint Oil 』とラベルの貼られた陶器製の小瓶を取り出した。


「もしかしたら、これで…」


ルイはそう言って瓶の口に詰められたコルク栓をポンと外すと、少しだけハッカ油を手に取り、まずはシャーロットの鼻先へと塗り込み、


「うっ」


次にシャーロットを心配そうにのぞき込んでいたミヤビと自身の鼻先へと塗り込んだ!


「ルイィイイイイイイイイ!テメェエエーーーー!」


「うぐうううううう!僕だって痛いんですよーー!」


二人して鼻先を抑え、目に涙を溜めてシャーロットの周りを転がりまわる。ミヤビは痛みで足をバタバタと動かし、ルイのことをパンプスのつま先で何回も蹴りつける。顔からは刺激臭が離れず、背中はパンプスで蹴られ、もうルイにはどっちの痛みで悶えているのか分からなかった。幽霊たちもアホな光景に困惑したのか、徐々に姿が薄くなって消えていく。そこへ二人の横から冷たい声が突き刺さった。


「なにをやっているんだ、お前たちは」


「シャロたそ!」


「シャーロットさん!」


鼻を抑えながら、涙目の二人がバッと嬉しそうに顔を上げる。ハッカ油の塗られた鼻先はほんのりと赤く染まり、目からはとめどなく滝のように涙が流れ続けていた。シャーロットも塗られたハッカ油が頭にまわって痛いのか眉をしかめてる。


「結構、痛いな…」


「言っておくけど、私なんてこれを2回も食らってるし!」


「しょうがないじゃないですか!さっきは、これで幽霊を撃退できたんですから。僕だって、痛いのを我慢して自分に塗ったんですよ!」


「…本当にお前たちは騒がしいな」


ぎゃあぎゃあと言い合いをする二人を横目にシャーロットが周囲を見渡す。


「あー、やっぱりまだ囲まれているか」


「「え?」」


ルイとミヤビが恐々と周囲を見渡すと、先ほどまで薄れていた幽霊の影がまた濃くなり始めていた。それと同時に忘れかけていた悪寒もぶり返してくる。ハッカ油の強烈な刺激で一時的に見えなくなっていただけらしい。


「シャロたそ!もう幽霊退治ができるなら、はやくやり方を教えて欲しいんだけど!」


ルイとミヤビは涙目で半身を起こしたシャーロットに引っ付く。それをシャーロットは本当に鬱陶しそうに二人の頬や体を押して、自分から遠ざけようとしていた。


「二人とも、安心しろ。そいつは、私たちに攻撃してこない・・・というか、できない」


「「できない?」」


「あれは魔力の塊じゃない。ただの脳のバグが見せている現象だ。つまり、実在していない。そこには、何もいないんだ」


「でも、あんなにハッキリ見えるのに…」


ミヤビの言葉にシャーロットがやれやれと首を振る。


「脳みそというのは案外バカなんだ。外からの刺激に簡単に騙される。・・・まずは幽霊退治といこう。ミヤビ、さっき見たお前の魔法はそこにあるものを丸ごと消し去ることができるのか?」


「『シャドウ・ベール』のこと?消し去るんじゃなくて、物体はもちろん、音や空気や光すらも吸い込む暗黒の物体を作り出すって感じなんだけど…」


「それだ。グッと幽霊退治がラクになったぞ。すごい魔法を持っているじゃないか」


シャーロットがパチンッと嬉しそうに指を鳴らし、ミヤビのことを褒める。え?私すごい?とにやけるミヤビの横で、やっぱりその魔法怖すぎ...。とルイはドン引きをしていた。


「幽霊の正体は、退治をしてからゆっくりと説明しよう。ミヤビ、シャドウ・ベールで吸い込む対象を限定することはできるか?」


「そうだね。音だけ~とか、空気だけ~とか、使い分けできるよ」


「それって、かなり高度な魔法技術じゃないですか。なんで受付嬢なんか、やってるんですか?」


ルイの何とはなしに口から出た発言に、ミヤビはムッとした顔をしたあと、ふっと力の抜けた顔で小さく笑った。


「・・・あんたって本当に純粋だね。別に必要だったから身に付いただけ」


そして気を取り直すように、よっしゃーと肩をぐるぐる回すと、改めてシャーロットの方へ向き直った。


「で、シャロたそ。私は何をすればいいワケ?」


数分後。ミヤビの周りには複数のポーションの空き瓶が散乱していた。シャーロットが持ってきていたありったけの魔力回復ポーションを飲んだのだ。その様子をじっと見守るように幽霊たちが取り囲んでいる。シャーロットの言うようにこちらに危害は加えてこないらしい。一定の距離を保ち、ただ周りに突っ立っているだけだ。ミヤビは最後のポーションをぷはっと飲み終わると、そのまま静かに詠唱を始めた。


「常闇の揺り籠、無垢なる深淵。光を拒み、音を貪り、万象の騒めきを底へと沈めよ。 ――『シャドウ・ベール』!」


ミヤビが魔法を発動した瞬間、館全体が黒いドーム状の魔法の膜に覆われる。どこまでも黒く、すべてを飲み込む漆黒の闇が屋敷を覆い隠した。そして、世界からは


―――音が消えた。


時計の秒針も、風に吹かれてギィギィ軋んでいた窓も、どこからか垂れていた水の音も、三人の呼吸音すらも『無』で塗りつぶされる。その状態でミヤビはシャーロットの掲げる懐中時計を見つめていた。ランタンの明かりに照らされて秒針が静かに進んでいく。30…60…90…120…。心の中でじっと時間を数え上げていく。すると、不思議なことが起きた。時間が経つにつれて、三人を取り囲んでいた幽霊たちの姿がどんどんと消え始めた。それも、先ほどのように徐々に薄くなって消えていくのではなく、まるで世界から存在を消されたかのようにパッと綺麗さっぱり居なくなっていく。


『…300』


やがて5分が経ったとき、ミヤビはシャドウ・ベールを解除した。その瞬間、世界が音を取り戻す。そして、


「幽霊も居ませんし、あの不気味な気配も消えています!」


「なぜか寒気も治っているんだけど。なんで~?」


ルイとミヤビが周りや自分の体を見回して不思議そうにしている。先ほどまでの体調不良がウソのように二人の顔色は良くなっていた。これで一安心と二人が喜んでいる横で、


「お前たち、まだ終わってないぞ」


「「え?」」


シャーロットが、ちょいちょいと指で地下を指し示す。


「まだデーモンと幽霊の本体が残っている...。この下にな」


「「えぇえええええええ!」」


もう魔力がすっからかんだよー、と嘆くミヤビの横で、


「ミヤビ、よく頑張った。今度は目に見えないものの相手じゃない。物理的にこびりついた、ただの『汚れ』の清掃だ。――ルイ、お前のその頑丈な体と私のタンクの出番だ」


と、シャーロットが颯爽とタンクを背負いなおす。ルイは僕ですか?と嫌そうな顔をしながらも、しぶしぶと立ち上がった。


顔に防毒マスクを付けた二人組が地下室に降り立つ。シャーロットとルイだ。ワインセラーに似つかわしくない野蛮な装備の二人がうろつく姿を見たら、元の持ち主は卒倒してしまうだろう。シャーロットはワインセラーの中央に来ると、


「掃除機、吸引モード」


と言い、手元にもった掃除機のノズルのスイッチをカチッと入れた。そして掃除機のノズルでワインラックのそこかしこに生えていた樽守り草(バレル・セージ)を吸い込んでいく。そこまで根を深く張っていないらしく、樽守り草はスポッと根ごと簡単に吸い込まれていく。やがて、すべての樽守り草を吸い込んだあと、部屋の隅の方の低い天井に作られた荷物搬入用の鉄のハッチを開ける。鋳鉄製の観音開きの扉を下から押し開けると、外から冷たい夜風が一気に室内へ流れ込んできた。しばらく換気を続けたのち、シャーロットが防毒マスクを外す。


「もう、大丈夫だ。ミヤビ、来ていいぞ!」


地下室から大声で呼ぶと、上からミヤビがそろそろと降りてくる足音が聞こえる。ルイもシャーロットに倣って防毒マスクを顔から外した。


「ねぇ・・・もうデーモンいない?」


「いない。確実に消えた」


階段の上からミヤビが顔を突き出して、恐る恐るワインセラーの中を確認しているのが見える。やがて安心したのか、残りの階段を一気に駆け下り、シャーロットとルイに合流した。


「『しばらくは幽霊は見えずに済む』って言われたんだけどさ、まだ幽霊が居るってことでしょ?!上で一人で待っているのすっごく怖かったんですけど!」


「防毒マスクが2枚しかなくてな。あと、なにかあった時に私を運べるのがルイしかいなかった」


「仕方のないことでも怖かったの!まだデーモンも居るんじゃないの?!」


まだデーモンがどこかに居ないかと警戒しているらしく、ミヤビはシャーロットの傍を離れない。片腕にぴったりと体を寄せている。そんなミヤビにシャーロットが薄く笑ってタンクの中を指さした。


「デーモンは全員この中だ。もう出てはこない」


そう言って、シャーロットがタンクの上部に取り付けられた口を少し開け、タンクの中へと腕を突っ込んだ。


「え?!シャロたそ!」


ミヤビが目を覆いながら悲痛な叫びを上げる。ルイも一瞬驚いたが、シャーロットは平気そうな顔で何やらごそごそとタンクの中を漁っている。やがて腕を引き抜いたシャーロットの手の中にはくたびれた一本の草が握られていた。


「・・・樽守り草(バレル・セージ)」


とルイが呟く。それはふっくらとした袋状の葉を持ち、醸造家たちに愛されている益草だった。


「そう、これがデーモンの正体だ。樽守り草(バレル・セージ)は本来ワインの醸造に大いに役立つ。セラー内の「余分な酸素」や「雑菌」などを含む周囲の空気を吸い込み、代わりにわずかな二酸化炭素とワインの熟成を促す独自の「芳香成分(熟成香)」を袋の中に溜めてゆっくりと放出する。しかし、その吸い込む空気が汚染されていたらどうだろうか?」


「吐き出す芳香成分も汚染されている?」


ルイの回答にシャーロットが満足げに頷く。


「正解だ。ワインセラーに入った時に感じた皮膚のピリピリとした痛み、幻覚――これらは一酸化炭素中毒の症状だ。一酸化炭素とは、炭素を含んだ物質が酸素の足りない密閉空間で【不完全燃焼】を起こしたときに発生する、きわめて毒性の高い気体だ。血液中にある酸素を運ぶタンパク質「ヘモグロビン」に酸素の代わりに結びつき、体中に酸素を運べなくしてしまう」


「あぁ、だからこの場所は息苦しかったんですか」


「そうだ。私も倒れてしまった――我ながら情けない。まぁまぁ鍛えているつもりだったんだがな。それはさておき、ここは樽から匂う古いオークの木とわずかなカビの匂いのほか、微かに炭が焦げた匂いがしていた。おそらく、ミヤビたちのギルドに幽霊派遣を依頼した悪質な不動産ブローカーが執事に金を握らせ、かつてこの部屋で一度だけ大量の炭を【不完全燃焼】の状態で焚かせたんだな。ワインセラー特有の密閉性を利用して、樽守り草にたっぷりと一酸化炭素を吸い込ませ、その袋の中に濃縮・貯蔵させた」


「アイツ、私らの力を信用してなかったってワケ?!」


ミヤビが斜め上の方向で怒っている。後ろ暗い仕事では信頼と仕事人の技術が重要視される。なのに、全面的にギルドの力を信頼せず、小細工をされたのが腹立たしいのだろう。


「ともかく、袋の中にたっぷりと一酸化炭素をため込んだ樽守り草(バレル・セージ)は、いつも通り呼吸をする。その一息が、人を狂わせるとも知らずにな。吐き出された一酸化炭素が少しずつこの空間に溜まり、屋敷に住む人間たちに幻覚を見せていたんだ」


そこまで言うと、シャーロットは人間のエゴによって『呪いの害草』に仕立て上げられてしまった樽守り草(バレル・セージ)をそっとタンクの中に戻した。


「デーモンの正体は分かりました。では、幽霊は?」


「幽霊もポルターガイストも人魂も...。ぜんぶ同じ原因だ。一気に片が付く。その前に…」


シャーロットがそこで言葉を切り、目でルイに、部屋の隅に積み上がった古い空のワイン木箱を指し示す。ルイはそこに不自然な隙間があることに静かに頷いたあと、


「まだ樽守り草(バレル・セージ)が残っているんですかねー」


とわざとらしく大声で言いながら、そっとその四角い木箱に近づく。そして、


「誰だ!」


「ひぃっ!」


ルイが一気に木箱の蓋を開ける。箱の中から小さく悲鳴が聞こえ、やがて下からおずおずとローブ姿の人物が姿を現した。それは夕方に子供たちを見送ったルイとシャーロットが取り逃がした謎の人物だった。


「なにも悪いことやっていません~」


ルイに拳を向けられ、ローブの人物は半泣きだ。その声を聞き、ミヤビが首を傾げる。


「ん?どこかで聞いたような…」


「あ、ミヤビさん~!」


「もしかして、マイ?!」


「マイ?」


ルイの疑問に答えるように謎の人物はローブのフードを脱いだ。現れたのは、まだ年若い少女で半泣きになりながら祈るように胸の前で手を組んでいる。


「誓って、なにもやってないんです~!命だけは、命だけはお助け下さい!」


「おい、落ち着け!」


マイと呼ばれた少女は半狂乱になりながら、何度もぶんぶんと頭を振って下げる。その様子にミヤビは呆れたように笑った。


「相変わらずじゃん。そんな怖がらなくても大丈夫。私たちは幽霊調査に来ただけだから」


「幽霊…調査?」


そこまで言い、マイがワインセラーの中を見渡す。


「あれ?デーモンが居なくなっている?」


「マイ、君がここで何をしていたのか教えてくれないか。私にはおおよそ見当が付いているが、君の口から説明してもらった方が話がすんなりと進むだろう」


「私たちはマイのこと傷つけようとしているんじゃないから。安心して、ねっ」


ミヤビがウィンクとともに優しくマイを諭す。知り合いに会えて安心したのか、その言葉にマイが微かに頷いた。


「なるほど…ずっと一人で幽霊調査を…」


「はい…」


「だから何度も言ったじゃん。みんなで調査したけど、魔力の痕跡はゼロだったって。あんたは自分の仕事をちゃんと果たしてたよ。なんでか幽霊の噂が出続けたけど…」


「でも、初仕事でこんな失敗をして…。依頼人からは案件を取り消されてしまって。こんなにお優しくしてくれたミヤビさんやギルドのみんなに合わせる顔がなくて...」


「考えすぎだって、ねっ!」


マイはブローカーに指示されたとおりに、毎日ハッチから屋敷の地下のワインセラーに潜り込み、使用人専用の裏階段の脇にある大黒柱に自分の幻聴を聞かせる魔法を使っていたらしい。ここに魔法をかければ屋敷中に声が届くとブローカーに教えられたという。そして、無事に家族を精神的に追い詰めて引っ越しをさせ、成功したかと思いきや、魔法を解除したのに屋敷内の幽霊の噂やポルターガイストが続いてしまったことでブローカーから契約を打ち切られたことに責任を感じていたらしい。そして今日も幽霊調査をしていると、ミヤビの魔法が発動して屋敷全体が黒いドームに覆われた。何事かと思い、さっき換気のために開け放たれた、あの荷物搬入用の鉄のハッチから屋敷内に侵入したらしい。ちなみに夕方にルイが彼女を見失ったのも、途中でここに逃げ込まれたからだ。泣きながら話すマイの肩をミヤビが優しく抱き、時折慰めるように摩っていた。一方で、シャーロットはルイをじろりと睨んだ。


「道中に地下へのハッチがあれば、怪しいと思わないか?」


「だって、あのときは必死で追いかけていたんで...」


「灯台下暗しすぎる。そんなんじゃ、いつか犯人を取り逃すぞ」


「はい...」


元気になっていくマイとは裏腹に、ルイはシャーロットの叱責ですっかりしょげ返ってしまった。しょんもりと下を向いているルイにお構いなしにミヤビが話を続ける。


「でも、マイちゃん。どうやら、デーモンも幽霊もマイちゃんの魔法が原因じゃないらしいよ?」


ねっ、とミヤビがシャーロットにウィンクをする。シャーロットはその発言をふんっと鼻息荒く一蹴した。


「原因と言えば、原因だ」


「えぇ?!」


「やっぱり私のせいなんじゃないですかーーー!」


マイが再び半泣き顔に戻る。その様子にミヤビが慌てて、シャーロットに尋ねた。


「でも、魔力がないシャーロットちゃんにも見えているんでしょ?魔法が原因じゃないよね?」


「魔法そのものは消えている。だが、その子がここで音を鳴らし続けたせいで、この建物そのものが『呪いの楽器』に調律(チューニング)されてしまったんだ。今起きている幽霊現象は、その名残だな」


「どういうこと?」


首を傾げる三人の前にシャーロットが不動産屋から拝借してきた屋敷の情報誌をバサリと広げて見せる。開かれたページには、館の内部構造が詳細に記されていた。


「この屋敷を建築依頼した人物は、よほどの几帳面か、左右対称に強いこだわりがあったらしい。マイ、お前の『幻聴の魔法』は、普通の音ではなく、相手の脳に直接届かせるための極微弱な振動の波だ。そして、このドーム状の地下ワインセラー。ここが巨大な【空気の共鳴箱(ウーファー)】となって、かすかな振動を何倍にも膨れ上がらせた」


「あ、だからここで声がワンワン響いたんだ……!」


「そうだ。さらに、屋敷の真ん中にある大きな吹き抜け階段が、巨大な拡声器(パイプ)の役割を果たして音を上下へと伝える。すべての部屋のサイズが等間隔で統一されているため、屋敷中のどの部屋にいても、ほぼ同じ周波数で音が激しく響き渡る。これが、屋敷中の人間が一斉に幽霊の声を聞いた正体だ。そして――」


シャーロットが一息ついて、淡々と言葉を続ける。


「問題は、お前が魔法を解いたあとだ。なぜ幽霊の噂が続いたか。……それは、この奇妙な屋敷の構造がお前の流した振動とがっちり噛み合い、魔法の魔力が消えた後でも、ただの【外の風の音】を取り込むだけで『超低周波音』を放ち続ける、巨大な無人の楽器(共鳴箱)に変化してしまった。屋敷全体が、人を恐怖させ、幻覚を見せる恐怖の波動を放ち続ける――本物の幽霊屋敷に進化したってわけだ」


「でも、幽霊の声だけじゃなくて、不気味な気配や人影も見えましたよ? あれもバグなんですか?」


ルイが恐る恐る尋ねる。


「人間は、耳に聞こえない十九ヘルツ前後の『超低周波音』を浴び続けると、眼球が物理的に共鳴を起こす。すると光の屈折がバグり、視界の端に、正面を向くと煙のように消える不気味な黒い影(ナニカ)が自動合成されるんだ。これが幽霊の正体だな。さらにその音波を浴びた脳は生理的なパニックを起こし、強い恐怖や悪寒、見知らぬ『誰か』がそこにいる気配を勝手に作り出してしまう」


「じゃあ、あのポルターガイストは!?」


ミヤビが食い気味に叫ぶ。


「これだよ」


シャーロットがしゃがみ、ワインセラーの床を手の甲でコンコンと叩いた。その音が、ドーム全体にワンワンと反響しながら広がっていく。


「かつてこの辺りは、黒磁鉄鉱(こくじてっこう)という、強い磁気をもつ黒光りの珍しい鉱石が採掘される一大産地だった。鉱山が枯渇したあとにみんな去ったが、この硬くてしっかりとした鉄鉱石の岩盤はそのまま残った。屋敷の地下に眠るこの強烈な磁場が、建物の放つ超低周波音の振動と【圧電効果(ピエゾ効果)】で共鳴し、一時的に強烈な『電磁波』を発生させる。そのせいで金属製の家具が勝手に暴れ回り、空気中の静電気でパチパチと火花が飛んで人魂に見えたんだ。すべては、磁場の狂いによる物理現象だ」


「……なるほど。たしかに、この家の家具は天蓋付きベッドも含めて、鉄製や真鍮製ばかりでした。それが電磁波で悪さをしていたんですね」


ルイが深く納得したように頷く。


「ちなみにさっきミヤビにやってもらった『シャドウ・ベール』は、ただの応急処置だ。一時的に音や空気の振動をすべて吸い込むことで、屋敷に満ちていた音の波をシャットアウトし、超低周波音の影響を無くして幻覚を消し去った。だが、家全体がすでに共鳴箱として馴染んでしまっている以上、その『大本』を物理的に止める必要がある」


「それが――これだ」


シャーロットがランタンの橙色の光を突き付けた先には、使用人専用の裏階段(バック・ステアケース)のすぐ脇に立つ、天井を支える太い大黒柱があった。その根元には、赤黒く錆びついた不気味な鉄の楔(くさび)が、深く突き刺さっている。


「この楔が原因だ。マイの魔法を流し込みやすくするために、おそらくブローカーが打ち込んだこの鉄の杭が、地下からの振動を屋敷全体の骨組みへと効率よく伝える【音叉(調律器)】の役割を果たし続けている。……ルイ、お前の『肉体強化魔法』の力で、その楔だけをピンポイントに叩き壊せ!」


「僕の……肉体魔法の出番ですね!いっちょ、お任せください!」


ルイは目にも鮮やかな蒼い制服の袖を勢いよく腕まくりした。衣服の隙間から、実戦で鍛え上げられた、細身ながらも無駄をそぎ落とした前腕が露わになる。大黒柱に深く突き刺さった赤黒い楔を見据え、ルイは腰を深く落として拳を構えた。その身から、凄まじい密度の魔力が黄金のオーラとなって吹き荒れる。彼はゆったりと詠唱を始めた。


『我が血潮よ、沸騰せよ。我が四肢よ、鉄壁の剛殻と化せ。全霊を以て、万物を圧壊せよ――【肉体強化(フィジカル・エンチャント):テュールの鉄拳】!!』


刹那、爆音とともにルイの拳が放たれた。肉体の限界を魔法でさらに超越させたその一撃は、逃げも隠れもしない鉄の楔を正面から完璧に捉える。大気が悲鳴を上げるような衝撃波とともに、頑強な鉄の杭が、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。あまりの破壊力の余波に、地下室の天井を支える大黒柱がメリメリと不穏な音を立ててぐらりと揺らいだが、建物の骨組みがガガッと軋みを上げてどうにか持ち直す。同時に――屋敷全体を支配していた、あの脳髄を直接かき毟るような不気味な地鳴りが、プツン、と糸が切れたように完全に停止した。


「シャーロットさん!壊しましたよ」


「うむ、よくやった」


ルイは、言いつけを守りきった忠犬のようにシャーロットの元へと全力で舞い戻った。その背後には、見えない尻尾がちぎれんばかりにブンブンと振られている幻覚が見える。シャーロットの視線は相変わらずルイではなく、粉砕された楔の残骸に向けられていたが、その口元は満足げに緩んでいた。


「これで、もうこの屋敷でゴーストも、人魂も、ポルターガイストも、デーモンも出る心配はない。ただの空き家に戻った」


「やったぁあああ!」


ミヤビが両手を上げて飛び跳ねる。


「よ、よかったです……!」


マイが胸に手を当ててホッと涙を浮かべた。


「やりましたね、シャーロットさん!」


ルイも拳を握りしめ、三者三様に歓声を上げて事件の解決を喜び合った。


それから――。狭い裏階段を登り、一階の玄関ホールへと戻ってきたときには、屋敷に均等に並んだ窓の向こうから、白み始めた朝の光が穏やかに差し込んでいた。もう、朝だ。初めて訪れた時には不気味な血の色をしていた夕焼けの庭は、いまは朝露に濡れてキラキラと輝いている。彼らはこの幽霊屋敷の中で、ずいぶんと長い、濃密な夜を過ごしたらしい。


「あー、今日もこれから当直業務なのに、完全に徹夜しちゃったよー……」


ルイが肩を落として大きなため息をつく。


「私はこれからギルドに行って、速攻で仕事を休む手続きしてくるわー。……ね、マイちゃんは? このあと何か用事ある?」


ミヤビが尋ねると、マイは気まずそうにローブの裾を弄んだ。


「い、いえ……今は無職で……」


「じゃあ決まり! 今後の身の振り方も含めて、うちで相談に乗ってあげる! なんだったら、これからみんなでモーニング食べに行こうよー。あの人気のパン屋さん、早朝限定でお得なパンの食べ放題メニューをやってるしさ!」


「いいですね! シャーロットさんはどうします……って、あれ?」


そこでふと振り返った三人は、雷に打たれたように目を見開いた。さっきまでそこに居たはずの、白髪の美しい少女の姿が――忽然と、その場から消え去っていたのだ。


「ぎゃあああああああああああ! ま、また幽霊に連れ去られたぁあ!?」


「シャーロットさーーーーん!?」


「シャロたそーーーーーーー!?」


三人が夜明けの洋館に再び恐怖の絶叫を響かせているころ、廊下の奥の暗がりにまで届いてきたその声に、シャーロットは「うるさいな……」と心底嫌そうに綺麗な眉をひねった。彼女はただひとり、みんなを置いて、静まり返った廊下をマイペースに歩いていたのだった。


「子供たちが絵画を持ち出した部屋というのは……ここだったな」


先ほど、二階の廊下でルイとミヤビが「肖像画の目が動いた」と騒いでいた件は、超低周波音による眼球共鳴――つまりただの錯視だと説明がついた。だが、幼い兄弟は、屋敷に足を踏み入れてからパニックを起こすまで、そこまで長い時間を過ごしてはいない。音波による脳のバグを浴びる前に、彼らが絵画を盗み出した「一階の部屋」には、本当にレンチキュラーなどの物理的な小細工が仕掛けられていたのではないか。そう考えたシャーロットは、職人の執念で次々に扉を開け放ち、館の奥へと進んでいく。


目当ての部屋は、あっさりと見つかった。埃の積もった重厚な長机が鎮座するダイニングルーム。その壁には、この館の歴代の主たちであろう多数の肖像画がずらりと並んでいた。


「……あれ?」


ランタンの灯りに照らされた壁を見て、シャーロットの動きがピタリと止まる。並んだ絵画のちょうど真ん中に、子供たちが盗み、街の手前の草むらに放り捨ててきたはずの『微笑む貴婦人の肖像画』が、何事もなかったかのように元の位置に飾られていたのだ。近づいて確認すると、額縁の隅には引きずられたような草の汁が生々しく付着している。だが、それ以外の汚れはない。


『誰か別の人間が、拾ってここへ戻したのか……?』


夕方に門の前でたむろしていた子供たちか、あるいはマイか。時系列的には廊下ですれ違っていてもおかしくはないが、今はそんなことよりも目の前の絵が優先だった。夜明けの光が差し込み、すっかり明るくなった室内で、シャーロットは貴婦人の肖像画を外して裏返し、舐めるように眺め回した。上下左右、様々な角度からランタンの光を当て、指先でキャンバスの質感を確かめる。だが――結果は同じだった。どの肖像画も、表面はのっぺりとした平坦な油絵に過ぎず、表にも裏にも、物理的なトリックも魔力の残滓も一切仕掛けられてはいなかった。


「なんだ。結局、あのガキどもの見間違いもすべて超低周波音のせいか」


拍子抜けしたように落胆し、シャーロットが部屋の出口へと足を向けた、まさにその時だった。ふいに背後から、ゴトンッ、と重苦しい音が響く。


「?」


シャーロットが何気なく振り返り――その群青色の瞳が、驚愕に大きく見開かれた。飾られた無数の肖像画。そのキャンバスに描かれた男も、女も、老人も、子供も――すべての顔が、たった今、血管を浮き上がらせた凄まじい【憤怒の表情】へとガラリと変貌していた。絵の具の凹凸もない平らなキャンバスの向こうから、無数の生々しい眼球が、ぎょろりと一斉にシャーロットの姿を正視している。超低周波音は、ルイが完全に粉砕した。屋敷はただの静かな空き家に戻ったはずだ。眼球の共鳴も、脳のパグループも、もうとっくに消え去っている。それなのに。


「 み  て  る  よ  」


老若男女の、おぞましい数千の声が重なり合ったような、不愉快極まりない声が、静寂に包まれたダイニングルームに、ワンワンと響き渡った。


「え……?」


生まれて初めて「科学で説明のつかない本物の恐怖」を前にして、シャーロットは思わず言葉を失った。

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