第十三話:ゴーストの正体は?
三人が屋敷に到着すると、日が落ちてきていることもあり幽霊屋敷はさらに不気味な雰囲気を増していた。左右対称の四角い箱を積み重ねたような造りは、無駄な装飾が一切なく、窓が均等な間隔で並んでいる。その様は、まるで夜の女神に美しい音色を献奏する精巧に作られた巨大なオルゴール箱のようだった。
「じゃあ、行くか」
二人に声をかけて、シャーロットが一歩足を踏み出そうとする。しかし、その足が不意にガクンと止まった。
「?」
不思議に思い後ろを見ると、シャーロットの左右から肩を掴む二本の腕があった。右肩をミヤビ、左肩をルイが掴み、二人とも下を向いている。心なしか、二人の体は小刻みに震えているようだ。
「どうした、二人とも」
シャーロットが振り向くと、二人がバッと顔を上げる。もうすでに二人とも涙目だった。その顔は恐怖で固まり、全身がわなわなと震えている。
「ややや、やっぱりさ、シャロたそ。探検は明日にしない?もう暗いしさ、ねっ?」
「そそ、そうですよ!く、暗いとなにがあるか分からずに危険です!明日の朝とかに来ましょう!」
自分だけは怖がってはいないと思わせたいのか、二人とも上ずった声を震わせながら明るい調子で話しかけてくる。その様子にシャーロットは目を細めてじっと疑うように二人を見つめた。
「・・・なんだ、二人とも怖いのか?」
「ここここ、怖くなんかねーし。な、ルイ」
「そそそ、そうですよッ! けけけ、警察がユーレイなんぞを怖がってどうするってんですかいッ!」
ルイに至っては怖がりすぎて語尾がおかしいことになっているのに気づいていない。二人とも自身の気力を奮い立たせようとしているのか、ほぼ叫びに近い声を上げた。
「じゃあ行くぞ」
「ちょっと待って!あと10秒!いや30分!」
「心の準備が」
「うるさい」
二人の泣き言がうるさかったのか、シャーロットは二人の腕をぐいと引っ張り、体を門の崩れた穴へ無理やりに押し込む。
「ちょっと、制服が汚れるんですけど?!」
「シャーロットさん!本当に、本当に明日にしません?」
「言っておくが、私は明日仕事だ。お前たち二人で来てもらうことになるが、大丈夫か?」
「「今日行きます」」
シャーロットは二人のお尻を「ほら、はよ行け」と容赦なく手でぐいぐい押して、屋敷へと入れていく。最後に自分もくぐって敷地内へと足を踏み入れる。夜の帳が落ちた庭には、ビュオオオと不気味な音を響かせながら風が吹き渡っていた。その音に思わず二人が左右からシャーロットにくっつく。
「邪魔、重い、腕も痛い」
「べべべべつに、私が怖いとかじゃないから!シャロたそを守るためにこうしてるんだから」
「いや、僕も別に怖くないんですけどね。シャーロットさんが怖いかな~と思って」
「・・・邪魔でしかない」
シャーロットが心底嫌そうな顔をしつつも、二人に腕を巻き付かせたまま、屋敷の入口へと進んでいった。このまま押し問答しても時間の無駄だと判断したのだろう。左右で身長の違う人間に腕をとられているせいで、体のバランスがとりづらく歩きにくそうだ。正面玄関につき、脇にあるくぐり戸を抜けると赤いじゅうたんが敷かれた同心円状の丸い踊り場が出迎える。その奥には左右に分かれた螺旋階段がゆるく弧を描きながら二階へと伸びていた。先ほど、マルルが倒れていた場所だ。
「天井が高いねー。貴族様のお屋敷ってこんな感じなんだ」
ミヤビがまじまじと周囲を見渡した。いまはどこも厚く埃が積もっているが、もとは上流階級の人たちをもてなす煌びやかな世界があったのだろう。天高く作られた吹き抜けは圧倒的な解放感があるが、ミヤビの感嘆の声が、まるで大きな木箱の内部にいるかのように、妙にワンワンと壁に跳ね返って低く響いた。吊り下げられたシャンデリアが華麗だ。螺旋階段も年月が経つほどに木の油分や風合いが表面に現れ、艶やかで深みのある色合いに変化し重厚感があった。その一つ一つをミヤビが憧れを宿したキラキラした目で見まわしている。一瞬、幽霊のことを忘れたのか楽しそうだ。
「まずは、どこから見るか」
「ここは地下1階、地上2階の造りみたいですね。地下ではデビル、1階と2階ではポルターガイストと人魂、幽霊が目撃されています」
ルイが不動産屋からもらった屋敷の見取り図を片手で広げて確認する。もう片方の手はシャーロットを掴んだままだ。紙が持ちにくそうだが、腕を離す気はないらしい。
「じゃあ、上から行くか。で、下に降りながら調査をしていこう」
シャーロットは背負ったタンクの脇から、年季の入った真鍮製のランタンを取り出した。マッチを擦って火を灯すと、橙色の光が静まり返った玄関ホールをじんわりと照らし出す。
「え?!いきなり幽霊とか、マジ心の準備が…」
「屋敷中で怪奇現象が起きるんだから、どこから見ても変わらんだろ」
「そうじゃないんだよぉ。一番この屋敷で噂になっているところに行くのが怖いんじゃんかぁ~」
「最初に大変なところを乗り越えたら、後が楽になるぞ」
「そんな人生のアドバイスみたいなのは求めてないし!」
ミヤビとシャーロットが言い合いしつつも三人は螺旋階段を登り始めた。ステップに体重が乗る度にギィッと木が軋む音がする。その音に「ひっ!」「ただの階段、ただの階段…」など怖がりの二人が反応するもシャーロットはお構いなしにさっさと登っていく。
2階は屋敷の主人一家が住むプライベート空間だったらしい。寝室にドレッシングルーム、ブドワール、ゲスト・ルーム、子ども部屋や、その教育係たちが暮らす部屋が左右に並んでいる。薄汚れた部屋がランタンの穏やかな丸い光にぼわっと照らされて、さらに怖さが増しているのだが、シャーロットは気づいていない。後ろの二人が引きつった顔をしている。
「変な造りですね…。使用人であるナーサリーと主人の寝室が同じ大きさをしていますよ。普通、上流階級の館なら用途に合わせて部屋の広さを変えるものですが」
廊下を歩きながら、一つひとつのドアを開けて部屋のなかを確認するシャーロットの背後からルイが話す。
「そうなのか。私にはその知識はないから分からなかった」
「私もー」
ルイとは正反対に女性二人は屋敷の奇妙な造りに気づかなかったらしい。住む世界が違うと、見え方が変わるものだ。
「上流階級の家については良く分からん。なにか他にも奇妙な点を見つけたら教えてくれ」
「はい」
シャーロットがルイに指示を飛ばす。ルイは頼られて嬉しいのか、シャーロットにしがみついた情けない姿のまま嬉しそうに返事をした。三人はその後もシャーロットを先頭に順々に部屋の中を確認していく。扉を開け、中に入って調査をしているが今のところ何も起きない。主人の寝室内を調べていると、
「わっ!」
ミヤビがバッと横を振り向き、短く悲鳴を上げた。
「どうした?!」
「何があったんですか?」
シャーロットとルイも警戒態勢でミヤビの振り向いた方を向く。ミヤビがガチガチと奥歯を鳴らし、右耳をきつく押さえた。
「……ねえ、聞こえない? 耳元で、誰かが這いずるような声で……『う、うううう』って、ずっと、呻いてる……」
「呻き声? 私には何も聞こえないが……」
シャーロットが冷たく返した瞬間、ルイが短い悲鳴を上げて飛び退いた。ランタンの灯りが激しく揺れる。
「ルイ、今度は何だ」
「か、影が……! 視界の端、部屋の隅の暗がりに、人の形をした黒いナニカが、じっとこっちを覗き込んでいました……! なのに、正面から見ようとすると、煙みたいに消えるんです……!」
ルイの額から、だらりと冷や汗が流れ落ちる。
「それに、お、おかしいです。さっきから、急激に気温が下がっていませんか……? 凍りつくような寒気が、骨の髄まで染みてくる……。何かが、いる。僕たち以外の『誰か』が、そこに――」
ルイが言葉を震わせた、まさにその直後だった。――オオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!屋敷の壁から、床から、天井の隙間から、男とも女ともつかない無数の『叫び』が、凄まじい質量を持った不協和音となって部屋全体に鳴り響いた。鼓膜を直接かき毟られるような狂気の音量だ。同時に、部屋の空気がゴゴゴゴと唸りを上げ、豪奢な天蓋付きのベッドや重厚な衣装箪笥、鉄製の椅子が一斉に生き物のようにガタガタと狂ったように暴れ始める。壁の暗がりからは、冷たい青紫色の人魂がいくつも湧き出し、パニックを起こしたように激しく飛び交った。
「きゃああああああああああああ!」
「出たあぁああああああああああ!」
「あ、おい。二人とも!」
ルイとミヤビが絶叫し、シャーロットをその場に置いて部屋の入口に殺到する。
「「いやぁあああああああああああ!」」
そのまま二人して入口を出て右に曲がり、暗い屋敷のなかを爆走しはじめた。背後からはシャーロットの「どこに行くんだ」という冷静な声が飛んできているが、パニック状態の二人には聞こえていない。どこへ行くでもなく、そのまま泣きながら二階の廊下を爆走し、とうとう廊下の突き当りにたどり着いた。
「はぁはぁはぁはぁ」
「ここまで来れば、幽霊も追っかけてきませんかね」
ミヤビは息も絶え絶えだが、流石に警察のルイはまだまだ余力がありそうだ。二人が軽く息を整えながら見上げると、そこには威厳ある大きな男性の肖像画の目がぎょろりとこちらを見つめていた。
「「ぎゃああああああああああああああ!」」
「おい」
そこへ後ろから声がかかる。そこには闇夜に浮かび上がる白髪の幽霊が立っていた。下から突き付けたランタンの橙色の光によって、白髪と顔だけが不気味にぼうっと闇夜に浮き上がっている。
「ぎゃああああああああああああああ!生首の幽霊!」
「いやぁあああああああああああああああああああ!」
そこへ幽霊が二人にそっと両手を伸ばしてくる。二人して抱き合いながら地面に崩れ落ち、ガタガタと震えていると
「警察は市民を守るのが務め!僕をやってください!」
「ルイ?!」
腰が抜けたまま、わずかにルイがミヤビの前ににじり出し、幽霊の前に体でミヤビを守る。しかし、そんなのはお構いなしに幽霊の手がどんどんルイへと伸びていく。これまでか、とルイが目を瞑った瞬間、鼻先になにかがソフトに触れた。
「・・・・え?」
と思う間もなく、ルイの鼻のなかを刺激的なツーンとした香りが駆け抜ける。そのまま頭まで運ばれた刺激臭で、頭が痛い。目じりに涙が溜まる。
「いったあああああああああ!なんか鼻がツーンとするんですけど!」
「鼻が、鼻がぁああああああああああああああああああああ!」
どうやらミヤビも同じ目にあったらしい。二人して鼻を抑え、地面を転げながら悶えていると、頭上から呆れ声が聞こえてきた。
「ただのハッカ油だ。少しは気分がしゃっきりしたか?」
「シャーロットさん!」
「シャロたそ!」
先刻、気絶した男の子に使ったようにシャーロットが二人の鼻先にハッカ油を塗り込んだらしい。指先に残った刺激臭を払おうとパッパッと手を振っている。
「まったく、いきなり走り出すから何かと思った。だが、邪魔者がいなくなったおかげで調査ができた。感謝するよ」
「シャーロットさん~!」
「シャロたそ~!」
「・・・くっ付いていいとは言っていない」
二人に同時に腰に抱き着かれ、困惑したようにシャーロットが両手を上に上げる。その顔は本当に嫌そうだった。
「あ、シャーロットさん!そういえば、ここの絵画と目が合いました!呪われています!」
「めっちゃ、うちらのことを見てきた!ぜったいゴーストがいるって!」
「絵画?」
腰に着いた二人を引きはがし、シャーロットが壁に飾ってある絵画を見る。しかし、その男性は廊下を守護するようにまっすぐと前を睥睨していた。シャーロットは絵画を見つめたまま、ぶっきらぼうに言った。
「前を見ていて、私とは目が合わないな」
「そんな?!」
「だって、うちらの方を見ていたもんね」
二人の証言にシャーロットがランタンを掲げて、絵画を見回す。しかし、その絵画はごく一般的な油絵と同じく、凸凹もしておらず平面に描かれたごく一般的な絵画に思えた。試しにルイが持つ『追跡者の掌』で魔力の痕跡を探してみるが、なにも見つからなかった。
「うーん。分からんな」
ランタンの明かりを上下左右といろいろな角度から絵画に当てながら、シャーロットが唸る。その様子を絵画から距離をとって二人が背後から見ていた。
「どうする?まだ調査を続けられそうか?」
どうやら何も見つからず、シャーロットが二人に向き直る。二人は同時に首を振った。
「ムリです!」
「ムリ!帰ろう!」
「威勢がいいな…。だが、あともう一か所だけ調査がしたい。そうすれば、幽霊の正体が分かるかもしれない」
「えぇーー!どこに行くんですか?」
「もう怖い思いはしたくないよぉ」
腰が引けている二人をよそにシャーロットがずんずんと螺旋階段を進んでいく。その足取りは、心なしか浮かれているような軽いものだった。
三人は螺旋階段の裏に隠されるように設置された使用人専用の裏階段を通り、地下のフロアへ降り立った。階段を降りきったすぐ脇には、地下の天井を支える太い大黒柱が立っていたが、その根元には、いつ打ち込まれたのか、赤黒く錆びついた不気味な鉄の楔が深く突き刺さっていた。
狭くて暗い石造りの階段の先には、かつて使用人たちの生活と労働の拠点となっていた空間が広がっている。メイン・キッチンに洗い場、食品貯蔵庫、使用人食堂、ハウスキーパー室がこちらも同じ大きさで等間隔で並んでいた。流石に使用人専用階段やキッチンで作られた料理を運ぶための小型昇降機などは、それぞれの大きさだったが、それ以外は完全に同じサイズで統一されており、底知れない不気味さを漂わせていた。
しかし、一つだけその規則を破って存在する部屋があった。廊下の奥にあるレンガ造りの巨大なドーム型のワインセラーだ。数多くのワインラックが置かれているが、以前はそこに寝かせられていた主役はすでに姿がない。ワインセラーの床は、レンガではなく不気味に黒光りする岩盤が剥き出しになっている。かつてこの地で採掘されていたという、強い磁気を持つ『黒磁鉄鉱』の鉱脈そのものだ。
「冷たいな…」
シャーロットが床にそっと触れると、温かい気温が続く季節にも関わらず、冷たい感触を返してくる。この冷たさがワインを保存するのに適していたのだろう。
「うわ~、血を吸った蚊みたいな植物がある!きもっ」
「樽守り草ですね。醸造家たちからは『この植物が綺麗に生えるセラーのワインは極上になる』と重宝されている「益草」です。」
ワインセラーを眺めて、ミヤビとルイが何やら騒いでいる。空間の作りと相まって、その声がドーム全体にワンワンと大きく反響した。その声を聞き、床を調べていたシャーロットの手がピクリと止まる。そして、ふとルイが自分の手を見つめた。
「皮膚がピリピリするし、なんだか息苦しいですね...」
「たしかに…。足が痺れた時のような痛みが全身からするんだけど」
顔をしかめながら自分の腕を眺めていたミヤビだったが、突如として暗闇の奥を恐々と見つめた。
「デーモンが居るんですけど?!」
「え?」
「どこ?」
「そこ!そこにいる!」
しかしミヤビの指さした先には何もいない。ただのワインラックと暗闇が広がっているだけだった。恐怖に飲まれたのか、唐突に魔法詠唱を始めた。
「常闇の揺り籠、無垢なる深淵。光を拒み、音を貪り、万象の騒めきを底へと沈めよ。 ――『シャドウ・ベール』!」
ミヤビが絶叫とともに手をかざすと、漆黒の魔力弾が放たれた。それは着弾した瞬間、まるで小さなブラックホールのように、壁際のワインラックを空間ごと、木屑一つ残さず虚無へと飲み込んで消滅させてしまう。
「なにその魔法こわっ!壁ごと削り取っていますよ!?」
ルイがドン引きしているが、今のミヤビにその声は耳に入っていないらしい。
「デーモンに当たってない!なんで、なんで居なくならないの?!」
パニックになりながら、短縮詠唱を駆使して、何度も同じ方向に漆黒の弾丸を飛ばす。弾丸が放たれるたびに寝かせる子供の居ないワインラックがその場から消失していく。慌ててルイとシャーロットがその手を掴んだ。
「ミヤビ!落ち着け、そこには何もいない」
「僕たちには何も見えないですよ?」
「見えないって...!いるじゃん、そこにさ!」
もうミヤビは半泣きだ。彼女が魔法を放った手のひらの先には、ルイとシャーロットにはただ何もない空間が見えるだけだった。だがその直後、ルイの額から滝のような冷や汗が流れ落ち、その眼球が不自然に小刻みに震え始める。凍りつくような悪寒が彼の脳髄を支配した。
「シャーロットさん!デーモンがいます、僕にも見えます!」
とルイまでもミヤビと全然違う方向を指さし始めた。
「ふむ…。実は二人とも、私にもデーモンが見えている」
「え?!」
「うそ?!」
「これは異常事態だ。魔力のない私には、純粋な魔力の塊であるデーモンや幽霊は見えないはずなんだ。だとすると…」
シャーロットがパチンッと、指を鳴らす。
「謎は片付いた(チェック・アウト)」
――それは全ての謎が解け、真相へ向かう準備のできた合図だった。
「さぁ、二人とも幽霊退治と行こうか」
そういって振り向いたシャーロットの顔は口の端を上げてニヤリと笑い、そのままふらりと前へ倒れ込んだ。




