第十話:小麦の香りに紛れた不穏
ルイは浮かない気持ちで官給品の自転車を漕ぎ、街の巡回をしていた。ここ二週間ほどで立て続けに迷宮で起きた魔法殺人事件。今までの魔法犯罪は自身の持ちうる魔法をそのまま使った単純なものが多かったが、今回の二件は違う。自身の魔法に見せかけないように『科学』と呼ばれる分野の知識を駆使して、殺害方法を偽っていた。科学は昔から魔法とは対をなすものとしてタブーとされてきたものであり、王国に普通に暮らす一般市民では知りえない情報だ。それを知っているだけではなく、活用までしてみせたこの事件は高度な知的魔法犯罪といえる。しかも最後には同一人物と見られる女性の声が聞こえ、この人物に犯人たちは殺されている。警察でも現場の捜査に当たったが「犯行現場に魔力の残滓がない」という一点だけで捜査は行き詰まり、声の主がどこにいたのか、その手がかりすら掴めていない。
こんな魔法を偽称するような犯罪は今まで起きてこなかった。――もしくは、発覚していなかったのかもしれない。どちらにせよ、警察の手には任せられるものではないという判断から、この事件たちは魔力追跡隊の手に渡ってしまった。あそこには国中から選り抜きのエリートたちが集まっている。解決するのは時間の問題だ。
権限もない下っ端のルイにできることは、まだ真犯人が捕まっていないいま、街の住民たちの安全を守るためにも、こまめに街中を巡回することだけだ。この制服を頻繁に目にするだけでも犯罪抑止効果はあるだろう。自転車をキコキコと漕ぎながら辺りを見回していると、街角の一角から香ばしい小麦とバターの濃厚な匂いが漂ってきた。シャーロットと初めて聞き込みに訪れた、評判のパン屋だ。ルイも聞き込みで初めて食べた時からここのパンはお気に入りで、その後もよく買いに来ていた。そういえば、まだお昼を食べてないなと思った瞬間、腹の虫がぐぅーっと鳴いた。カランコロンと扉に付けられたベルが小気味よく来客を知らせる。
「いらっしゃい!」
扉を開けた途端、店員たちの気持ちのいい挨拶がルイを出迎えた。
「あら、ルイさん」
そのうちの一人、パンを陳列していた女性がこちらに気づき、出来立てのパンが入っていたバスケットを小脇に抱えてこちらへ近寄ってきた。毛量の多い赤茶の縮れ毛をお団子にまとめ、快活そうな顔立ちに面倒見のよさそうな雰囲気が漂っている。この店の女将だ。もうすっかり顔なじみのルイの来店を嬉しそうにしている。
「女将さん、こんにちは」
帽子を上に軽く掲げ、会釈をする。そんなルイを見て、女将さんは何かを思い出したかのようにハッとした顔をした。
「ちょうど良かった、ルイさんに相談したいことがあったのよ」
女将さんがこっちに来い来いと手招きをする。ルイは促されるまま、店内のテーブルの一つへ女将とともに腰を下ろした。店内のイートインスペースには他にも多くの客がおり、おしゃべりに勤しむマダムたちやコーヒーを片手に静かに新聞を読むおじさん、籠に天高く山もりにされたパンを一つずつ手に取りかじりつく少女の姿があった。
『よく、あんなに食べれるな…』
その少女は肉体仕事のルイでも食べきれないほど山盛りのパンを恐ろしい速度で黙々と口に運んでいる。まるで口元に小さな竜巻でも起きているかのように、次々とパンが吸い込まれていくのだ。リスのように一生懸命に頬張りながら食べる姿は一見愛らしいが、その異様なまでの吸引力に、ルイはどこかで見覚えがあるような強烈な既視感を覚えた。眺めていると女将さんに「相談があってさ・・・」と話を切り出される。
「どうしました?なにか困ったことでも?」
周りの客に聞こえないように、声を抑えてルイが尋ねると、その様子に女将がガハハッと豪快に笑う。
「そんな身構えなくてもいいよ!街の警察にちょっと相談したかっただけだから」
とお茶目にウインクをする。そして周りを歩いていた店員にお茶とパンを持ってくるように頼み、再びルイに向き直った。
「相談ってのはね、この街の幽霊屋敷についてさ」
「幽霊屋敷?あぁ、あの丘の上に建っている古い屋敷のことですね」
ルイの返事に女将もうんうんと頷く。幽霊屋敷とは、この街の丘にそびえる不気味な屋敷のことである。かつてあの屋敷には鉱山を所有していた富豪一族が住んでいたという。しかし、鉱山の衰退とともに居なくなってからは、何代か貴族や富豪が次々に移り住んでは、幽霊騒動が起こっていなくなってしまうということを繰り返していた。とうとう自殺者が出てからは買い手もつかないらしい。
「あそこなんだけど、街の子供たちが入りこんで遊んでいることがあってね。危ないから街のみんなで見回りをしてたんだけど、とうとうね…」
そこでお茶とパンがテーブルに運ばれ、女将は店員に「ありがとね」とお礼を言い、目の前に置かれた茶を啜る。
「けが人が出ちゃったのよ…。近所の小学生の兄弟だったんだけど『幽霊が出た!』と大騒ぎで。それを聞いて、ますます幽霊屋敷の噂が広まっていてね。このままだと良くない輩がたむろする心配もあって、街の自治会でも大きな問題になっているのよ」
「なるほど」
ルイは目の前に置かれた焼き立てのパンに手を伸ばしつつ、相槌を打った。治安維持の基礎知識として、割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウ理論)の危険性はルイも知っていた。街に落書きがある状態を放置すると新たな落書きや軽犯罪が連鎖する現象のことだ。放棄された廃屋は、格好の無法地帯だ。幽霊屋敷の噂をそのままにしておくと、遠からず街の不良や素性の知れない浮浪者が棲みつき、周辺の治安は一気に悪化するだろう。女将さんの懸念はもっともだった。
「忙しいところ悪いんだけど、屋敷の調査をしてきてくれないかい?本当にゴーストが住みついているんだったら祓い師を呼ばなきゃいけないし。よくない輩が住んでいたら、周りに注意喚起しなきゃいけない」
「もちろん、いいですよ!街の治安を守るのが我々『魔導治安維持局』の務め!お任せください!」
「あははっ、頼りにしているよ」
担当していた事件を上に取られてしまい、凹んでいたルイだったが、街の人に頼られたとあって俄然やる気が湧いてくる。張り切るルイに女将さんが息子を見るような温かい眼差しで頷いた。
「そうだ、今日はシャーロットちゃんも来ているよ。せっかくなら、二人に調査を頼めないかね?」
「シャーロットさんが?」
首を傾げるルイに女将さんが客席のテーブルの一つを手で示す。そこには、先ほど見た無表情の少女がいた。ひたすら目の前のパンに手を伸ばし、時折店員さんがお代わりにくるお茶を飲みながら、次々と口の中へパンが吸い込まれていく様はさながらフードファイターのようだ。
「えぇ?!あの人がシャーロットさん?」
「なんだい、知らなかったのかい?」
思わず大声を上げたルイを、少女――シャーロットがじろりと見やる。そして、それがルイだと認識した瞬間、まるで盗人でも警戒するように、目の前のパンが山盛りになった籠をぐいっと自分の方へ引き寄せた。




